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精神科医の告発(創価学会内部の現況)  

 

                    創価学会内部改革派憂創同盟残党                                     

 

 

 

 

 

 

 精神疾患の素因のある人は決して創価学会の勤行唱題をしてはいけない。極めて高い確率で精神疾患を発症する。

 実はこれは常識なのであるが、創価学会の強い言論圧迫の下、誰も言及できる者は居なかった。 精神医学学術専門雑誌は創価学会を批判する論文を 載せることは決して有り得ない。ただ一つ、昭和四十九年頃に「精神医学」という最も一流の精神医学学術専門雑誌に載った論文があるが、私が調べたところ、大阪や東京にある国立図書館には何故か無かった。「精神医学」は最も権威のある精神医学学術専門雑誌であり、精神医から最も愛読されている精神医学学術専門雑誌である。

 その論文の要旨は次のようである。

S教団は激しい折伏という弘教方法を取ることで有名である。そして日本一の巨大な信仰団体となった。

 信仰団体にも拘わらず、政治にも進出し、公明党という政治団体も持ち、社会的に大きな力を得るまでになった。選挙の時の選挙運動は狂気を彷彿とさせる。弘教方法の激しさも狂気を彷彿とさせる。

 この信仰団体は激しい弘教を行う故か、“急性精神病障害”となり躁病的な急性精神病障害となって精神科病院に救急入院となる信者が異常多発し、これを経験しなかった精神科医はいなかったと言っても過言ではない」

 

 “魔”の御本尊と同じ部屋にいるだけで敏感な人は精神疾患に罹患します。それ故に創価学会の子弟に精神疾患が多いことの説明が付くと思います。創価学会の親が活動で夜遅く帰ってくるから創価学会の子弟に精神疾患が多いということは一部分の説明でしかありません。もっとオカルト的な説明が必要です。

 敏感な人は感じ取ることができます。“魔”の御本尊から光線の様なものが出ていることを。それは悪魔の光線です

 とくに子供は敏感です。その光のようなものを感じ取ることができます。そして成人して「“魔”の御本尊のために子供時代から散々な不幸な目に遭ってきた」と告白するのです。

 鈍感な大人は感じ取ることができないでしょうが、敏感な子供は感じ取ることができるのです。悪魔の光線を。

 そして創価学会の子弟は精神疾患を発症するのです。これで創価学会の子弟の精神疾患の余りもの多さの説明ができます。

 勤行唱題しないでも創価学会の子弟は精神疾患に罹患するのです。

 それ故に私は、創価学会の家庭は子弟を“魔”の御本尊と同じ部屋にするべきではないことを強く主張するのです。

 “魔”の御本尊と違う部屋にするだけで、幼い子弟は“魔”の御本尊からの害毒から遠離ることができます。しかし、それは確かに、一時だけの効果かもしれません。敏感でなく鈍感な子弟は感じることがないから、鈍感な子弟は精神疾患に罹患しないで済みます。鈍感な創価学会の子弟は幸せと言って良いかもしれません。

 鈍感な創価学会の子弟は幸せです。精神疾患に罹患することがないからです。敏感よりも鈍感が幸せです。これは創価学会以外でも当てはまります。

 

   

 

 

 

【はじめに】

 私は精神科医として多数の創価学会員の患者を診察治療してきた。私自身が幼い頃からの創価学会員であった。幹部から紹介されてくる創価学会員が大部分であった。偶然、私の元を訪れてくる創価学会員も多かった。私は常に、胸のポケットに三色旗のボルペンを刺し、創価学会員と分かるようにしていた。また、三色旗のボルペンを胸のポケットに刺すことが、医師としてやってゆく厳しい現実に打ち勝つための気合いを私に与えていた。主に後者のために刺していた。私はあの頃は非常に熱心に創価学会の信仰を行っていた。

 創価学会員の精神障害の多さと、その悪性度の高さに愕然としない訳にはいかなかった。現在の創価学会員の精神障害は主にうつ病性障害となっている。  

 熱心な創価学会員ほどうつ病性障害に罹患する。そして熱心な創価学会員ほどうつ病性障害が治らず、悪性の経過を示す。

 精神疾患であるから精神疾患を治そうと創価学会に入会してくる患者も多い。しかし、それ以上に、いや、大部分が熱心な創価学会員であった人である。精神疾患であるから精神疾患を治そうと創価学会に入会してくる患者は少ない。それは現在、創価学会が折伏(布教)をほとんど行わなくなり、選挙運動一辺倒になってきたからかも知れない。

 選挙運動は友好活動とも創価学会内部では言われる。創価学会は昔の激しい布教(折伏)を行わなくなった。激しい布教(折伏)は社会を敵に回し、公明党への投票数を少なくさせる。

 現在の日本は布教(折伏)しても入会する人は少ない。それは現在、激しい布教(折伏)を行っている顕正会が伸び悩んでいることからも理解されるだろう。

 私が創価学会を心の中で退会したのは必然であった。私だけでなく、創価学会員の精神科医は表には出さなくとも心の中では創価学会を退会している、退会するのが必然と信じる。

 

 

【本章】

精神障害多発の創価学会

「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「パーソナリティ障害」など他の精神障害は、昔も現在も変わりなく創価学会に非常に多発している。「児童相談所」を訪れる半数以上は創価学会員であることは業界の通説である。そしてそれは「新入会者よりも、古くからの強信な創価学会員の家に多く起こっている」のである。創価学会の幹部の家は学会活動で子供の教育に手が回らず、自然と子供は非行化するという意見があるが、それは不十分な説明である。池田大作が招き込んだ無数の悪鬼が暗躍していることを忘れてはならない。

 たしかに創価学会の幹部の子供は余りにも高い確率で非行化している。同時に余りにも高い確率で「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「境界例」などの精神障害に罹患している。池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。また、それは本山(宗門)を蔑ろにした池田大作の醜い欲望にある。

 そして東京の創価学会本部には毎週数回、一日勤務で精神科医が来ている。創価学会本部職員およびその家族にうつ病性障害などの精神障害が多発しているからである。(「池田大作の品格」小多仁伯:著、日新報道:2007)に書かれてある。創価学会本部の職員数は多い。おそらく周囲の聖教新聞社などからも患者が来ていると思われる。創価学会本部に精神科クリニックがあることと同じである。薬は処方せず、カウンセリングだけのようである。薬を処方するならばクリニック開設の手続きをしなければならない。精神科クリニック開設の手続きは創価学会の体面上、行えない。薬を処方されるならば近くの創価学会専門の精神科クリニックに行かなければならない。そこで賄えないほど創価学会の精神障害多発は深刻な状況らしい。日蓮正宗法華講では少なくとも自分が知る範囲では精神障害が起こった例を知らない(創価学会の頃はあっちもこっちもであった)。やはり創価学会(池田大作)の謗法に由来する精神障害多発らしい。

 

 うつ病性障害が治らずに苦しんでいる婦人部が居た。一族全員熱烈な創価学会員。ある県(昔の一県一県のとき)の女子部のトップにまでなったほどの強信者だった。ところがすぐ近くに住む家族(両親、妹など)が全く家事などを手伝ったりしない。うつ病性障害でも中等度から重度の部類に入り、夫の夜食を作るのも大変だった(不可能に近かった)。その夜食を代わりに作ることなどを手伝おうとしない。「信心が足りない」から病気になったし「信心が足りない」から病気が治らないのであって本人の信心が試されている、家事を手伝うことはしない、と頑固だった。私が何度かその親に手紙を書いてもその家族は返事も寄越さなかった。

「信心が足りない」から病気が治らない、とその親は頑固に娘の面倒を見ることをしない。自殺願望も突発的に強く表れていた。中等度から重度のうつ病性障害では家事を行うことは地獄の苦しみに近い。そのことをどんなに親に手紙を書いて出しても返事も寄越さないし、病気の娘を放っていた。呆れ果てた。

 結局、その女性は、産みたかった子供も産めず、産期を過ぎてしまった。今は、夫と二人で暮らしている。うつ病性障害は多少、軽症化したのみである。創価学会の間違った考え(邪義)の犠牲者とも言えよう。

 

 私には次のような体験がある。これが自分が創価学会を強く疑う一つの要因(きっかけ)になった。5年ほど前のことになる。

「3時間の唱題をの御本尊の前で熱烈に行った。これほど熱烈に行うことは非常に珍しいことであった。2人のうつ病性障害で苦しんでいる創価学会員の寛解を3時間熱烈に祈った。これほど熱烈に祈ったことは十数年ぶりのことだった。しかし、歓喜が湧かないことを不思議に思った。

 翌日、朝から非常に身体が怠かった。うつ病性障害の五度目の再燃だった。うつ病性障害の再燃は三障四魔によるものと説明ができた。しかし歓喜が湧かなかったことに信仰への疑問を感じ、今までの再燃の時とは異なり翌日より勤行唱題を全く行わなかった。そのためか三週間ほどで寛解状態に至った。これほど早く寛解状態に至ったことは今まで経験のないことだった。抗うつ薬は全く服用しなかったが、徹底して勤行唱題を行わなかったことが功を奏したと思われた」

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【研究と報告】

          池田大作の精神病理(第1稿)

 

「あらゆる星が北極星を中心として動いているように、世界は私を中心として動いている。私は秩序そのものであり、法律そのものである」

                       —————シェークスピア 「ジュリアス・シーザー」よりーーー

 

                              創価学会内部改革派憂創同盟残党

 

 

【抄録】    

 タブーとされている池田大作の精神病理を考察した。池田大作の君臨する創価学会は様々な社会問題を生んでいる。日本に於いては公明党を作り日本の政治を動かしている。人権侵害など著しいが創価学会はマスコミをその強大な金力などによって支配している。創価学会に対抗する組織・個人に対する訴訟は非常に多く、警察との癒着なども指摘されている。諸外国に於いてはカルト指定され、様々な批判を浴びている。その創価学会を私有化している池田大作は、自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害(狂信的なタイプ)の合併であったと考えられた。しかし、パーソナリティ障害という診断は甘過ぎる。池田大作は入信当初は結核を治すために一生懸命にお祈りをしていたらしい。それ故に誘発された妄想型統合失調症と考えるのが正しいと思われる。創価学会が属していた日蓮宗富士派の信仰は気宇壮大となりやすい。気宇壮大となると万能感、自分は選ばれた人間だ、などという思いに満ち溢れる。これ故に、このような状態に陥ったと考えられた。

 

 

key wordsDaisaku-Ikeda, Narcissistic personality disorder, Paranoid personality disorder, Delusional disorder,  Schizophrenia paranoid type

 

【はじめに】

 日蓮系、とくに排他的とされる富士派に於いては気宇壮大になるという傾向が見られる。昭和45年までの折伏大行進の時には気宇壮大になり急性精神病状態となって精神病院に緊急入院となる創価学会員が後を絶たなかった。しかし、現在ではほとんどそういうことは見られなくなった。これは熱烈な勤行唱題が行われなくなったためと推測される。

 精神鑑定は難しい。創価学会員であった宮崎勤は精神鑑定でパーソナリティ障害”“統合失調症”“多重人格の三種類もの結果が出ている。

 ここでは人格障害という言葉は用いず、パーソナリティ障害という語を用いた。  

 池田大作は自己愛性パーソナリティ障害、妄想性パーソナリティ障害、妄想型統合失調症が疑われる。

 

【症例】

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p80

 

 

 日達上人御在世の時、日大講堂で行われた創価学会の総会において日達上人がお話をされたそうですが、その内容について池田氏が猊下に対して「今日の猊下の話は、あれは何ですか?」と言ったそうです。そこで日達上人と日顕上人が怪訝な顔をされていると池田氏は続いて「猊下は私のことに一言も触れなかったじゃないですか!図にのぼっているんじゃないですか!?」と言ったそうです。(日顕上人「文藝春秋」掲載の手記「創価学会会員に告ぐ」より)

 

 

 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。

 その責任を取らされて、日蓮正宗総監らが更迭され、日蓮正宗は以後、池田大作を法主の隣に、法主と同じ待遇で座らせることなどを決めて院達として公布するなどした。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994p81

 

 

 池田大作と昵懇なジャーナリスト高瀬広居は、次のように、その目撃談を綴っています。

「池田会長はモダンな本部応接室のアームチェアーにアグラをかき直すと、煙草を一服し、静かに、そして激しい語気で言った。

『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』

 同席の大幹部数人は深く肯き、息をのんだ。—-—(中略)—-—三十七歳の創価学会会長は、自らを全世界の指導者、日本の国主たる気概と現実的意志のもとに、数百万世帯の人々を背景に」

(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房:1965)(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p102-3

 また、最も側近であった原島嵩氏は更に次のようにも述べたと書かれている。

1)『私は現代の救世主である』

2)『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』

3)『世界の盟主である』

4)『私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする』

5)『私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る』

6)『私は太陽の帝王だ』

(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p226---45

(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p191---6

 

 

 池田大作の弟が八王子市高尾にある小林精神病院に長く入院していた。病名は不明。この弟は創価学会に入信していない。精神障害は強い遺伝性を持つ。この時代に長期入院したことは精神分裂病で間違いないと思われる。(変質した創価学会:蓮悟空:六芸書房:1972:p74

 

 

 昭和四十八年十月十四日、正本堂東側広場において、池田大作は、時の御法主上人猊下であられる第六十六世日達上人を、まるで「小僧っ子」のように、大勢いるなかで罵声を浴びせたのです。

……

「日達上人はすぐ忘れてしまう。私に創価女子学園で二十億円を下さるという約束をしたが、それを今果たして下さい!」と詰め寄ったこと、富士宮市への寄附を宗門の方でやってほしい等々のお金の強要をしたことなどを聞きました。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p158-9

 

 

 昭和45年、言論出版問題にて国会喚問をも取り沙汰されていた頃、高瀬広居氏のインタビューに

「本当に自殺したいくらいの心境だ。まるで処女が強姦されたようなものだ」と発言した。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p141

 

 

 彼は色々と手を打ちました。創価学会と取引があった複数の銀行の頭取とも会い、自民党に国会喚問をやめさせることをお願いしました。公明党の竹入・矢野の首脳たちを呼び、内閣法制局長官に働きかけるようにもしました。池田みずから、時の総理大臣・佐藤栄作にも電話で泣きつきました。これは私が池田から直接聞いたことです。民社党の塚本書記長が池田の国会喚問を要求したのに対して、同党の西村委員長に「将来、公明党も民社党に合併させる。公明党は解散させ民社党に入れる」などと、できもしない約束をし、当面の池田喚問だけは回避しようと右往左往していました。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p143-4

 

 

 国会喚問を怖れた池田大作は、日蓮正宗の国教化を考えていないことの証明のために、「御遺命の戒壇」とは「正本堂」であると政府の照会に書面で回答していました。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p149

 

 

 私は、ずっと側にいて不思議に思ったことが一つあります。それは池田がまったくといっていいほど、日蓮正宗の僧俗の基本中の基本たる勤行・唱題をしていないという事実でした。

 時として、側小姓のようについていた私たちに「代わりに勤行しておけ」と命ずることもありました。そんな「身代わり勤行」などということは聞いたこともありません。しかも、池田にとって難局の時です。それこそ必死に自ら勤行・唱題をして「変毒為薬」することこそ、仏法者として当然の振る舞いであるにもかかわらず、それさえしなかったのは、何としても不思議でしようがありませんでした。勤行・唱題すらろくにしていない人物を仏法の指導者として仰ぐその会員が、今では哀れで仕方ありません。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p141-2

 

 

 

 池田から「私は誰も信じない」という言葉を何度聞いたでしょうか。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p227

 

 

 池田は八王子の法忍寺に出向き、日達上人に全面的に非を認め、謝罪しました。日達上人は、いったんは許されました。

 しかし、池田は帰ってくるなりすぐに開き直り、日達上人への怨念を燃やし、「猊下は私を詫びさせた。この仇は必ずとってみせる」と首脳たちに激怒していました。

 昭和四十九年のこの時もそうでした。表面上の謝罪とは裏腹に、日達上人への「必ず法主の座を降ろさせてみせる」との憎しみ、仕返しの執念は凄まじいとしか言いようがありませんでした。そのころの池田は、私たち側近に口を開けば、日達上人の批難中傷ばかりしていました。結局、池田の日達上人への数々の謗法の謝罪はことごとく偽りだったのです。

(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p171

 

 昭和51年、創価大学図書館落成の折に開かれた文化祭で、池田は来賓に向かって「こんなものは昨日も埼玉で見て、見飽きました。この連中は歌を歌わせておけばいいのです」と言い、周囲の人を唖然とさせています。

 池田の師弟不二は、あからさまに言えば、かしこまって緊張した幹部を前にして、寝そべって女子部員に胸をさすらせたり、果物をくちゃくちゃ食べながら指導するような振る舞いに端的に表れています。

 あるいは宗門の役僧の前でも同じように、一人だけ寝そべり、それが会議の席上であるにも拘わらず「あんまさん、爪を」といってアンマに爪を切らせたりもしているのです。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p259-60

 

 

 池田大作の振る舞いはコンプレックスの裏返しである。子供の頃の貧乏が金への執着となり、上流への憧れが、インテリタイプの女性への手当たり次第のお手付き行為となった。下積みの経験が支配欲と化し、首脳や幹部に対し事あるごとに忠誠を誓わせ、誓約書を書かせる行為へと走らせる。食事の際、食べかけのメロンや料理を幹部に下げ渡してジッと様子を見る。有り難くいただけば良いが、私のようにそのまま次へソッと回そうとする奴は、目ざとく見付けて牽制の言葉をかける。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994)

 

 

 昭和四十八年頃に制作・放映された映画「人間革命」の主題は『一人の偉大な人間革命は一国の宿命転換を可能にし、やがて全人類の宿命転換をも可能にする』というものであったが、この一人とは池田大作自身のことを指していることは明らかであった。

 

 

 元学会幹部によるエピソードを書く。

「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら久しぶりだなと呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」

 

 

 私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(『前進』、1966、6月号)

 

 私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(『前進』、1970、1月号)———考想伝播??

 

 

 本山に登山した時、池田大作は「聞こえる、俺を呼んでいる」と言って走り始めた。そして日蓮大聖人のお墓の前に行って喋り始めた。幾人もの側近が見ている中での出来事である。

 

 

「未だかつて、病気の人なんかで、僕の頭の中に入った人で、祈って死んだ人は一人もいないんだ。これは秘かに自負している」

「これは、ここだけの話にしてほしいのだが、私のお袋は八十一歳になるが、実は一度死んだんだ。葬式まんじゅうも用意して葬儀屋も手を打った。弔辞も全部用意した。私は久しぶりだったが足を運んだ。するとみんな泣いている。そこで私は初めて数珠を持って題目を唱えながら、もう死の直前のお袋の体じゅうをさすってあげた。足も全部冷たくなっていた。———中略———すると六月末に死ぬのが、死ななくなってねー。二千個の葬式まんじゅうも腐っちゃったんだ。医者も、もう一度医学を始めから始めると言っていた」(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p252-3

 

 

 私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989p266

 

 

 竹入義勝氏が造反した時、同時放送で45分間も机のどんどん叩きを伴う竹入義勝氏に対する罵声の連続であったという。その45分間はカットされ放送されなかった。そのため池田大作の講演は10分ほどしかなかった。会合終了後、男子部で集まった時に上級幹部よりそのことを知らされたーーーー自分が貰えない勲一等を受けたことを嫉み(妄想性パーソナリティ障害)自分の自尊心が貶された(自己愛性パーソナリティ障害)。創価学会員は公明党国会議員を代表として受勲を拒むように内部指導されている。それまでも何人かの元・公明党国会議員が受勲を辞退している。これは池田大作が貰えないからである。

 

 

 もっとも、池田大作の『若き日の日記』は、池田大作の後日における完全な創作である。

 池田大作は、会長就任まで、大学ノートに記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていたという。

 北条浩ら、一部の首脳はこれを見せられて閉口し、

「どうかそれだけは公にしないでください」

と言った。とりわけ、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対しては、凄まじい悪口が綴られていたという。

 したがって、出版された『若き日の日記』は、原本とは似ても似つかぬほど、自らを美化し、戸田城聖の後継者として正当付け、そして幹部達に、

「私(池田大作)が若い頃、戸田先生に献身的に仕えたように、お前達も死にもの狂いで俺に仕えよ!」と示唆することが見え見えの、綺麗事に終始している。

(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004:p19

 

 

「大聖人は七百年前に御出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです」(昭和五十二年一月二十六日、インターナショナルの日)

 

 

 月刊ペン事件の裁判に於いて証言台に立った池田大作は、落ちつきなく水を飲み、汗を拭き、証言台の椅子をいらだたしく左右に揺すっていたこと。また、時に声を荒げたかと思うと一転して猫なで声で証言した。しかも証言台に黒革の高給財布を忘れ、その中には四十万円入っていた。  (池田大作・創価学会の脱税を糾弾する:竜年光:日新報道:1994:p120-2

 

 

 平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映された。

 

 

【考察】

 統合失調症の罹患率は1%前後と言われている。しかし、筆者はそれは明らかに統合失調症と認知された人の割合であって実際には潜在的に3%程が統合失調症と言えると考える。

 自己愛性パーソナリティ障害は母親の過保護と父親の不在が原因とされている。池田大作の幼少時代、少年時代にはたしかにそれがあったらしい。

 原島嵩氏は池田大作が「慢心のかたまり」と書いてあるが、これは「慢心」を超え「妄想」と思われる。これは自己愛性パーソナリティ障害、さらに妄想型統合失調症も考えられる。

 池田大作が自分が末法の本仏であると主張し、総本山より独立する計画を立てたことは有名である。これはやはり自己愛性パーソナリティ障害、さらに妄想型統合失調症も考えられる。

 また、原島嵩氏は「やはり根底にあるのは池田のコンプレックスでしょう。例えば、彼の学歴は富士短大中退です。しかし、二十年近く経ってから、卒論を桐村という教学部の幹部に書かせてまで卒業しました。幹部には東大卒や早慶卒なども多いのですが、彼らを前にしてお前たち、馬鹿だろうなどと言ってははいと答えさせ、悦に入っていました。最高学府を出た人たちをひれ伏させることに彼は喜びを感じるわけです」と書いている。これは単純に考えると自己愛性パーソナリティ障害である。しかし、強い人格破綻と取られるものが見られる。人格破綻ならば妄想型統合失調症である。

 原島嵩氏は「池田大作は人を信じることができない。猜疑心のかたまりである」と書いている。これは妄想性パーソナリティ障害である。 

 日本共産党との十年協定は池田大作の独断とされる。妄想性パーソナリティ障害の人は交渉や政治的駆け引きに長けていることが多い。

 戸田城聖氏との出会いをドラマチックに変えていることは、自己愛性パーソナリティ障害である。

 乙骨正生氏は「彼特有の他人や敵への異常な攻撃性というのは、持って生まれた性格のほかに自身の極貧、病弱体質、能力の凡庸さへのコンプレックスからくる世間への怨念が影響していると思います」と書いている。「他人や敵への異常な攻撃性」は妄想性パーソナリティ障害である。

 池田大作は八体の板御本尊を業者に依頼して勝手に作っている。入仏式は池田大作自身が行っている。これは御本尊模刻事件として有名であり、第一次宗門戦争の大きな理由となった。ここにも自身が日蓮大聖人と同等またはそれ以上という「妄想」が見られる。妄想型統合失調症が考えられる。

「若き日の日記」の原本となる予定であった大学ノートは被害妄想的な内容に満ちていた。「悪口や怨念が綿々と綴られていた」ことは強い嫉妬心、猜疑心を意味する。軽症の統合失調症の患者のノートも被害妄想的な内容に満ちていることがほとんどである。軽症でなく中等症となると、その内容は被害妄想的のみでなく支離滅裂になり、内容を把握することが困難になることが一般である。 

 この「大学ノート事件」より池田大作はやはり妄想性パーソナリティ障害または妄想型統合失調症であったと診断することが正しいと思われる。そのノートが現存していれば、池田大作が単なる妄想性パーソナリティ障害に留まるものであったか、妄想性パーソナリティ障害を超え妄想型統合失調症であったと診断することも可能となる。新興宗教の教祖は妄想型統合失調症(高橋信次など)であることが非常に多い。

 訂正可能な「限局的な軽度の妄想」に留まっているならばパーソナリティ障害となるが、「高度に体系化された訂正不能な妄想」が見られるなら妄想型統合失調症となる。

 同時放送に於いてはっきりすることだが、池田大作の言動には「論理に飛躍や唐突さがある」これを精神医学では「連想弛緩」「連合弛緩」または「連合障害」と呼び、統合失調症の基本症状の一つとされる。そしてパラノイアすなわち妄想性障害には思考の障害はないとされる。精神医学に於いて、その患者が統合失調症であるか妄想性障害(パラノイア)であるか判断に迷ったときには患者に話をさせ「論理に飛躍や唐突さがある」か無いかで判断することが多い。これは録音機に録音してあとで綿密に聞かないと分からないことが多いが、診断を確定する上で重要なことである。

 故に同時放送(本部幹部会の放送)の開始は反池田派の副会長が如くんだ罠であるとも推測される。

 そして、池田大作には「自分は日蓮大聖人以上の存在である」という訂正不能な立派な妄想体系、妄想構築がある。これも決定的な統合失調症であることの診断になる。この妄想により池田大作は日蓮正宗からの独立、離脱を図り、新興宗教の創始者となった。

 池田大作は入信直後に自分を入信させるために会合に招いた三宅女子に「見ていて下さい、自分のこれからの姿を」と言ったように、すでに入信直後に誇大妄想を抱いていた。池田大作の統合失調症発症は19歳と推定される。

 昭和27年の池田大作の結婚を報じた聖教新聞には「天下を取ろう、と語る」と書かれてある。

 なお、一般的なパーソナリティ障害全般に言えることであるが、パーソナリティ障害は病と言うより性格が偏っている、偏りすぎている、つまり性格が異常なだけであり、精神疾患ではないため、薬物療法はほとんど功を奏さず、治療はかなりの困難が伴う。匙を投げている医者も多く、パーソナリティ障害は受けない病院も多い。生半可な覚悟では治せない。そして治すことが出来るのは本人だけである。本人の治そうという強い情熱のみである。しかし極めて強い情熱があっても治すことは困難を極める。

 この性格の偏りは個性と言うことが出来る。その個性を矯正することは不可能に近いことである。個性を矯正するよりも、その個性のまま努力して(非常に強い努力が必要な場合が多いが)社会に適応してゆくことが重要なことである。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように固い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 

 

【最後に】

 日蓮大聖人の信仰は「気宇壮大」になる傾向がある。これは日蓮大聖人の信仰を行った者にしか解らないかもしれない。創価学会の折伏大行進の時、精神病院に緊急入院する患者は全て気宇壮大(躁状態とも言えよう)になっていた。気宇壮大になるという特殊性を考慮しなければならない。

 気宇壮大になると、万能感、自分は選ばれた人間だ、という思いに満ち溢れる。このために精神障害と診断された創価学会員は多かった。しかし、最近は勤行唱題が熱烈には行われなくなった故か、万能感などに満ち、精神障害と診断される創価学会員は非常に少なくなった。

 池田大作の自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害、および妄想型統合失調症は創価学会の信仰故に気宇壮大となり誘発されたものと思われる。

 池田大作は巨大な宗教団体である創価学会のトップに立ち、その「自分は日蓮大聖人より偉大である」という妄想が却ってカリスマ性を与え、五十年もの間、指導者として君臨してきた。著作・講演内容はすべて彼のゴーストライター軍団によるものであった。

「自分は日蓮大聖人より偉大である」という妄想が彼を、手当たり次第の女性信者への手つき、むやみに威張り散らすことに繋がっていたと思われる。

 最近、インターネットの動画サイトYouTube に掲載される彼の支離滅裂な言動、頻繁な脱線、それは自己愛性パーソナリティ障害を示すものである。

 東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、それらは自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害を示す。

 池田大作は「パラノイア」と診断するのが最も適当と思われるが現代の精神医学では「パラノイア」は死語になりつつある。現代精神医学の教科書からは自己愛性パーソナリティ障害または妄想型統合失調症という診断名のみ当てはまる。また、19歳発症の妄想性障害は現代精神医学の教科書からは妥当ではない。

 池田大作はたしかに「パラノイア」の現代語訳と一般にされている妄想性障害と紛らわしいが、妄想性障害は現在の教科書では40歳以上に起こることが一般とされている。また、池田大作には妄想性障害では説明不可能な奇異な言動も見られる。

 

【後書き】

 私見ではあるが、放置されている軽症の妄想型統合失調症の患者は多い。とくに暴力団員に多く、次に競馬、競輪、競艇などの賭け事を行う場に多い。また、奇人・変人と思われている人達にも多く存在すると思われる。彼らは少量の抗精神病薬すなわちハロペリドール2mg/day を投与すると借りてきた猫のように大人しくなる。各国より勲章などを買い漁る池田大作、文鮮明およびスターリン、ヒットラーたちは軽症の妄想型統合失調症であったと思われる。

  

                 (完)

 

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  文鮮明、池田大作:妄想型統合失調症説

 

 この2名は不思議なほど似通った特質を持つ。2名とも強大な権力を持っている。この2名は新興宗教の教祖である。2名とも中年の頃は酒池肉林を楽しんでいた。そして2名とも現在、人生の末期に至っている。

 2名とも庶民の苦しみの上のあぐらを掻いて人生を楽しんできた。庶民から金を搾り取り、贅沢の限りを尽くしてきた。2名は信者から神様のように讃えられている。

 2名とも勲章、名誉市民などの肩書き集めにいそしんだ。その数は2名とも200を超え、数を競い合っている。

 その勲章、名誉市民はお金を出して買ったものであり、他者から見れば何のために高額なお金を出して買うのか理解ができない。

 文鮮明率いる統一協会の団体で暮らしている人達の生活の倹約は激しい。電気代を1円でも減らそうと電気代節約に余念がない。筆者は統一協会のビデオセンターに半年ほど通った。彼らは多くが大学生と社会人であった。繁華街でビデオセンターに勧誘し、訳の分からないままビデオセンターに入る。そして統一協会の教理を簡単に説明したビデオを見て最後に責任者などとコーヒーを飲んでお喋りをして帰る。自分は楽しく半年間続いた。しかし、図書館より統一協会の本を読み、実態を把握していたため、泊まりがけの研修に行く直前で行かなくなった。

 また、団体で暮らして無く、個々の普通の生活をしている信者でも上納金(いわゆる財務)は非常に大きい。妻、あるいは夫が統一協会の場合、上納金が大きく、家庭騒動が激しいと聞く。

 池田大作率いる創価学会は信者数が統一協会より少なくとも一桁は多いため上納金は少なくて済む。しかし、一部の狂信的な信者の家庭は大量の上納金をするため、サラ金などから借り、夜逃げ、一家離散が起こっている。信者数が多いため、創価学会員の夜逃げ、一家離散は目立つ。筆者も実際に少なくとも一つ経験している。

 元ソビエトのある小国でも独裁者がおり、国中に至る処に自分の銅像を建てている。テレビ番組でも自分を讃える番組を流している。しかし、ここは天然ガスが多量に出るため国民の生活は非常に豊かであり問題は起こっていない。

 独裁者となり、みんなから煽てられると誰でもこうなってしまうのかとも考えられる。

 彼らは自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)であるという意見が多い。しかし、筆者は妄想型統合失調症(軽症)の可能性をも考えている。

 

 宗教または国の独裁者となっても、常識を弁えている人は多い。常識を外れ、自己愛性パーソナリティ障害または狂人と思われている者は一部である。

 たしかに独裁者となり、みんなから煽てられると、自己愛性パーソナリティ障害が重症化することは充分に考えられる。この2人(文鮮明、池田大作)は自己愛性パーソナリティ障害の重症と考えるのが最も適当と考えられる。しかし、自己愛性パーソナリティ障害のみでは説明のできないところがある。特定できない精神病として良いと思われる。

 

「自己愛性パーソナリティ障害が強く重症化すると妄想型統合失調症(軽症)に類似した状態に移行してしまう」のではなかろうか。

 

 この2人には人格破綻としか考えられないものが存在する。

 自己愛性パーソナリティ障害が重症化すると自分中心の傾向が更に強くなるのか、信者(人民)の苦悩を全く考えなくなるようだ。

 自己愛性パーソナリティ障害の診断基準を読むとたしかに信者(人民)の苦悩は考えなくなるように次のように書かれてある。

 

<DSMTR:(6)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

         (7)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない。>

 しかし、この2つで信者(人民)の苦しみを考えなくなるということは考えにくい。

 

 Kraepelin がその教科書第8版(1913年)で、破瓜型の8%、緊張型の13%に治癒を認めているように、統合失調症に自然治癒、自己治癒傾向のあることは古くから知られている(統合失調症の診療学:中山書店:p171)。

 

 文鮮明、池田大作この2人は強烈なエゴイストと断じて良いと思われる。

 究極のエゴイストと言っても良いであろう。

 どうしても人格破綻を思わせる。

 

 文鮮明は霊的能力で最適の伴侶を指名できると言われており、合同結婚式で有名である。

 しかし、これが本当の霊的能力なのか、偽りの霊的能力なのか、確認されていない。

 

 池田大作は金のある家を探すことが非常に上手だった。それは神業とも言われた。

 それによって戸田城聖氏の事業を危機から救った。

 戸田城聖氏の会社は歩合制であったので池田大作のこの頃の給料は一般の百倍近くであった。

 これは霊的能力と言って良いと思われる。

 

 自己愛性パーソナリティ障害のなれの果ては妄想型統合失調症(軽症)というのは過言かもしれない。

 世界中に独裁者は多いが勲章、名誉市民などの肩書き集めにいそしむのはこの2人だけである。

 この2人は勲章、名誉市民などの肩書き集めにいそしむために欧米などの先進諸国からは軽蔑され嫌悪されている。

 わざわざ大金をはたいて世界中から軽蔑され嫌悪されることを行うことは正常では考え難い。

 彼らは自らの異常性に気付いていない。

 このことにより世界中から軽蔑され嫌悪されていることに気付いていない。

 

 自分さえ良ければそれで良い、という悪魔的思考———これを統合失調症の診断基準の一つに入れるべきではないかと私は思う。

 彼らにはパラノイア様妄想、人格崩壊、滅裂思考はあるーーーパラノイア様妄想、人格崩壊、滅裂思考のみで妄想型統合失調症(軽症)と言えるか?

 2人がほぼ同時期に地球上のほぼ近くに現れ、ほぼ同じ期間、権勢を振るった。

 2人の顔、体型はよく似ているーーー偶然性の不思議

 この2人は潜在的に進行していった妄想型統合失調症と言って良いと筆者は思う。

 

(補記)

 この妄想型統合失調症は特に池田大作の場合には同時放送で見られる。

 池田大作の言動、振る舞いは精神病棟に長年入院している統合失調症の患者を彷彿とさせる。

 話の脱線、支離滅裂はまさしく長年、精神病棟に入院している統合失調症の患者そのものである。

 

 東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、

 秋谷会長に踊れと命じたこと、

 北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、

  メロンの頻繁な下げ渡し、……これらは自分が大聖人より偉いという妄想から来る行為であったと考えられる(側近は傲慢と考えていた)。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作が国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れたのは妄想型統合失調症の被害妄想と思われる。

 

 この妄想型統合失調症(軽症)はイランやイラクの指導者にも存在しているらしい。妄想型統合失調症(軽症)に核爆弾を持たせることは極めて危険である。そして妄想型統合失調症(軽症)同士、引かれあうのか、北朝鮮との繋がりもある。

 

 妄想型統合失調症(軽症)はパチンコ、競馬、競輪、競艇などにたむろする人達、および暴力団関係者、犯罪者に多く潜在していると思われる。

 抗精神病薬(例えばハロペリドール2mgという少量)を服用させ、効くか効かないかで判断することができる。

 効いたならばスーッと大人しくなる。

 妄想型統合失調症(軽症)ということになる。

 

 見逃されている軽症の妄想型統合失調症の患者が多いがこのことが精神科医を始め医療関係者などにあまり認識されていない。

 精神鑑定に抗精神病薬(例えばハロペリドール2mgという少量)を服用させ、効くか効かないかで判断することができるようになれば、どれほど犯罪者に妄想型統合失調症(軽症)が含まれているかが解るようになるであろう。

 精神鑑定には抗精神病薬を服用させて統合失調症など精神疾患を鑑別することが許されていないため、精神鑑定医により異なる鑑定結果が出ることが頻繁にある。

 宮崎勤は、3人の鑑定医により、統合失調症、多重人格障害、人格障害の三通りの鑑定結果が出た。

 国家指導者および宗教指導者に見逃されている妄想型統合失調症(軽症)の患者が存在することは怖ろしいことである。

 池田大作は妄想型統合失調症(軽症)故に「自分は日蓮大聖人より偉大である」という妄想に支配され、その妄想が彼に威厳を与え、またその妄想故に創価学会の活動に没頭した。それ故に彼は第三代の創価学会会長になることができた。

 

               (完)

 

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【研究と報告】

 

戸田城聖氏は何故、アルコール依存を克服できなかったか?*

 

                                                         三船小仏青年**

 

 

 

【抄録】

 戦後最大の宗教団体を築いた戸田城聖氏はアルコール依存の果てに五十八歳の若さで腎不全で亡くなった。太平洋戦争に於いては師と仰ぐ創価教育学会会長であった牧口会長に付いて獄に入り、昭和20年7月に釈放されるまで二年間の獄中生活を送った。

 戸田氏は戦前、獄に入る以前よりアルコールは毎夜嗜んでいたと言われる。しかし、アルコール依存ではなかった。

 戸田氏は戦後、アルコール依存に陥ったのであり、この戸田氏のアルコール依存には余りにも不可解な点が多い。

 その謎を追究し考察した。

 

key wordsToda JoseiAlcohol dependenceSoka GakkaiopiumIkeda Tasaku

 

 

【はじめに】

 アルコール依存を克服することは極めて困難である。筆者が今まで経験してきたアルコール依存を克服した症例はすべてかなり高い知能を有していた。アルコール依存克服には強靱な意志力が必要と一般に考えられているあるが、筆者は「強靱な意志力」よりも「高い知能」が必要という私見を持つ。アルコール依存克服には第一に「高い知能」、第二に「強靱な意志力」が必要と筆者は考える。戸田城聖氏はこの2つを有していたが、最後にはアルコール依存による腎不全で58歳にて亡くなった。

 しかし、戸田城聖氏ほどの「高い知能」と「強靱な意志力」を併せ持った人物が何故、アルコール依存を克服できなかった、地方の講演のときもアルコールを飲用して臨んでいたのかは不思議(謎)と言わざるを得ない。

 戸田城聖氏は牧口常三郎氏と出会った頃、現在の学習塾の先駆けである「時習学館」を主宰しており、学習参考書の走りともいえる『推理式指導算術』を出版した。『推理式指導算術』は評判を呼び、100万部を超えるベストセラーとなった。当時の受験生からは「受験の神様」と呼ばれた。

 戦後、事業経営における戦前の主力だった算術書が学習指導要領の全面改正で無意味なものになり、事態打開のために参入した雑誌も売れ行きが低迷するなど、経営は悪化。1949年(昭和24年)10月、日本正学館は倒産する。戸田は東京建設信用組合を設立し営業を始めるが、多額の負債があるために今度は大蔵省から営業停止の命令を受け、破綻。

  1950年(昭和25年)10月、大蔵商事(現:日章)を設立。すなわち、高利貸しを始める。

 

【考察】

 この謎を解き明かすには、池田大作のことを考えねばならない。池田大作は戸田城聖氏の事業が傾いているときに入社してきた。小説「人間革命」では池田大作は始めこそ日本正学館に於いて本の出版などを手掛けていた。しかし、その日本正学館は倒産する。その後に戸田城聖氏が窮余の策として始められた大蔵商事すなわち高利貸しに於いて辣腕を振るった。池田大作の高利貸しの才能は素晴らしく、当時の平均サラリーマンの100倍近くの給料を貰っていたことは、その証拠の書類が残っているところから確かめられる。

 取り立てが過酷を極めたという逸話が残っているが、それだけで当時の平均サラリーマンの100倍近くの給料を貰っていたとは考えられない。筆者はその謎をいろいろと探った。

 話は過去に遡る。池田大作(正確には昭和27年に戸籍上、正式に変名するまでは池田太作が正しい)は東京大学の過激な左翼思想に被れたある非常に有能な人物(T氏とする)が運営する読書会に属していた。T氏はGHQとも繋がりがあった。池田太作が戸田城聖氏の下に入社することはT氏から勧められたらしい。また、創価学会(昭和21年に創価教育学会より改名)への入会(当時は入信が正しい)は小学生の頃の同級生の女性から誘われて座談会に参加したとされるが、当時の教学部長であった0000氏との議論の果てに入信せざるを得なくなったということが正しい。これは聖教新聞にも入信の経緯のことが詳しく書かれてある。

 アルコール依存克服は極めて困難と言えど、戸田城聖氏ほどの信念強固な人物ならば克服できたはずである。それが何故出来なかったのか? これは戸田城聖氏の酒の中に池田太作により麻薬が混ぜられていたためと考えると納得がいく。その麻薬はT氏より得られていたものと推測される。

 麻薬はアルコールとは異なり、どのように意志強固でも克服することは不可能と考えて良い。麻薬は癌末期の激痛に苦しむ患者にのみ投与が許されるものである。麻薬は一度服用したら、どのように優れた人物も一生、克服はできないと考えて良い。中国やインドネシアなどでは所持していただけで死刑となる。このため、人を陥れるために、その人のバックに麻薬を忍ばせておくという方法が行われる。

 GHQは日本の宗教界を支配することをも企んでいたことは容易に考えられる。また、日本での「麻薬マネーロンダリング」の宗教団体が必要であった。自由自在に操れる宗教団体を日本に持つことをGHQは考えていたはずである。

 GHQは戸田城聖氏の傑出ぶりを見抜いていたと考えられる。戦後の日本の宗教界をリードする存在として戸田城聖氏を考えていたことは間違いない。昭和21年に戸田城聖氏が起こした当時としては大罪になる「用紙横流し事件」が不問にされたのは当時の政界の超大物の鶴の一声であったこと意外には考えられない。

 その超大物とは昭和27年に創価学会に入会した朝鮮人との噂の高いA氏である。この昭和27年に池田太作が戸籍上、正式に「池田大作」に変名している。少なくとも当時、戸籍上、正式に変名することは不可能であった。超法規的な処置として行われたと考える意外にはない。政界の超大物の鶴の一声があれば超法規的な処置は行われうる。

 A氏の創価学会(正確には日蓮正宗)への入信が本当に信仰的なことから行われたのか、便宜上、形式的に行われたのか、判断に苦しむところである。A氏の入信の年から池田大作は大蔵商事の高利貸し業を止め、創価学会の活動に参加そして専念するようになった。これらは偶然の一致とは思われない。

 また、大阪事件を必ず考えなければならない。大阪事件とは以下のようなものである。

 1957年(昭和32年)4月に参議院大阪地方区の補欠選挙が行われ、創価学会は中尾辰義を立候補させた。中尾は落選したがその選挙期間中に創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者達に候補者名の氏名の入ったタバコを渡した。タバコ以外にもタバコの中に五百円札が入っていたとも言われている。大阪地検は当時の学会本部の理事長・小泉隆と学会の渉外部長・池田大作をはじめ創価学会員ら45人を公職選挙法違反で逮捕した。

 戸田城聖氏は、幹部をはじめ創価学会員ら47人が公職選挙法違反で逮捕されたことにすばやく対応した。小泉・池田以外の選挙運動に動員、起訴された創価学会員45名を会長名で即刻除名処分にし、小泉・池田の即時釈放を要求する大会を開催した。

 公判が始まると小泉はすべてを否定したのに対し池田が勾留段階で検事の調べに対し、自白して署名したことが明らかになった。裁判の中では一転して、池田は嫌疑を否定した。そのため公判の争点は、自白の信用性の有無や、戸別訪問を池田自身が指揮したかにあった。

 昭和37125日大阪地方裁判所判決(田中勇雄裁判長) 池田大作:無罪。小泉隆:無罪。除名された創価学会員:罰金刑20人、公民権停止17人。

 この戸田城聖氏の判断もCIAの命令と解することができる。戸田城聖氏もCIAの操り人形に過ぎなかったと考えられる。すなわち創価学会は戸田城聖氏の時代からCIAの操り人形に過ぎなかったと考えられる。また、それ故に、創価学会は奇跡的発展ができたと考えられる。

 この裁判が余りに矛盾に満ちていることは容易に察することができるだろう。この裁判の裁判長はCIAから脅されていたという説が最も信用できる。池田大作はCIAが味方に付いていることを考え、このような明らかに悪質な選挙違反を躊躇することなく起こしたと考えられる。

 CIAは金融ユダヤ権力と訳すことができる。代々のCIA長官はユダヤ人である。現在のアメリカは金融ユダヤ権力に支配されていると言われる。

 第2次世界大戦は金融破綻したアメリカのCIAが陰謀的に引き起こしたと言われる。山本五十六は二年間、アメリカのハーバード大学に留学していたが、このときにCIAのスパイに仕立て上げられたと言われる。その他にも日本軍部の最高幹部達に数人のCIAのスパイが存在したと言われ、それらスパイたちが太平洋戦争を引き起こし、太平洋戦争に故意に負けたとされる。ミッドウェー海戦などは山本五十六たちが故意に失敗を起こして負けたと言われる。

 現在の中国での日本排斥運動もCIAが裏から動かしていると言われる。現在、アメリカの経済破綻は極めて深刻であり、戦争を起こし、借金を無にする作戦に出るしかないと言われる。中国、日本から、それぞれ千兆円の借金をアメリカは負っていると言われ、それを返す宛は全く無い。現在、アメリカは大学を卒業しても就職できるものは50%に過ぎないと言われる。日本も就職難であるが95%の就職率である。

 アメリカはしかし、圧倒的な軍事力を持っている。第3次世界大戦でアメリカが負けることはあり得ない。そのため、第3次世界大戦を誘発させ、世界の指導権を維持しようと狙っていると言われる。

 日本と中国の間に戦争を起こさせようと、現在、CIAは盛んに水面下で動いているが、日本の指導者は完全にCIAに靡いているが、中国やソ連の指導者は賢明であり、戦争は起こさないという見解が強い。

 しかし、日本とアメリカが共同で一方的に世界戦争を起こす可能性は高い。決して油断はできないと識者は一致して著書の中などで述べている。

 このCIAと日本の指導層との癒着は太平洋戦争時からであり、戦後、日本はアメリカの属国として存在してきた。創価学会イクオール公明党は完全にCIAと強く結びついている。

 創価学会とCIAの結びつきは太平洋戦争時からであり、創価学会の奇跡的な大発展は背後にCIAが控えていたからとさえ言われている。

 池田大作が金融業に於いて大成功し、戸田氏および創価学会の危機を救ったのは、CIAの援助があった故とされている。資金調達にCIAのスパイの援助があったとされる。創価学会が公明党を造り政界進出したのもCIAの命令であった、自民党と公明党が連立してアメリカのための政治を行い日本を疲弊させたのもCIAがバックに居て指令していた故と言われる。

 現在、日本に於いて、消費税の増額が行われようとしているが、消費税の増額で得られる金額は13兆円に過ぎず、現在、日本はアメリカの国債を100兆円持っているが、アメリカにその借金(国債)を返す能力は全く存在しない。しかし、それでも、現在も日本はアメリカの国債を10兆円単位で次々と購入している。アメリカの経済破綻を少しでも軽くさせようとしているのである。日本の政治家はほとんどがCIAがバックに居て指令している。

 消費税を増額すると日本の経済は必ず萎縮する。過去の2回の消費税の導入および増額を考えると明らかである。アメリカは日本の経済が萎縮することを望んでいる。日本の経済がこのまま健在であれば、世界の基軸通貨がドルから円に移ってしまうからである。消費税を増額を強く後押ししているのは先頃(12月16日)の不正選挙で出来た自民党と公明党の連立政権である。このことからも公明党は「売国党」と名付けることができる。

 日本人は「売国党」である公明党の実態に気付くべきである。事態は深刻度を深め、日本の危機にまで及んでいる。

 

 

*Why did Mr. Kiyoshi Toda Castle can not overcome alcoholism?

**どんぐり病院(〒000-0000 どんぐり市どんぐり町000-00)

Kobutsu MIFUNE000  psychiarty, 00000, 00000, JAPAN

Vvv23278@yahoo.co.jp

 

 

【参考文献】

邪教集団・創価学会:隈部大蔵、室生忠著:月刊ペン社:1975

創価学会の野望:内藤国夫:日新報道:1977

真実の証明:阿部日顕:日新報道:2001

絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007

池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002

再び、盗聴教団の解明:山崎正友:日新報道:2005

創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004

創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001

信平裁判の攻防———続々「月刊ペン」事件:山崎正友:第三書館:2002

法廷に立った池田大作——続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001

「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001

懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994

懺悔滅罪のために!:原島嵩、山崎正友:慧妙編集室:2007

池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989

私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五十年:矢野絢也:講談社:2009

黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録:矢野絢也:講談社:2009

闇の流れ 矢野絢也メモ:矢野絢也:講談社:2009

創価学会 もうひとつのニッポン:島田裕己、矢野絢也:講談社:2010

池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009

池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007

カルト創価の終焉:福本潤一、小多仁伯:日新報道:2010

創価学会・公明党「カネと品位」:福本潤一:講談社:2008

池田大作・創価学会の脱税を糾弾する:竜年光:日新報道:1994

 

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 社会不安障害と誤診されてきた統合失調症の一例

 

                             三船小仏青年*

 

【抄録】

 発症以来5年間、社会不安障害と誤診されてきた統合失調症を経験した。統合失調症発症は大学卒業時。大学4年の11月、同級生2人よりある女性問題にて因縁を付けられ暴行を受け、激しい頭部打撲を負う。近くの脳神経外科にて頭部CTを撮るも異常所見無し。この暴行に続いてこの暴行に関連する大学入学以来の片思いの女性よりの失恋も重なる。発症はその暴行と失恋に前後する。

 以来、社会不安障害の診断で精神科クリニックに通院する。ところが sulpiride  にて30kg体重が増えたとして本院来院。前医のとおり社会不安障害として治療してきたが明らかな統合失調症様症状が出現する。しかしrisperidone を投与始めると対人緊張がほとんど消失する。

 

【症例】27歳、男性。

主訴:対人緊張。

診断:重症対人緊張、緊張型(疑)。後、統合失調症と診断名が変わる。

家族歴:2人兄弟の第1子、精神科的遺伝負因なし。

既往歴:特記すべきことなし。

血液・生化学的所見:特記すべき所見なし。

神経学的所見:特記すべき所見なし。

頭部CT:特記すべき所見なし。

現病歴:大学卒業の年である4年時(22歳時)、12月頃、強い対人緊張を自覚。このとき、片思いの末の失恋や、数名の男性から暴行を受け頭部を怪我するなど、ストレスが重なっていた。

大学卒業後、どの仕事にも就いていない。(大学は自宅から電車で通っていた。)

 大学4年次の4月頃よりアパートの隣人に対する被害関係妄想とも取れる念を抱き始める。70歳ほどの老人がアパートの隣に一人暮らしで住んでいたが「その老人が自分に呪いを掛けている」などと思い始める。しかしこれは確かに隣人の70歳ほどの一人暮らしの老人は常に呪術者的な非常に奇妙な服装をしている。それだけでなく、患者の処の玄関先に訪問人が来たときなど近くに立って聞き耳を立て、訪問人が非常に奇妙な思いをしている。筆者もその経験が何度かある。それ故、そう考えるのも無理はない、と判断した。5月頃より、同じ大学の友人・知人たちは就職活動を始めたが、症例は父親の鮮魚店を継ぐ予定であったため、就職活動は行わなかった。両親は父と母で鮮魚店を営んでいる。症例は鮮魚店を継ぐことを考えている。3歳年下の弟が居るが、その弟は外向的で、また少なくとも真面目な性格ではない。弟は兄に親が買ってあげたスポーツタイプの自動車で毎日仕事に通っている。

 筆者初診時(平成X-1年8月16日)はA診療クリニックに通っていた。そこでは sulpiride 50mg 3T  3×、 fluvoxamine  25mg 6T  3×、 alprazolam 0.4mg  6T  3×、 flunitrazepam 2mg 1T  1×眠前 であった。 sulpiride  を処方されるようになってから、強い空腹感に襲われるようになり、この2カ月間で35kg太ったという。体重は97kgになっていた。そして本院へ転院希望して来院し、筆者が主治医となる。

「人の居るところへ行くと、緊張して、自分の表情が硬く強張り、周りの人に変に思われるし、迷惑を掛ける」「表情が硬く強張ると、周りの人に変に思われるので、人の居るところに行くのがとても苦痛なのです」と言う。性格の偏りは見受けられない。極めて素直で穏やかである。

 処方を fluvoxamine  25mg  6T  2×(1005)bromazepam 2mg  6T 3×、抑肝散 3P 3×にする。

 fluvoxamine は眠くなるということで眠前に集中させた。前医から投与されていた alprazolam は全く効果を感じないと言うため投与せず。

 2回目の診察時、待合室で待っているとき緊張して苦しいと訴え、症例は来院せず、母親のみ来院。以来、母親のみ来院するようになる。時折、電話にて症例と薬のことなどを会話することを行う。電話にては非常に素直。また、医院のすぐ近くに住んでいたため、筆者が夜、訪問したり、一緒にジョギングをすることも、しばしば有った。この状態が2年間続く。症例は昼間は両親が共働きであるため自宅に一人で閉じ籠もり、夜、母親とジョギングをするという毎日を送る。

症例は精神科の薬に対し非常に懐疑的になっており、前医で処方され服用して自身に合っていたという clonazepam のみ処方を希望する。clonazepam のみでなく漢方薬も処方すると言うと「自分は漢方薬が欲しかったのです」と笑顔で答える。clonazepam と漢方薬の抑肝散のみの処方とする。以来、この処方が続く。

 本人の“とじこもり”状態強いため、いつもの clonazepam と抑肝散の処方に、これを服用して外出するようメモし flunitrazepam 1mg 錠を加える。しかし flunitrazepam を服用すると「気分がハイになり、抑えが効かなくなった」と電話してくる。統合失調症の脱抑制と推測し、flunitrazepam の服用を中止するよう指示する。このとき、母親から症例の手記を手渡される。それは症例の対人緊張が発症した同じ時期である大学4年時の12月より書かれているもので、隣の一人暮らしの老人に対する被害妄想が綿々と記されてあった。risperidone を処方して母親に渡すも、症例は服用せず。

 免許証の更新も行くことができない、診断書を書いてくれるよう、電話で依頼があったが、更新に行くことを引き延ばしても結局行くことができない、それ故、 bromazepam 4Tでも5Tでも服薬して良いし、みんなから離れたところに座って講習を受ければ良いから行くよう、考える暇がないよう更新の直前15分前に電話し強く説得し行かせ、免許証の更新は無事できる。

 これより9ヶ月後、「近所の家から電波を頭に掛けられている、その家に抗議に行きたい」と電話を掛けてくる。筆者は医院よりすぐ近くの症例の家へ自転車で駆けつけ、症例とともにその家の玄関まで行き、この家は暴力団らしいから抗議したら物騒だ、などと言い含め(性格は極めて素直で穏やかである)、抗議することを中止させる。同時に risperidone を服用するよう risperidone を入れた処方箋袋を手渡す。risperidone 服用にて妄想は収まる。同時に対人緊張もほぼ消失。以来、risperidone 4〜6mg/日単剤服用(昼間服用。夜間の不眠はない。自ら服用量はコントロールしている。)し、現在、明るく元気になり、父親の営む鮮魚店を手伝っている。症例は、生来、神経質でない性格だった故に、妄想が治まるとともに対人緊張も消失していった。症例は、生来、神経質でない性格だった故に、加害念慮、忌避念慮が存在していたとき、そのときの対人緊張は強かったが、条件反射(緊張反射)はほとんど形成されずに留まったと推測される。

 最近、急激に体重増加したことと、気分転換のため、母親が仕事の終わった夜10時頃より、30分ほど母親とジョギングをしていた(薬は母親が取りに来るか、筆者がアパートまで持って行くか、患者はほとんど病院まで来ることはない。病院に来ると強く緊張するためと本人は言い訳をする。また最近はジョギングは母親が疲労するためと思えるが、10分間に短縮されていた。)。26歳にもなって母親としかジョギングしない、母親が疲労し病気になるから自分一人で走れ、と言うと電話を切る。母親にも同じことを言うとここでも同じく『私の息子は病気ですから。』と電話を激しく切る。母親自身が息子を重症の病気にしていることを理解しない。また自然食は少なくともこの時点では行っていない。

『10分しか走らなかったら、この病気は治らない。30分は走らないといけない。』と厳しく言うも『母親が疲れてしまう。』と弁明する。その弁明に著者は何も言うことができなかった。

 fluvoxamine 25mg  6T  2×(1005) 投与は昼間眠くなるということで最初の2回のみの処方にする。3回目の処方より fluvoxamine 25mg  5T  1×眠前 に変更。昼間の眠気こそ軽くなったが、しかしこれでも全身倦怠感で苦しいと訴えるため(僅かでも息子が具合悪くすると、母親はヒステリーを起こし、訴えるなどと逆上する。治療の課程で薬の試行錯誤は必要であること、また薬には必ず副作用があることを説明しても理解しようとしない。また息子も薬の副作用の小さな苦しさを母親に言う)、平成11年10月8日より fluvoxamine 25mg  3T  1×眠前 に変更。しかしこれでも全身倦怠感で苦しいと訴えるため10月22日より fluvoxamine 25mg  2T  1×眠前 と更に減量する。この処方で落ち着くかに思えたが、これでも苦しいと訴え、結局、平成12年2月9日の処方を最後に fluvoxamine の投与を中止した。

 また、一番良く効果があると患者自身が言っていた bromazepam を服薬すると夢幻様状態になる、精神的に高揚する、故に bromazepam の投与を中止して欲しい、と言うため、 bromazepam も中止する(平成X-1年11月24日)。そして bromazepam の代わりに clonazepam の投与を始める。

 平成X年2月23日の処方は clonazepam 1mg  6T  2×(303)、抑肝散 3P 3× のみの処方となる。

   そしてこの処方が続いた後、平成12年6月28日、患者自ら、抑肝散のみの処方を希望し、抑肝散 3P  3× のみの処方となる。夜、母親と軽いジョギング(10分ほど)は続けているが、食事療法は行っていない(しかし、夜のジョギングを疲れ果ててできないように昼間仕事に励むよう指導している)。現在、父親が経営している、父親と母親で行っている(主として父親が行っている)魚屋の手伝いをしている。客と接すると緊張してしまうため(緊張して顔が強張ったりして客から変に思われるようだ、と言う)、できる限り店の奥の力仕事をし、客と接しないようにしている。最初は2日に1度午前または午後のみ、働いていたが、筆者が毎日働くよう強く説得し次第に一日中しかも毎日働くようになってきた。

 ところが平成X年7月19日、『息子が調子が悪くなった』と母親が来院し、 clonazepam 1mg  6T  2×(303) 14日分 を受付で貰い帰る。調子が悪くなったのは benzodiazepine 系の薬を一気に絶ち、漢方薬のみにしたことと、例年にない暑さのためと考える。体重が最近急激に6kg 減ったという。

 21日、たまたま患者に掛けた電話で精神状態が悪いことを知り、etizolam 0.5mg  6T 3×、   flunitrazepam 1mg  2T  1×眠前  (非常に調子が悪いとき) haloperidol 0.5mg  1T 1× 6回分、以上3種類の処方をつくり患者のアパートへ持って行く。etizolam   flunitrazepam も普段は服薬せず、人中に出て行くとき、飴のように口に入れるよう指導しておく。

 7月28日、電話あり。flunitrazepam 1mg 働く前に口腔内で飴玉のように溶かして服薬したところ、抑えが効かなくなった、つまり燥状態になった、と言う。そして clonazepam 1mg  6T  2×(303)、抑肝散 3P  3× のみの処方で定着していた。 flunitrazepam bromazepam で軽度の夢幻様状態、精神的抑制の解除(脱抑制)が起こることから統合失調症を疑った。

 他院で sulpiride  を一日量150mg投与され体重が65kgから97kgになったため病院を代わりたいと筆者の勤務する医院へ来院した。

 発症して2年間は多少重篤な社会不安障害と診断され、その病名どおりに治療されてきた。また筆者も多少重篤な社会不安障害と診断し、その病名どおりに治療してきた。

 本院受診開始1年後、隣家の一人暮らしの老人に被害妄想を持っていることを手帳より知る。しかし社会不安障害としての治療を続ける。(漢方および軽い抗不安薬の投薬のみ)

 本院受診開始2年後、急性精神病状態となる。risperidone にて2週間後、小康状態となる。

 本院受診開始2年9ヶ月後、再び急性精神病状態となる。「近所の家から電波を頭に掛けられている、その家に抗議に行きたい」と電話を掛けてくる。筆者は医院よりすぐ近くの症例の家へ自転車で駆けつけ、症例とともにその家の玄関まで行き、この家は暴力団らしいから抗議したら物騒だ、などと言い含め(性格は極めて素直で穏やかである)、抗議することを中止させる。同時に risperidone を服用するよう risperidone を入れた処方箋袋を手渡す。risperidone 服用にて妄想は収まる。risperidone の服薬を一日半錠(0.5mg)のみ行っていたという。risperidone を一日3mg(朝・昼・夕、服用。眠前は服薬しない)に増量にて2週間後、小康状態となる。

 現在、家の仕事を手伝っている。0市で朝、0を選ぶのが楽しいと言う。

 

【考察】

 社会不安障害、それは孤独との戦いである。戦いに疲れている患者は日本全国に多数存在していると思われる。そして世界中にはもっと多数の戦いに疲れている患者が存在していると思われる。現在、ある種の抗うつ薬など社会不安障害に効能があるとされる薬剤が複数発売されている。しかしそれも軽快そして寛解まで持ってゆくことは重症の症例に対しては困難を極める。

 社会不安障害の患者にはリビドー(活力・精力)の亢進と抑圧が見られる。社会不安障害の患者は肉体的精神的過緊張を持つ、それがリビドーの亢進となる。また社会不安障害の患者は社会不安障害のため内向的に成らざるを得ない。そのリビドーの抑圧が肉体的精神的過緊張を形成する。その悪循環が形成されてある。

 社会不安障害は重症になればベンゾジアゼピン系抗不安薬なしには社会生活を正常に送ることは極めて困難である。“ひきこもり”に近い毎日からベンゾジアゼピン系抗不安薬を服用し始めると患者は生き返ったように“ひきこもり”を脱し、外向的で明るくなることが頻繁に見られる。

 社会不安障害と対人恐怖の概念は等しくなく相違が存在する。対人恐怖は、社会不安障害とほぼ等しい緊張型対人恐怖と、関係妄想・前分裂症症状を伴う確信型対人恐怖に分けられる。症例の場合は後者の確信型対人恐怖に分類される。

 社会不安障害の特徴は以下となっている。「自己の視線、体臭など身体的欠陥のため、周囲に不快感を与え(加害念慮)、結果として他者から蔑まれ避けられる(忌避念慮)。」

 社会不安障害とは「生来、神経質な性格だった故に、誤解を理解・納得したが、条件反射として存続している緊張反射」である。

 この緊張反射を解きほぐすのは、患者が神経質な場合、至難の業である。また、加害念慮・忌避念慮を理解・納得しても、患者が神経質な場合、加害念慮・忌避念慮もまた条件反射として存続することが非常に多い。

 症例では risperidone 3mg/日の服用により劇的に社会不安障害が和らぎ、それまでの強い“ひきこもり”より脱し、家業を不足なしに手伝えるようになった。この症例は統合失調症の妄想に依る激しい社会不安障害を示していた。症例はそれを妄想とは思わず真実と思っていた。このような例も少数存在すると推測する。この症例には肘で脊柱起立筋などの筋肉の緊張を解きほぐしてゆく方法すなわち肘圧療法が奏功していた。

 社会不安障害は肉体的過緊張と精神的過緊張がその基盤に存在している。そのため筆者は社会不安障害の患者の肉体的精神的過緊張を弛めるため、社会不安障害の患者を診察台にうつ伏せに寝かせ、後背部を肘で圧して脊柱起立筋を弛める治療を行うことがよくある。社会不安障害の患者の脊柱起立筋は共通して異常に硬化している。その硬さが精神的過緊張に繋がっていると確信している。また、精神的過緊張が脊柱起立筋の異常な硬化を招いていると確信している。この肘圧療法を受けた患者は、身体だけでなく心も解れる、と共通して言う。

 仏教には「心身不二」という思想がある。心と身体は別ではなく同じである、という考えである。故に「身体を解せば心も解れる」との考えの下に肘圧療法を施す。     

 ストレスが肉体的精神的過緊張を生み社会不安障害が発症すると考える。また、肉体的精神的過緊張という基盤の下にある種のストレスが加わり社会不安障害が発症するとも考える。そしてその肉体的精神的過緊張という基盤が弛むとともに社会不安障害も軽症化してゆくと確信する。しかし生来、神経質な性格だった患者の一度形成された肉体的精神的過緊張の悪循環を軽くすること・消失させることは非常に難しい。

 筆者は社会不安障害の患者全員に運動を強く勧めている。また、できる限り激しい運動を行うよう強く勧めている。社会不安障害の患者は若く、元気である。またリビドーの鬱積がある。激しい運動を行うことにより肉体的精神的過緊張は弛んでゆく。そして心の過敏性も軽快してゆく。肉体的精神的過緊張を弛めるよう、できる限り激しいスポーツのスポーツクラブに入るように強く勧めている。柔道、ラクビー、ボクシングなどを勧めている。これらはまた、症例の孤独を防ぐためにも勧めている。

 これら激しいスポーツにより社会不安障害が軽症化傾向にある患者を複数経験している。

 症例は、生来、神経質でない性格だった故に、妄想が治まるとともに対人緊張も消失していった。症例は、生来、神経質でない性格だった故に、加害念慮、忌避念慮が存在していたとき、そのときの対人緊張は強かったが、条件反射(緊張反射)はほとんど形成されずに留まったと推測される。

 

【文献】

1) 山下格、笠原敏彦:対人恐怖症の概念と臨床像.精神科Mook No.15、金原出版、東京、1985

2) 山下格:対人恐怖の病理と治療.精神科治療学.12(1)9-131997

3) 山下格:対人恐怖.金原出版、東京、1997

 

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注)この症例は創価学会員である。祖父が草創期より毎日3時間の唱題を欠かさないという強信である。親または祖父母が熱心な創価学会員の場合、子供に精神障害が好発している。これは創価学会の活動家ならば認識している人も多い。少なくとも副会長クラスは認識している。

 創価学会の信仰は行うべきではない。少なくとも熱心に行うべきではない。自分が良くても、子供や孫に精神障害が起こることが極めて多い。創価学会の精神科医は認識しているはずであると思われる。

    

 

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00000000自殺した26歳青年

 

                             *

 

【はじめに】  

 発症は高校1年時。11年間、大学病院を始め、様々な病院に「うつ病性障害」の診断の下、通院入院を繰り返していたが、軽症化の傾向が見られなかった。なお、電気ショック療法は再三勧められたが、受けなかった。

 最近、ある医院に転院し「統合失調症」との診断・告知を受け、risperidone の投与を受け始める。症例(以下、U君とする)は長年の激しい倦怠感から解放されたが、新規の抗精神病薬による「悲しい絶滅的な現実の認識」が起こり、自ら命を絶った。U君の周囲には「統合失調症への古い偏見」が強く存在していた。

 

【症例】

 4人兄弟の末っ子。母親はU君が小学生の頃、病気で他界した。以来、父親と4人の兄弟で育ってきた。

 小さい頃より著患無し。3人の兄は00の繁華街である00に於いて3人で料理店を営んでいた。U君も手伝いに行くこともあったが、その料理店に手伝いに行くと目が回るような強い倦怠感に襲われ横になっていることが多かったという。

 U君は幼い頃より剣道を行い、中学・高校時代も剣道を行う。しかし高校1年の終わり頃、強い倦怠感を自覚。また朝の起床困難が始まる。様々な医療機関を回り、結局、「慢性疲労症候群に良く似た病態」または「うつ病性障害」と診断された。そして抗うつ薬(三環系)を投与される。抗うつ薬を服薬しているときは倦怠感は軽減していた。しかし抗うつ薬の副作用のため授業中の居眠りが極めて多く、意志強固なU君も眠気に打ち勝つことができなかった。そのため抗うつ薬の服薬を中止する。そして再び多数の医療機関を受診する。しかし「慢性疲労症候群に良く似た病態」または「うつ病性障害」という診断と治療法は同じであった。U君はそれ故に剣道の練習も休みがちとなり、期待されていたにも拘わらず、高校時代、剣道の実力は伸び悩んだ。それでも幾つかの大学から剣道での特待生の勧誘を受けたが、倦怠感強く、大学での厳しい練習に付いてゆく自信が無く、特待生の勧誘を全て断り、高校卒業とともに00港の仕事に就く。

 筆者初診時、倦怠感の訴えのみであり、抑うつ・意欲減退・低い自己評価・睡眠障害などは存在しなかった。また、抗うつ薬(三環系)を服用して仕事場までクルマの運転を行っていたため、居眠りによる事故を何度も起こし、借金で苦しんでいた。

『膝から下がこんなにパンパンに張っているのです。これだから身体が怠いのだと思います。』とU君は主張した。U君の下腿は確かに異常なほど強く張っていた。

 そして「慢性疲労症候群(疑)」「うつ病性障害(疑)」の診断の下(U君には「慢性疲労症候群もどき」「うつ病もどき」と言っていた)、鍼治療を下腿を中心に来院の度に施行し、抗うつ薬を主要処方とする投薬治療も平行して行ってきた。しかし、病状は一進一退であった。

 うつ病性障害に特有の、朝の起床困難、午前中に強い倦怠感が存在しないため、抗うつ薬に上乗せする方法で haloperidol 1.5mg/daytrihexyphenidyl  2mg/day を試験投与したが、倦怠感が強くなるのみで1週間で投与中止とする。次に、同じく抗うつ薬に上乗せする方法で bromperidol 3mg/daytrihexyphenidyl 2mg/day を試験投与したが、これも倦怠感を強くするのみで1週間で投与中止とする。また、これも抗うつ薬に上乗せする方法で sulpiride 400mg/daytrihexyphenidyl 2mg/day を試験投与したが、倦怠感が強くなるのみであり、1週間で投与中止とする。

 筆者が故郷に帰る直前に『うつ病が起こった原因が分かれば、うつ病は治る、ということを聞きました。自分は高校1年の3学期にある友人と諍いを起こし、その友人も自分も傷付きました。その友人も自分も悪かったのです。今、思えば、幼い故の正義感のぶつかり合いでした。同じ剣道部の友人でした。それが自分の病気の原因と思えます。』と主張始めた。

 筆者が故郷の病院に転職したのちも頻繁に電話を掛けて来て、当直中に1時間近く話をしたことも多々ある。

 4月29日夜、当直先の病院にU君より電話が掛かってくる。

『最近、ある医院に転院しました。そこで「統合失調症」と診断を受け、risperidone  1日3mg の服用を始めました。すると長年の強い倦怠感が消失しました。自分の11年間の激しい倦怠感は「うつ病」ではなく「統合失調症」だったんです。』という内容だった。長年の強い倦怠感から解放され、喜ぶべきと思ったものの、U君のいつもの元気な声は沈み込み果てていた。そして、いつもの長電話がそのときは非常に短かった。

 5月3日夜、再び、当直先の病院にU君より電話が掛かってくる。そして自身が統合失調症という世間で最も忌み嫌われている病気である事への苦しみを長々と述べる。筆者はU君に言った。『統合失調症は忌み嫌う病気ではない。忌み嫌うべきものはエゴイストという病気だ。イジメなどに見られるエゴイストという病気だ。U君のは病気に入らない。エゴイストこそ、どんな薬も効かない、最も忌み嫌うべき病気だ。その病気つまりエゴイストに罹っている人間は沢山いる。現在の社会はエゴイストに覆われている。いや、ずっと昔からエゴイストという病気は恵まれた人間に偏蔓している病気だ。U君のは薬が効くから軽い病気だ。U君にはエゴイストが無い。だから立派な人間だ。U君はエゴイストがないからとっても素晴らしい人間だ。U君ほど立派な人間はあまり居ない。U君のような人間で世の中が一杯になれば世の中は幸せになれる。それなのに世の中はエゴイストに満ち溢れている。これはどうしようもない悲しい現実だ。U君の考えていることと全く逆だ。U君は悲観する必要は全く無い。生き抜くんだ。』

 しかし、5月6日、U君はビルの10階より投身自殺する。

 U君は長年の強い倦怠感から解放されたが、「悲しい絶滅的な現実の認識」により死を選んだ。

 

【手紙】

『00先生へ

 僕が統合失調症と診断されて統合失調症のクスリを飲み始めてから、高校一年の終わり頃からの激しい倦怠感が消えました。しかし、自分は自分の存在を消してしまいたい。00先生からは7年間、面倒を見てもらい、ありがとうございます。あの頃は倦怠感が強くて大変でしたけど、毎日が楽しかったです。希望がありました。

 毎朝、電話で起こしてもらって有り難うございました。00先生も「うつ病」で苦しみながら毎朝、携帯に電話で起こしてもらって有り難うございました。でも、僕から電話をして00先生を起こす方がとっても多かったですけど。

 あの頃は僕より00先生の方が「うつ病」が重くて苦しかったのに有り難うございます。あの頃は苦しかったですけど楽しかったです。でも今は、自分は自分の存在を消してしまいたい。

 そして、あの頃、リタリン欲しさに迷惑をかけてすみませんでした。でもリタリンを飲んでいるときは、いつもの倦怠感から解放されていました。リタリンを飲んでいる間だけでしたけど、普通の人と同じように働くことができていました。

 自分は何だったのでしょう。自分の存在は何だったのでしょう。自分の存在の意義は何なのでしょう。自分の存在の意義は無いと思います。自分は自分の存在を消してしまいたい。

 他にも、お世話になった人に手紙を書かなければなりませんので、この辺で失礼します。本当に有り難うございました。

 自分は自分の存在を消してしまいたい。

                                                                           

                                                                                                                                             Uより  』 

 

 

【考察】

 U君は、「うつ病性障害」「慢性疲労症候群(疑)」との診断に依り心の平衡を保ってきた。しかし筆者が00を去ってから様々な精神科医院を受診し、最後に付けられた診断名が「統合失調症」であった。それは自殺を決行する1ヶ月前のことになる。

 筆者はU君が、本院来院まで数年間、大学病院精神科に「うつ病性障害」の診断のもと治療を受けていたこと、そして典型的な「うつ親和性性格」であることより、「うつ病性障害」に準じた治療を行っていた。しかし「うつ病性障害」に特有の日内変動を欠くことより「慢性疲労症候群に類似した病態」が適切と認識していた。

 筆者が00を去ってより下腿への鍼治療の施行が無くなり薬物療法のみになったためU君の精神状態が急激に変化と悪化を来したとも考えられるが、筆者が00を去ってよりU君の電話での声、そして話す内容は、筆者が00に居るときのように健全であった。妄想などは無かった。しかし、ただ、筆者に、それらしいことを語らなかっただけなのかもしれない。

 risperidoneの副作用として5%未満の頻度で自殺企図があることが認められている。U君の場合も、この副作用が関与していることは否定できない。

 risperidon を1日3mg 服薬すると健康な人と同じように働くことが可能になっていた故に惜しまれることであった。

 もともと非常に真面目だった故に、新しく仕事を探して真面目に働き始めている、と筆者は確信していた。

 U君は精神科の病気、特に統合失調症への強い偏見故に殺された悲しい一例である。未だ精神科の病気、特に統合失調症を強く疎んじる傾向は日本では強い。これは早急に改めなければならない切実な問題である。

 

 

 

   --------いつも明るく人気者であった今は亡きU君に捧げる---------

 

 

注)この症例も創価学会員である。聖教新聞啓蒙で10部を達成し表彰されたこともある。これは本当に10部啓蒙したのである。ある知人の家の啓蒙に行ったとき『そんなに身体が怠くて困っているなら焼き肉を食いに行こう。でも聖教新聞は取らないよ。聖教新聞を取る代わりに焼き肉を驕って上げる』と言われ焼き肉を食いに行ったこともあるという。新聞代はこちらが持つから聖教新聞を取ってくれ、ではなかった。純粋に10部啓蒙したのである。選挙のときもFなどで常に断トツのトップの成績であった。真面目であった。月曜日の協議会にも真面目に参加していた。

 この症例は『創価学会に入ると“うつ病”が治る』と言われて創価学会に入会したのである。真面目で人なつっこかった。母親も病気が治ると創価学会に入会したが病気は治らずに自殺した。親子二代続けて創価学会の信仰に入り自殺したのである。母親の自殺のことを症例は知らなかった。父親と兄たちだけが知っていた。症例は4人兄弟の末っ子である。母親の自殺のことがあり、兄弟は創価学会の信仰に大反対であった。そのため家に御本尊を安置することができず、地域の拠点になっている家に毎日、勤行唱題に通っていた。朝早くからの仕事であり、朝4時にはその拠点に行って一人で勤行唱題を行っていた。その拠点は家の離れにある誰も住んでいない家であった。筆者のアパートで勤行唱題をしていた時期も一時ある。

 筆者が主治医であったが筆者が00から去り00に移転した後、ときどき電話してきていた。“うつ病”(疑い)は変わりなかった。

 折伏した人から「自殺した」と電話が掛かってきて驚いたものだった。筆者がその折伏した整体院を経営している人の処へ紹介して行かせ、そこで折伏を受けて入会したのだった。その頃、筆者は“うつ病”に罹患する前であり、脳外科で働いていた。そこへ身体が怠い、慢性疲労症候群ではないでしょうか、と来院したのであった。

 その整体院を紹介したのは、同じ男子部で活動している人が経営していたので紹介したのである。症例が創価学会に入った責任の一つは筆者にある。また、自殺の責任も筆者に半分ぐらいある。

 

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【研究と報告】

 S会に多発する精神障害の考察*

 

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【抄録】

 日本最大の宗教団体・S会には昭和30年代の折伏大行進の頃、祈祷性精神障害に分類されると思われるが、躁状態を呈した急性精神病状態が多発し、緊急入院となる会員が非常に多かった。折伏大行進は昭和45年の言論問題で中止となったが、それ以降もS会には様々な精神障害が多発していることは精神科医の間では常識である。これもお祈り(勤行唱題)を熱烈に長時間するためであり、祈祷性精神障害に分類される。

 平成5年以前は「力を込めて、熱烈にしなければいけない。長時間すること」とお祈り(勤行唱題)の指導が常識的に為されてきた。

 

 key wordsPrayer mental disorder, acute psychotic state, souka-gakkai,                                      

 

【はじめに】

 平成5年にS会が派生した元々の宗教団体であるN宗からの独立と時を同じくして、その「力を込めて、熱烈にしなければいけない」とお祈り(勤行唱題)の指導が為されなくなった。

 その頃、時を同じくして、S会員にうつ病性障害が異常多発していることが認識され、S会中央より「勤行唱題を熱烈にすること、および長時間すること、を強制する指導をしてはいけない」という通達が為されたと筆者は聞く。

 

 

【症例】

(症例1)

 女性。平成7年頃、三十歳のとき、会社の上司から勧められて入会した。夫の反対より御本尊を家に安置することができず上司の家に毎日通って勤行唱題を真面目に行っていたところ胸騒ぎがして落ち着かなくて困るようになる。勤行唱題を中止したらその胸騒ぎは止むことを提言するも頑として反対する。勤行唱題を開始して3ヶ月が経過していた。

 抗不安薬に依る治療が開始された。始めこそ奏功したが薬の量は次第に増加し、やがて抗不安薬のみでは抑えることができなくなり、抗精神病薬を必要とするようになる。幻聴・幻覚は否定する。精神不穏激しく、抗不安薬(ベンゾジアゼピン系抗不安薬)にてはその精神不穏を抑えることが出来ない。

 頭部CT上、特記すべき所見は認められない。

 

(症例2) 

 御本尊を持って他患を叩くこの病院一の問題患者。この御本尊は平成五年から配られた“魔”の御本尊である。婦人部地区部長をしていたが十数年前にこういう状態になった。精神障害の家族歴がない(血縁に精神障害を患ったことのある者が居ない)。

 どのような抗精神病薬も効かず、保護室への入退出を繰り返している。精神障害の薬物療法が発達してきた現在、どのような抗精神病薬も効かないという患者は珍しい。頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。

 性格は激しい。暴力行為を行っても反省することはない。表情は常に険しく精神療法の受け答えも反抗的である。(ここまでは3ヶ月ほど前の状態。現在は受け答えにほとんど反応しない完全な痴呆状態に陥っている)

 現在、53歳であるが、精神荒廃が激しく、痴呆症状が大きく前景に現れるようになり、ベットに抑制状態が続いている。

 

(症例3) 

 小学四年生の少女であるが霊の姿が見えると言う。その霊の姿は極めて恐ろしく、少女はその霊の姿が見えるたび「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶ。幻聴を訴える患者は多いが幻視を訴える患者は多くはないこと、まだ小学四年生であること、それも「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶほどであることは極めて珍しいことであるため大学病院にて入院治療を受けていた。どのような抗精神病薬も余り効果が見られない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。

 一族全員、熱烈なS会員。親は恐怖に泣きすがる娘を抱いて懸命に唱題するのみである。

 

(症例4)  

 四十七歳、女性。二十歳の頃、東京にI氏に会いに行ったら「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。東京で行われた女子部の幹部会だったらしい。診察のたびに「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。個人的に東京にI氏に会いに行ったものとも推測される。詳細は不明。

 病状は不安定である。抗精神病薬への反応が悪い。高校生の頃、題目を上げすぎて統合失調症になったと言う。

 会話に人の良さ、人があまりにも良すぎること、心が純粋すぎること、が伺われた。また、人を疑うことは全くしないように思われた。その心の美しさと純粋さに筆者は感動を覚えたほどであった。

 毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。S新聞を毎日熱心に読んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。

 

(症例5)  

 社会人になって職場の上司から折伏されS会の信仰を始める。信仰を始めてしばらく経ったとき、幻聴が聞こえるようになる。奇行、異常言動、暴力行為が出現。精神科受診。統合失調症と診断される。昭和44年発症。

 3年間、通院治療を受ける。その間、「病気が治らないじゃないか!」と御本尊に御不敬(注;破ったり汚したりすること)をしたと言い、その罪悪感に現在も苦しんでいる。

 暴力行為と仕事を続けられないため、入院となる。入院して30年以上経過している。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。「S新聞は要らない、I氏の講演集が欲しい」と言う。題目を一日何時間も上げることが多い。S新聞を毎日熱心に読んでいる。面会はない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。

 

(症例6)   

 男性。発病は漁船に乗り始めてしばらく経った頃と推測される。漁船の中で題目を上げすぎて統合失調症を発症したと言う。

 発病はその地方に始めてS会が布教されたときであった。昭和30年代のことになる。

 精神病院入院となったが、ある日、土木作業のとき、日頃から快く思っていなかった看護師を背後から鉄の棒で頭を強打する。打たれた看護師は頭蓋骨骨折、脳内出血で半身不随となった。この患者には「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい(頑張れ、という意味)」という幻聴がよく聞こえてくる。部屋に御本尊は安置しているが、勤行は同室者から「喧しいからするな!」と言われ、題目三唱しか行ってない。

 入院して40年が経過している。面会はない。S新聞を毎日熱心に読んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。

 

(症例7)   

 男性。隔離室への入退出を頻繁に繰り返している。高校時代、題目を挙げすぎて統合失調症になったと言う。この患者も「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい」という幻聴が激しい。御本尊を所持しているが、しかし、安置はしていない。安置する能力が失われている。隔離室に入っていることが多く、勤行唱題はほとんどしていない。一日中、何をすることもなくボンヤリしている。入院は35年に及ぶ。家族の面会はない。時折、暴力をふるい、隔離室へ入らせられる。暴力をふるうときは頭が真っ白になって何が何か解らなくなると言う。どのような抗精神病薬もあまり効かない。

 器質性精神障害を考えられるも頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。

 現在は、荒廃状態激しく、会話はほとんど成り立たない。家族の面会はない。S新聞を取っているも全く読んでいない。

 

(症例8)  

 男性。小学生時代から統合失調症と診断されていた。小学生時代からS会の熱烈な信者。

 小学六年生の頃にはある日曜日、キリスト教会に宗教問答を挑みに行ったことがある。統合失調症のため幼い頃から一所懸命にS会の信仰をしてきた。高校時代は毎日三時間、題目を上げて乗り切ったと言う。題目を一日三時間上げていた高校生の頃は学級委員長にも選ばれたと言う。

 ケーキ屋のケーキ職人をしてきたが失敗が多く、ケーキ屋の肉体労働の方に回される。ここで腰を痛め、就労困難になる。それでも腰の痛さに耐えながら重い小麦粉の入った袋を運んでいた。信仰の熱心さは不変でN宗との第二次戦争(平成2年末に始まる)の時は軽トラックに乗り、メガホンで「くそ坊主、死んじまえ! くそ坊主、死んじまえ!」と叫び回っていた。入院することはほとんどなく、通院治療を行っている。幻聴の内容は不明。S会員からは「I氏に批判的だったため、あんな病気になった」と陰口を言われている。しかし、彼は幼い頃からI氏を神様とも崇めるほどI氏一筋の熱心な、そして狂信的な信者である。

 

(症例9)   

 男性。大学卒業の22歳時発症の統合失調症。しかし六年間、社会不安障害(対人恐怖症)として治療されてきた。対人緊張が非常に強く、人混みに出て行くことも極めて憚れていた。その六年間、ほとんど閉じ籠もりを続けてきた。発症6年後、「向かいの家から自分の頭に電波が飛んでくる。その家に抗議に行きたい」と病院に電話が掛かる。この時点で統合失調症と診断が付く。

 性格は非常に温厚で、人の悪口を言うことは決して無い。非常なお人好しである。

 家族親族に精神疾患の家族歴は全くない。何故、彼が統合失調症に罹患したのか判断が付きかねた。

 母親は余り熱心でない婦人部員。父親は非S会員。しかし、祖父が何十年も前(おそらく昭和三十年代であろう)から一日三時間の題目を欠かさないという非常に剛信なS会員。

 

(症例10)   

 女性。30歳発症の統合失調症。母が幼い頃に亡くなり、父親と姉と三人で暮らしてきた。小さい頃から知恵遅れと心臓の病気があり、父親が「その病気が治るなら」と一家三人全員でS会に入会した。初めは父親も熱心に信仰に励んだ。折伏も行った。数年間、非常に熱心に学会活動に打ち込んだ。しかし、娘の病気は治らなかった。父親は信仰を中止する。

 勤行唱題するのは知恵遅れと心臓の病気を持っている妹の方だけで、姉も父親も勤行唱題はしなかった。平成七年、父親はS会幹部と激しい諍いを起こし、S会を一家全員で脱会する。妹の方はそれでも勤行唱題を朝晩欠かさずに続ける。父親は信仰をする気は全くなく、H講に入講することは行わなかった。すなわち、どの宗教団体にも属さずに、家にはS会の仏壇と御本尊がある状況だった。それは娘(妹)が御本尊から離れたくないと主張するからであった。

 妹だけが朝晩、大きな声で勤行唱題を続けていた。平成五年に御本尊はS会が勝手に造った御本尊に替わっていた。

 平成八年、勤行唱題を熱心に行っていた妹が統合失調症を発症する。入院後も、大きな声で朝夕、勤行唱題を行っている。大きな声で勤行唱題をすると周囲に迷惑が掛かると注意するも、知恵遅れな処があるため、なかなか小さな声で勤行唱題をするようにならなかったが、次第に小さな声で勤行唱題を行うようになった。

 心は極めて純粋で美しく、人を悪く思うことが出来ない。

 

【考察】

 これらの精神障害に苦しんでいるS会員の数は極めて多く、それは全てI氏がS会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためと批判されている。

 以前「折伏教典」という本があり、草創期の会員はそれを片手に折伏に回っていた。その中に「身延派は精神異常者が多発する」という記載があった。しかし現在、S会にそれが起こっている。現在、「折伏教典」は手に入らない。S会はI氏の時代になり見延派と同じになったことになる。

「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「パーソナリティ障害」など他の精神障害は昔も現在も変わりなくS会に非常に多発している。そしてそれは「新入会者よりも古くからの強信なS会員の家に多く起こっている」のである。S会の幹部の家は学会活動で子供の教育に手が回らず自然と子供は非行化するという意見があるが、それは不十分な説明である。I氏が招き込んだ無数の悪鬼が暗躍していることを考慮しないことには説明が付かない。

 たしかにS会の幹部の子供は余りにも高い確率で非行化している。同時に余りにも高い確率で「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「境界例」などの精神障害に罹患している。I氏がS会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。また、それはN宗(N宗)を蔑ろにしたI氏の醜い欲望にある。

 そして東京のS会本部には毎週、精神科医が来ている。S会本部職員およびその家族にうつ病性障害などの精神障害が異常多発しているからである。13)

 S会本部の職員数は多い。おそらく周囲のS新聞社などからも患者が来ていると思われる。S会本部に精神科クリニックがあることと同じである。薬は処方せずカウンセリングだけのようである。薬を処方するならばクリニック開設の手続きをしなければならない。精神科クリニック開設の手続きはS会の体面上、行えない。薬の処方が必要ならば近くのS会専門の精神科クリニックに行けば良い。

 S会専門の精神科クリニックで賄えないほどS会の精神障害多発は深刻な状況である。筆者が真面目にS会の信仰を行っていたときは異常な多発でうつ病性障害で苦しんでいるS会員の半分どころか四分の一、それどころか十分の一も家庭指導に回れなかった。N宗H講では少なくとも筆者が知る範囲では精神障害が起こった例を知らない。やはりS会(I氏)の謗法に由来する精神障害の多発らしい。 

「統合失調症は入会させるな!」「精神疾患は入会させるな!」「S会に傷が付く!」「我々、S会は選ばれたエリートの団体です」と20年以上前ある大きな会合でI氏が偉そうに言い放っている。

 これは宮崎勤の事件で世間が騒然となっていたときのことと記憶する。宮崎勤は3人の精神鑑定医から「パーソナリティ障害」「統合失調症」「多重人格障害」と異なる結果が出ている。宮崎勤は友人から誘われS会に入会しようとしていたと言われる。

 同時放送だったか、何年前だったか、記憶が定かでない。何かの大きな会合の放送であった。会合が終わったとき創価班で「今の話、聞いたか?」とみんなで訝しがったことを覚えている。S新聞では、すべて削除されていた。筆者は創価班の仕事をしながら聞いていた。

 その言葉を聞いたとき「これが不幸な人を救う仏の団体か? そしてそのトップが言う言葉か!」と激しく煩悶した記憶がある。I氏もそれらが「新入会者よりも古くからの強信なS会員に多く起こっている」という認識が少なくとも当時は無かったと推測される。

 それ以来、統合失調症の患者は原則として入会できず会友に留まることになった。「何十回、座談会に参加しても自分から進んで会合に何十回参加しても会友止まり」ということであった。「御本尊は絶対に渡されない」ということであった。しかし、これはその担当地区の壮年部本部長の主観に依るものになっているようだ。その他の精神障害の患者は入会できるようだ。しかしこれにも地域差——壮年部本部長の主観——がかなりあるようである。

 同じ創価班の友人が統合失調症である知人を入会寸前まで世話してきていた。しかしその創価班の友人もI氏が言い放った同じことを聞き非常に悔しがったことを昨日のことのように思い出す。その統合失調症である知人は十何回も会合に自ら進んで参加していたのである。勤行唱題も行っていた。しかし会友止まりで入会は許されなかった。御本尊授与も許されなかった。いつも御本尊のない仏壇で勤行唱題を行っていた。会友止まりであった。現在は行方不明になっている。のたれ死にしたか何処かで浮浪者になっていると思われる。

 あんな滅茶苦茶な指導がなかったらと友人は今でも非常に悔しがっている。彼の属する壮年部本部長は、御本尊を与えること、および入会させることを頑なに拒んでいた。心の狭い頑なな壮年部本部長であった。

 昔からの会員に統合失調症およびその他の精神障害を発症した会員は非常に多い。しかし彼ら彼女らは誰よりも熱心に信仰をしていたのである。あまりにも熱心に信仰をし過ぎたから精神疾患に冒されたのである。それをS会ではその人の信仰がなっていなかったからだと非難している。

 統合失調症およびその他の精神疾患の患者はS会に於いて邪魔でしかないのである。「S会に傷が付く」「我々、S会は選ばれたエリートの団体です」と同時放送でI氏が偉そうな調子で言い放っている。

 また、これも後で聞いたことであるが、I氏が「統合失調症の患者は除名にせよ。学会に傷が付く」とある会合(社長会)で言い放ったそうである。このI氏の放言からは信仰者としての優しさも慈悲も何も感じれない。ただ権力者の横暴と増上慢(自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)そして妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder))のみが感じられる。

 精神疾患とくに統合失調症は一般に世間から隠すことが多い。S会では病気になるのは信心が足りないからと言われる。これはS会の邪義である。邪義であることは日蓮大聖人の御書を読めば解る。N宗では決してそういうことは言わない。病気という宿業が出てくるほど熱心に信仰をしたからである。

 S会ではそれ故に病気を隠す傾向が強い。I氏の次男が胃潰瘍の末、胃穿孔で亡くなったことも病気を隠すため懇意なS会員の産婦人科医の病院に入院させていたからである(しかも偽名を使っていた)。そのため大きな病院に搬送するのが遅れた。普通の内科系の病院に入院させていたら手遅れになり死ぬことは間違いなく無かった。胃穿孔で亡くなることは現在ではほとんど無い。

 これらはもちろん極く一部である。S会の信仰をしたために統合失調症になり一生を棒に振った人は数知れない。精神病院にはそういう人が数多く収容されている。これはもちろんS会では秘密にされていることである。一般のS会員は知らない。

 現在、東京に在るS会直属の精神科クリニックで精神障害の治療が盛んに行われているが、これは極く一部のS会員が治療を受けているのみである。当然、患者数が余りにも多過ぎることと、患者が日本中に存在するからである。ここは入院設備はなく外来診療のみである。現在はうつ病性障害が極めて多くなったため患者の大部分はうつ病性障害である。ここは何故か通院一割負担は適用されず、すべて三割負担である。管轄の保険所から圧力が掛かっているものと推定される。

 ここでの治療の指導には特徴がある。それは「勤行唱題の絶対禁止、学会活動の絶対禁止」である。インターネット上でこの指導を見る精神障害の患者たちは、信仰熱心過ぎる故に精神障害になったのであるから、この指導に従わないことが普通である。しかも将来を期待されていた若い幹部が多い。「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」を唱えるということは、その精神科医はS会員に多発している精神障害はS会の信仰に由来することに気付いていた故と思われる。うつ病性障害で苦しむ熱心なある幹部はそれ故と思われるが、その指導を激しく非難していた。その指導を激しく非難するうつ病性障害で苦しむ幹部を幾人も見てきた。無理して勤行唱題する人は何時まで経っても“寛解”しない。

 

 昭和30年代40年代、S会はN宗に属する信徒団体ではあったが、実質上は別組織であったと言って良い。S会は単一の宗教法人としての申請を昭和26年に行っており、管轄する東京都はそれを受理していた。ここに問題がある。N宗に属する信徒団体ならば、そういう申請を行う必要性は全くない。ここが間違っている。

 すでに昭和26年の時点でS会は将来はN宗からの独立することを既に考えていたと考えられる。

 また、S会はN宗とは完全に独自な布教活動を行っており、N宗の寺院に参詣するS会の信徒は極めて少なかった。大多数のS会の信者にとってN宗の寺院は入信のときに入信の儀式を行うことと御本尊を受取るだけの機関に過ぎなかったと言っても過言ではない。N宗の寺院には極力行くな、という暗黙の了承が末端のS会会員にはあった。S会とN宗は、S会がN宗の信徒団体であったとは言えども、常に対立関係にあった。それは戦前からと言っても過言ではない。神札を受け取るか否かについてS会とN宗は意見を異にした。

 戦後、二代会長のときはS会とN宗は比較的良好な関係にあったが、三代会長になってからは始めの頃から激しい対立緊張関係にあった。

 完全に別組織となったのが平成3年のN宗のI氏に対する破門宣告の時である。それ以来、S会とN宗の争いは戦争と言われるほど極めて激しい。

 これらS会員に精神障害が非常に多発している現象はS会にはI氏が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからであると言わないことには説明が付かない。

 

 

(余記) 

 N宗(T寺)は私が知っている元県議会議員の統合失調症である娘さんを預かって働かせて(面倒を見て)くれている。この元議員はこのことでN宗に恩を感じH講に入った。S会を脱会しN宗のH講に入ったため公明党の支持を受けられず無党派のまま選挙に臨んだが敗北した。このときS会のこの議員への批難は凄まじかった。女性問題、金銭問題など有りもしないことを本当のようにS会員に流し、宣伝カーを使って激しく批難した。犬畜生のように批難されビラも撒かれた。そして毎日のように学会会館から幹部がこの元議員の家を訪問していた。もはやS会は完全なカルトである。昭和63年頃のことである(当時は、S会とN宗の蜜月時代である。しかし、末端はこのように激しく争っていたことが、これから証明される)。

 この地方には悪い大幹部は居ない(居ないと思う)。それらは中央からの命令で行われたものに違いない。中央からの命令で金銭問題などを巧妙に作り上げ、人身攻撃の材料とした。以前、その元議員とともに、この地方の広宣流布に懸命に戦ってきた大幹部は辛い決断であったと思われる。しかし、中央からの絶対的な命令で仕方がなかったのであろう。

 すでにこの頃、S会はN宗から離脱そして独立することを決めていた。早くN宗がS会を破門するのを待っていたと言って過言ではない。学会の幹部はすでにその頃、お寺を“魔”と言ってお寺に参詣することを会員に手控えるように(または決して行かないように)言っていた。

 統合失調症の娘を持った議員さんが登山したとき、N宗の人に娘のことを相談した。N宗の人は娘さんがS会員に冷たくあしらわれていることに憤慨し、「それではT寺で面倒を見ましょう。少し手伝いをさせたり、みんなと明るく談笑したり、みんなと一緒にいろんなことをさせていたら、娘さんの病気も軽くなってゆくでしょう」と言ってくれた。議員さんはS会の娘への冷たい態度に疑問を感じていたところだった。

 それまでは自分の殻に閉じこもり、家に閉じこもり、幻聴・幻覚に左右され、意思疎通も困難であり、家庭内暴力など暴力沙汰も多かった。自然と抗精神病薬も大量投与となり副作用が強く表れていた。この統合失調症は頑固であった。I氏が招き入れた悪鬼によるものであったから、統合失調症の中でも悪性度が高かった。

 娘さんはT寺で暮らすようになって少しずつであるが笑顔が見られるようになっていった。勤行唱題もみんなで行うようになった。頑固な統合失調症であったが、次第に軽症化の傾向が現れてきている。

 

 

 

【文献】

1)某新宗教S教団における信仰と病理:大宮司信:精神医学、21:1078-1084:1979

2)邪教集団・創価学会:隈部大蔵、室生忠著:月刊ペン社:1975

3)創価学会の野望:内藤国夫:日新報道:1977

4)真実の証明:阿部日顕:日新報道:2001

5)絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007

6)再び、盗聴教団の解明:山崎正友:日新報道:2005

7)創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004

8)創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001

9)法廷に立った池田大作——続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001

10)「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001

11)懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994

12)池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009

13)池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007

14)カルト創価の終焉:福本潤一、小多仁伯:日新報道:2010

15)創価学会・公明党「カネと品位」:福本潤一:講談社:2008

16)池田大作・創価学会の脱税を糾弾する:竜年光:日新報道:1994

17)創価学会からの脱出:羽柴増穂:三一書房:1980

18)これが創価学会だーーー元学会幹部たちの告白:植村左内:あゆみ出版:1970

 

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祈祷性精神障害の文献学的研究*

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 祈祷性精神障害は一般に熱烈に信仰する宗派に多発する精神疾患の一つである。熱烈に信仰し、そして心因反応を起こし、医療保護入院になる者、神経症レベルに留まっている者、多数の患者が存在する。彼らは決してこのために信仰を捨てるという行為は行わない。彼らは病気が信仰を熱烈に行った故であることを理解している。そして殉教的精神で祈祷性精神障害を起こしたことを誇りに思っている。その信仰の一途さは熱烈である。病棟内でその信仰を他患に熱心に勧める、またお祈りも他患から苦情が出るほど熱心に行うことが多い。彼らとの対話と筆者自身の文献検索から彼らの殉教的姿勢を理解しようと努め、以下に文献と考察を記す。

 

key wordsInduced psychotic disorder, Reliegion,

 

   

 

(文献)

「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」【涅槃経】1)

「先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口・罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかと見えはんべり 」【涅槃経】

「善男子、過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに是の諸々の罪報・或いは軽易せられ」【般泥おん経】2)

「及び余の種々の人間の苦報、現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力に由る故なり」【般泥おん経】

(解釈)

「この信仰を真面目に実践しても、今世に於いて、横死すること、罵られ辱められたりすること、杖や鞭で打たれること、牢獄に入れられること、飢餓・貧乏の苦しみを受けることなどがある。しかしこれは現世に於いて、過去世また現世の罪を軽く受けているのであり、これにより死後、地獄に堕ちることを免れることができるのである。」 

「前世での悪業の罪滅ぼしを今世で成すことができず、来世で地獄の苦しみを受けるところが、今世でこのような重い苦しみに合うことにより、来世で出会うはずだったところの地獄の苦しみが瞬間に消える。死後、地獄界に墜ちるなどの報いは受けず、人界・天界・三乗・仏界に住するという幸せを得ることができる。

 不軽菩薩が悪口を言われ罵られ杖で叩かれたり石を投げられたり石を打ち付けられたりされたのも理由がある。その理由は過去に正法を誹謗した罪によると考えられる。」

「現在の苦しみの原因は、過去世に於いて正法を信じ実践する人を苦しめた罪に有る。しかしこの信仰を行うことによりその罪を軽く受けることができる。」

「その罪は深くとも、今世で正法を信じ実践することにより、その功徳により、未来に受けるはずだった大きな苦しみを招き寄せ、今世の小さな苦しみとなって現れ、そして消え去る。」

(解説)

 ある患者は次のように述解する。

『「及び余の種々の人間の苦報、現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力に由る故なり」ーーこのように今世で正法を信じ実践したために私はこのような病気になったのかもしれません。いえ、そのためになったのだと思います。しかし私は(現世に軽く受くる)ことができているのです。

「善男子、過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに是の諸々の罪報・或いは軽易せられ」のように(現世の軽報を受けて地獄に堕ちず)今世で過去世の罪を軽く受けることができています。これを私は喜びとしています。

 生命とはこのように過去世、現世、来世と続いて行きます。一般の人は、「そんなことはない、死ねばそれで終わり。」と思っている人が大部分のようです。それら、刹那的に生きている人々、我々が信じている正法を信じず、却って誹謗する人、彼らは経文に照らせば、死後、地獄へ堕ちることになります。彼らは現在は恵まれているようにも見えます。現在、恵まれている彼らが地獄に堕ちるとは信じ難いかもしれませんが、しかし彼らは死後、地獄へ堕ちると経文に書いてあります。

 死横つまり横死とは交通事故死や建設現場での事故死などを指します。死横つまり横死により過去世の罪障が消滅してゆくのです。

「及び余の種々の人間の苦報、現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力に由る故なり」

 この御文のように(護法の功徳力に由り)信仰を始めて過去世の罪障が湧き出てくる人がよく存在します。自分もその一人でしょう。罪障が湧き出て信仰を辞めて行く人はよく存在します。彼らはこの御文を受け入れない人たちです。』

 

 

(文献)

「我が身は過去に謗法の者なりけること疑い給うことなかれ」【日蓮大聖人御書全集】

(解釈)

 自身が過去世に於いて正法に背き正法を誹謗した者であることを疑ってはならない。

 

 

(文献)

「この法門申すには必ず魔出来すべし、魔競わずば正法と識るべからず」【日蓮大聖人御書全集】

(解釈)

 この法を始めたら必ず魔が出現する。魔が出現しないならば正しい法ではないと思うべきである。

----魔の中には死魔というものも存在する----

 

(文献)

 すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり・少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに・飲むか

(解釈)

 

 

(文献)

「法華経を持(たもち)たてまつるものは地獄即寂光と悟り候ぞ、たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経を離るるならば・ただいつも地獄なるべし」【日蓮大聖人御書全集・上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)】

(解釈)

 法華経を受持するものは、たとえ現在が苦悩に満ちた日々であろうと寂光土(幸福な世界)である、ことを悟るべきである。

 何百億年の間、権教(法華経の一つ下の教え)を修行しても、法華経から離れているならば、いつも地獄である。

 

 

(文献)

「此の経を聞き受くる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども憶持不忘の人は希なるなり。受くるはやすく持つはかたし。さる間、成仏は持つにあり。」【日蓮大聖人御書全集・四条金吾殿御返事(此経難持御書)】

(解釈)

 この教えを聞いてこの教えに入る人は多い。しかし大難が来たならば多くの人はこの信仰を捨てる。大難が来てもこの信仰を持して行く人は少なく希である。この信仰を始めるのは簡単でこの信仰を続けるのは難しい。成仏(仏の境涯)に到達するにはこの信仰を続けてゆくことである。

 

 

(文献)

「行解すでに努めぬれば三障四魔、奮然として競い起こる。愚者は退き、賢者は喜ぶ、これなり」【日蓮大聖人御書全集】

(解釈)

 この信仰を真面目に行い始めたら三つの障り、および四つの魔が、この信仰を行わせないようにと競うように湧き起こる。このとき愚かな者は退き、賢い者は喜ぶ。

 

 

(文献)

「我並びに我が弟子、諸難有りとも疑う心無くば自然に仏界に至るべし。現世の安穏成らざることを嘆かざれ、朝夕唱えしかども皆捨てけん。拙き者の習いは誠のときは忘るるなるべし。」【日蓮大聖人御書全集】

(解釈)

 自分、および自分の弟子たちよ。諸々の難が起ころうともこの信仰を疑う心が無いならば生命は自然に仏界・幸福の境涯へ到達する。

 しかし、現世が安穏でないことを嘆き、疑いの心を起こし、信仰を捨てるならば、今までに努力して築いてきた幸福への貯金は、一遍に無くなることになる。

 拙い者の一般的な傾向として、大事なとき(つまりこの信仰を止めさせようという難が起こったとき)にこの信仰を貫く情熱・意志を忘れるものである。

 

 

(文献)

「娑婆とは堪忍世界と云うなり」【日蓮大聖人御書全集・御義口伝下】

(解釈)

 この世は堪え忍ぶ世界である。

 

 

(文献)

「蓮華とは因果の二法なり。悪因あれば悪果を感じ、善因あれば善果を感ず。内証には汝ら三因仏性の善因あり。事に顕わす時は善果と成って皆当作仏すべしと礼拝し給うなり。」【日蓮大聖人御書全集・御義口伝】

(解釈)

 蓮華の二字は、生命の因果の二法をあらわす。

 生命の奥底に悪因が有れば、その結果として現実に悪果が現れ、善因が有れば善果が現れる。

 いま、不軽菩薩の礼拝するのは、汝ら一切衆生の生命の内証には三因仏性の善因がある、それを信心に励んで事として顕現したときには善果となって皆まさに成仏するであろうと礼拝したのである。

 

 

【最後に】

 以上、仏教の経典および日蓮大聖人の御書を主に参照した。

 日蓮大聖人御書全集を主な教典とする創価学会は主に昭和30年代、40年代前半、炎のような熱情で日本全国に広まっていき、日本最大の宗教団体となった。主に社会の最底辺で苦悩する人々が入会していった。社会の最底辺で喘ぐ人々の心の支えとなり、廃人同様の状況から社会的に蘇生した者、辛い仕事の心の支えとなり社会的に成功した者などは数多い。

 現在、オウム教が話題になっているが、信者の数は極めて少ない。

 通院の祈祷性精神障害患者の中には様々な宗派の患者が存在する。精神病患者というお人好しの集団の中でも彼らは更にお人好しである。その心の純粋さはに例えられるほどの者も存在する。また高潔な人格の患者が多い。

 しかし逆に、中には、自らをと称し、横暴極まりない患者も存在する。彼らは病識は少なく、服薬のコンプライアンスは不良であり、通院は途絶えがちである。

 少なくとも外来の祈祷性精神障害の患者は高い知能を保っていることが多い。高学歴の者も多い。真面目である故、妥協せず、極めて熱心に信仰し、そして祈祷性精神障害に罹患したと考えられる患者が多い。

 

 

【文献】

1) 涅槃経:創価学会青年部編;1981; p224

2) 般泥おん経:創価学会青年部編;1981; p275

3) 日蓮大聖人御書全集:創価学会青年部編;1978; p1897

 

 

 

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feb 25,2011

 トップが悪ければ、そこから悪鬼がその団体に雪崩れ込んでくると言う御文があります(しかし、何処にあるのか、外典にあるのではと思われます。少なくとも日蓮大聖人御書全集には無いようです。あれば教えて下さい)。

 増上慢の固まりの池田大作により悪鬼が創価学会に大量に雪崩れ込みました。そして創価学会員に不幸が次々に起こるようになりました。

 戸田先生の時代に言われていた「この信仰で病気を治す」は池田大作の時代になってから次第次第に不可能になってきました。

 創価学会の信仰を熱心にすればするほど不幸になるようになってきました。

 その一つがうつ病性障害など精神障害の異常多発が創価学会員に起こることです。

 うつ病性障害などの精神障害の多発は副会長クラスには少なくとも昭和50年の頃から言われてきたことです。

 それが増えたのが日寛上人の御本尊に変えてからですが、時期が一致したに過ぎないかも知れません。

 それは、ただ、インターネットの普及によって、うつ病性障害などの精神障害の異常多発が一般会員にも認識され始めたに過ぎないと思われます。

 創価学会は昭和50年の頃から既にうつ病性障害などの精神障害の異常多発が起こっていました。平成になってからではありません。

 文献的には昭和50年頃の「精神医学」という精神医学専門雑誌に論文が載っており、それを自分は読みました。

 しかし、昭和50年以降は、創価学会のマスコミ支配というか、創価学会を悪く扱う論文は決して掲載されなくなりました。

 東京では国会図書館へ行けば読むことができると思います。

 地方では医学部の図書館へ行ってもなかなか昔の精神医学専門雑誌は置いていません。大学病院の図書館に行かなければ置いていないと思います(しかし、整備が行き届いてなく、探し出すのが極めて大変です)。

 自分が見てきた限り、少なくとも日蓮正宗法華講にはうつ病性障害など精神障害の異常多発はありませんでした。

 しかし、保田妙本寺の信仰を始めて5日目に自分のうつ病性障害は4年半ぶりに再燃しました。そのため自分は保田妙本寺を否定しています。日蓮正宗法華講の時および創価学会内部改革派のときが自分は一番調子が良かった。4年半前に創価学会内部改革派と名乗り始めるとともに10年来のうつ病性障害は劇的に寛解していました。

 江戸時代に質に出され質流れしたときに保田妙本寺の末法万年救護の大本尊から日蓮大聖人の生命は去られたのだと思うようになりました。しかし、これは自分の考えすぎの可能性は高いと思います。保田妙本寺に向かって勤行唱題したときの満足感は素晴らしかったです。

 創価学会にたむろする悪鬼を追い出すためには池田大作の完全否定、池田大作の悪を一般の創価学会員に知らしめることと思います。それを秋谷元会長が中心になって行ってくれることを期待しています。聖教新聞に池田大作の間違いを1面から書き連ねることです。そうしないことには創価学会は衰亡していくより他に道はありません。

 創価学会が人類を救う団体となるためには池田大作を完全否定することです。そうすると創価学会は蘇生するでしょう。

 そしてもう一つ、御本尊の問題がありますが、現状のままでは駄目と思われます。日蓮正宗法華講の御本尊には目が醒めるほどの力があります。実家の日達上人の御本尊には目が醒めるほどの力があります。

 自分も小学3年の頃から勤行唱題しています。自分の場合は自分から勤行唱題するようになりました。家は貧乏のどん底でありましたが、両親は退転状態に近かったのです。

 厳しい少年時代を実家の日達上人の御本尊様と生き抜いてきた思い出があります。

 日蓮正宗には日蓮大聖人の命が流れていると考えるより他に方法はないと思います。

 教義などは後世の作り物としても、日蓮正宗には日蓮大聖人の命が存在していると思います。

 日蓮正宗には池田大作のような大悪党は存在しません。池田大作は重症の人格障害患者です。妄想型統合失調症なのかも知れません。  

 最近、池田大作には脳腫瘍が発見されたと週刊誌に書かれてありましたが良性の脳腫瘍であり、池田大作は器質性の精神疾患であった可能性が高いです。その脳腫瘍は池田大作が若い頃から存在していたものと思われます。10代の頃から存在していた可能性は高いと思います。頭部MRIの精神医学への導入により非定型精神病の患者には高頻度に見つかるものであることが分かってきました。

 教義なんて信者を煙に巻くための道具に過ぎません。教義とは信徒を隷属させるための道具に過ぎません。教義は捨てても良いのです。教義は時代とともに変遷してゆくべきものと思います。

 創価学会は池田大作の死とともに大変革が始まらなければなりません。池田大作によってねじ曲げられた創価学会を正しい信仰団体に蘇生させてゆくことです。

 民衆救済という日蓮大聖人の御精神を受け継いで、苦悩する人々を本当に救ってゆける信仰団体に蘇生させるべきです。

 日蓮大聖人の御精神は民衆救済の大情熱が全てと思います。民衆救済の大情熱のなかに日蓮大聖人の魂は住まわれると確信します。

 

            (完)

 

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(入院例1)

 地方の片田舎の貧しい家に生まれ、勉強は出来ず、成績は最下位近くであったため、中学卒業とともに船に乗り、船員として働いていたが、船の中で題目を上げすぎて発症したと入院当初のカルテに書かれてあった。

 人懐っこく、当時、熱心に創価学会の信仰をしていた私とすぐに心溶けた仲になった。しかし、彼は、8年ほど前、作業の時に、看護士の頭を後部より鉄パイプで殴り、その看護士は半身不随になった。

 御本尊をベットの横の物入れの中に飾っていたが、勤行唱題は「喧しいからするな!」と同室者より言われ、勤行唱題はしていなかった。題目三唱だけしていると言っていた。

 彼は、創価学会の信仰をしなかったら、統合失調症を発症していたか否かは判断が難しいだろう。しかし、恐らく、創価学会の信仰をしなくとも、統合失調症を発症していた感じがしてならない。

 知能テストを施行したところ、知能指数が低かった。これでは学校の成績は最下位近くであったことが本当であることが分かった。

 性格こそ、人懐っこく良かったが、周囲の患者達からは軽く扱われていた。聖教新聞を取ってはいたが、ほとんど読まれずに放って置かれていた。

  統合失調症と軽度の知的発達障害の合併であった。地方であったため、発病当時は未だその地方は草創期であった。

 

(入院例2)

 この人には知的発達障害はない。例1と異なり、人懐っこさがなく、親しくは成れなかった。毎日のように土方の作業に行っていた。この人も地方の片田舎であったから草創期の入信になる。入信とともに勤行唱題を始めたが、統合失調症の症状を呈し始めた。そして、精神科病院入院となった。

 知能テストを行ったが、知能は平均よりやや上であった。地方では中堅に当たる高校を卒業して、中堅に当たる会社に就職していた。この頃、折伏を受ける。折伏大行進の頃の入信に当たる。

 投与されている抗精神病薬の量は中等量であった。口数少なく、人当たりは良くなかった。

「信仰は?」と問うと、すぐに「創価学会です」と答えた。信仰熱心な故に統合失調症に罹患した感じを受けた。

 性格は真面目一筋であり、創価学会の地方折伏が行われている最中に発症した。創価の信仰故の犠牲者と言って良いと判断された。真面目な性格故に真面目に勤行唱題をし、それ故に統合失調症を発症したと判断された。

 勤行唱題をしているかどうかを問うことは出来なかった。おそらく真面目に勤行唱題を行っていると思われた。

 

(入院例3)

 

 

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 統合失調症の初期段階に完全に入っていたのにインターネットを見て日蓮正宗に代わり、現在も健康でいる女性がこのカテにいます。名前は申し上げられません。

 この症例には驚いています。この症例が日蓮正宗の正しさを物語っています。文証・理証よりも現証です。日蓮正宗は正しいのです。

 そして創価学会は完全な悪霊です。その女性は結婚して創価学会の御本尊に祈っていて幻覚が見えてきていたのです。ところが日蓮正宗に替わってから、その幻覚が消えた。日蓮正宗の正しさを物語っています。

 楽観視が精神科では非常に大事です。楽観視することにより精神病の悪化を止めることさえできることがあります。そのため、楽観視することを臨床の現場では重視します。

 悲観視することにより病状がどんどん悪化することがしばしばあります。楽観視がそれほど大事なのです。

 そのため、その女性には統合失調症の初期段階に完全に入っていることは言いませんでした。そしてその女性は現在も元気でいます。日蓮正宗に替わったためとしか言いようがありません。

 この症例の論文を書こうかと思っているほどですが、創価学会批判になるので出版社は受け付けないと思われるので書いても無駄になります。外国の雑誌なら受け付けるでしょうが、自分は英語は苦手です。

 この女性は結婚した先が創価学会だったのです。そのため結婚とともに創価学会の信仰を始めました。ところが学会の御本尊に向かって勤行唱題すると幻覚が見え始めました。そのため彼女はオカルトに興味を持ち始めました。オカルトのカテに言って相談しようとしていましたが自分はそれを強制的に止めました。統合失調症の初期段階に入っているにも拘わらず、オカルトのカテに行くことは飛んで火にいる夏の虫になります。 

 彼女は幸運にもインターネットで創価学会が悪いことを知り、夫とともに日蓮正宗に移りました。そうして現在も元気でいます。これは症例報告ものです。

 

 宗教学は無用の物です。ただ人を迷わすだけの物です。文証・理証よりも現証と日蓮大聖人が言われています。現証だけが大切なのです。文証・理証は現証を補佐するだけの物に過ぎません。しかし、文証・理証が人間を惑わす危険性があるのです。

 宗教学とは日蓮大聖人の御金言である「文証・理証よりも現証」を忘れさせる危険な物でもあるのです。

 

 

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  創価学会の精神障害などの異常多発について

 

 選挙運動、新聞啓蒙などの心理的圧迫のためという安易な意見が多いが、そういう安易な意見では済まされない異常多発であることに気付いて貰いたい。

 活動をする大人だけの多発ではない。大人は比較的少ないと言って良い。むしろ、その創価学会員の子弟に異常多発している。

 児童相談所の多くを創価学会員の子弟が占めることを知っている人は少ないであろう。しかし、日本全国の児童相談所、心理研究所の75%以上を創価学会員の子弟で占めている。これは上記の説明では説明不可能である。創価学会員以外の精神障害の患者は治ってゆくが創価学会員の患者は治らないから、そういう高い比率になるのである。

 日蓮正宗法華講の主張する偽御本尊説でも説明が不十分である。何故なら、創価学会員の精神障害などの異常多発は少なくとも昭和40年代中頃には既に始まっていたからである。しかし、日寛上人の御本尊に換えられてから発症が更に多くなった感覚はする。とくにうつ病性障害が激増したように思える。

 しかし、日寛上人の御本尊に換えられる以前から創価学会員にはうつ病性障害を始めとする精神障害が異常に多発していた。ただ、インターネットの普及がなかったから末端の会員には知られないでいたのであろう。自分の知るドクター部長をされていた医師はずっと以前からうつ病性障害など精神障害が創価学会員に異常多発していたと言う。その医師が医師になってから会員の精神障害の相談が非常に多くあり、そのことに悩んでいたと言われる。また、それは精神医学専門雑誌を大きな図書館で詳しく調べても知ることができるであろう。

 これはrsd氏が筆者が創価学会に戻ると言うと「創価学会には精神障害が極めて多い」などと極めて猛烈に反対されたことからも推測される。rsd氏は知り合いに精神科医が複数居ること、世話を良くする良い人などから大学で教官をされていた頃、学生の相談係をされていたことは間違いないと推測していた。そして知り合いの精神科医から「創価学会には精神障害が極めて多い」ことを聞いていたのであろう。また、実際に学生の精神障害が創価学会員に非常に多かったものと思われる。筆者が学生部の時も精神障害に苦しむ学生部員が異常なほど非常に多かった。そして大学中退する部員が異常に多かった。それは精神障害のために創価学会に入会した学生部員は皆無に等しかった。両親が部員が幼い頃より創価学会の信仰をしている学生部員がほとんどであった。

 うつ病性障害だけでなく、あらゆる種類の精神障害が多い。急性精神病状態(心因反応)により緊急入院する創価学会員が折伏大行進のときは極めて多かったことを書かれた論文を読んだことを筆者はホームページに書いている。現在は熱烈で長時間の勤行唱題が行わなくなったため、急性精神病状態(心因反応)で緊急入院する創価学会員は極めて少なくなった。筆者も折伏大行進のときに急性精神病状態(心因反応)で入院した経験を話された極めて熱心な創価学会員を実際に知っている。その頃は何人もの創価学会員が急性精神病状態(心因反応)で同じ病院に入院していたと言われていた。

 最近はこの宗教カテの常連のある若い女性が、結婚した先が創価学会であり、創価学会の信仰を始めるとともに幻覚が見えてきた。しかし、創価学会を退会し日蓮正宗法華講に移るとともにその幻覚が消えた例を経験した。すでに統合失調症の初期段階に入っていたのが治癒したのである。こういう例は極めて稀で症例報告ものである。

 自分も含め精神科医のほとんどは創価学会の信仰は決して行うものではないと思っているようである。筆者は少なくとも数年前までは熱心な創価学会員であったことを知る故に誰もそのことは自分には話さない。しかし自分も今まで自分が主治医であったが自殺した患者はすべて創価学会員である。

 これほど創価学会員に精神障害が多い理由は何故か? それは池田大作が招き入れた悪鬼の大集団のためと以前、創価学会内部改革派憂創同盟の人は20年ほど前にそう言われていた。トップが悪いとその宗教団体に悪鬼が雪崩れ込んでくるという御文があると言われていた。しかし筆者は日蓮大聖人の御遺文からそれを見付けることができないでいる。おそらく、邇前経に書かれてある御文であろう。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように固い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 インターネットの普及がなかったら、末端の創価学会員は創価学会員の精神障害の異常多発を今も知らなかったかも知れない。末端の創価学会員が創価学会員にうつ病性障害やパニック障害が非常に多いと気付かせたのは創価学会ホームページのVOICEという一般の人が投稿できる意見交換カテが大きな役割を果たした。その意見交換カテの多くがうつ病性障害やパニック障害で苦しんでいる学会員で占められていた。それ故にそのカテは「やりました!できました!」という意見、体験しか掲載しなくなり、事実上閉鎖に追い込まれた。

 インターネット上のさまざまな所に創価学会員のうつ病性障害など精神障害に悩む人達の集まるブログ、ホームページが自然にできて、VOICEが事実上の閉鎖に追い込まれてからも、インターネットを行う創価学会員は創価学会にうつ病性障害などの精神障害が異常に多いことを認識せざるを得なかった。また、そのために創価学会員同士のそういうプログは創価学会本部からの強制的な閉鎖命令が来て閉鎖を余儀なくされた。

 命令に従わず、閉鎖しなかったプログも存在する。そのプログは現在も存在していることから、すでに20年近く続いているプログである。そのプログに筆者が「の御本尊」と書き込んだところ、猛烈な反応が来た。の御本尊とはもちろん平成5年から創価学会が下付始めた日寛上人の御本尊のことである。彼らは「の御本尊」という名称を知らなかったのである。彼らは20年近く、うつ病性障害などの精神障害を患ったまま、そのプログで意見交換を行っている。治っている人は皆無に近い。うつ病性障害は精神障害のなかで最も寛解しやすい疾患である。うつ病性障害は放っていても数ヶ月で寛解することが多い精神疾患である。

(精神科の疾患の場合は治癒という言葉は用いず、寛解という言葉を用いる。何故なら、精神科の疾患は、完全に治ることはなく、一生、尾を引くことがほとんどであるからである。すなわち、精神科の病気は再発することが極めて多い故に治癒という言葉は用いられず寛解という言葉を用いる)

 20年ほど前、ドクター部長であった医師が「学会員にうつ病性障害などの精神障害が多くてとても困っている」と自分に話された。それは愚痴のように聞こえた。しかし、そのドクター部長は決して愚痴を言われる人ではない。極めて熱心な熱心すぎる創価学会員であった。

 実際、自分の県の青年部長はパニック障害(うつ病性障害併発と思われる)で倒れ、創価学会会館勤務を辞めて実家のある地元の県に還り自宅療養となった。自分は非常に懇意にしていた。自分はその頃、創価学会の信仰に命を懸けていた。一緒に反戦の展覧会のパネルを地元の一般の展示する会館に真夏の炎天下に運んだりした。とても良い人であった。今も実家で療養中と聞く。

 創価学会員の子弟に非行に走る子供が非常に多いことも問題になっているが、これは、親が学会活動のため夜遅くまで家に帰らないことが大きな原因とされているが筆者はそうは思わない。親が夜遅くまで家に帰らない処は夜、親が働いている家庭、夜遅くまで親が働いている家庭、他の宗教団体の家庭などたくさん存在する。これは精神障害が異常に多いことと同じく、創価学会内部改革派憂創同盟の人が20年前に述べられたように、池田大作が招き入れた大量の悪鬼の集団のためと説明するほかに方法はないと思う。

 そして精神障害だけでなく、他の病気で悩む創価学会員の子弟も極めて多過ぎることに気付いているのは筆者のみではないと思う。これも池田大作が招き入れた大量の悪鬼の集団のためと説明するほかに方法はないと思う。  

 池田大作が亡くなるとともに、その悪鬼の大集団が創価学会から去れば良いが、池田大作否定が徹底的に行われないことには創価学会からその悪鬼の大集団は決して去らないような気がする。

 秋谷元会長が池田大作否定を徹底的に行うことを期待する。そうでないと創価学会の衰退化は明らかである。学会員に不幸なことが起こり続けるからである。創価学会は一弱小宗教団体と化してしまうだろう。

 創価学会の蘇生には池田大作を完全否定し、戸田先生の時代の創価学会に戻す努力をしないと、不可能である。また、現在のの御本尊を回収し、新しく日蓮正宗から御本尊を下付して貰わないことには、創価学会は以前の活力を取り戻すことは不可能である。

 

 

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【研究と報告】

       S会の研究(ある症例とともに)

 

【はじめに】

 日本最大の宗教団体であるS会には昭和30年代頃より精神障害が異常多発し、精神科医の間で注目されていた。しかし、S会は政界にも進出し、また、弁護士も多数(平成23年現在、全国に350名ほど)揃えているため訴訟問題に極めてなりやすい故にS会の精神障害の異常多発の論文は精神医学学術専門雑誌には決して掲載されることはない。

 しかし、昭和50年頃まではS会は弁護士の数も少なく訴訟を余り起こしておらず、S会の精神障害の異常多発に言及した論文も発表されていた。筆者も幾つか読んだことがある。昭和50年頃からは「鶴のタブー」と言われるほどにS会のことを題材にした論文は決して採用されることはなくなった。これは出版社が訴訟を起こされるからである。故に、S会のことを題材にした論文を読むには昭和50年以前の精神医学学術専門雑誌を探さなければならない。

 昭和30年代40年代、S会に異常多発していた急性精神病状態(祈祷性精神障害)は、経験しなかった精神科医はいなかったと言われるほどであった。すべて躁状態に近い急性精神病状態(祈祷性精神障害)であり、ほとんどは一過性の精神障害で終わり、統合失調症に移行する例は少なかったようである。

 その頃(昭和30年代40年代)は熱烈な勤行唱題(祈祷)および折伏大行進(激しい弘教)が行われており、また一日に三時間四時間、勤行唱題(祈祷)することは普通のことであった。

 S会は昭和45年に「言論問題」を起こし、社会から痛烈な糾弾を浴びた。それによりそれまで行っていた強引な折伏(布教)は行われない方針が出された。強引な折伏(弘教)が行われなくなるとともに、熱烈な勤行唱題(祈祷)も長時間は行われなくなり、精神病院に緊急入院する急性精神病状態(祈祷性精神障害)のS会の信者の数は激減した。しかし、昭和60年頃まではS会の信者の急性精神病状態(祈祷性精神障害)は散発的ながら起こっていた。

 平成3年にS会は日蓮正宗より破門され、翌平成4年にはI名誉会長が信徒除名処分を受ける。平成5年にはS会は栃木県の日蓮正宗の末寺にある日寛上人の御本尊(祈る対象)をコンピューター処理したものをS会独自の御本尊として全国のS会の会員に大量配布する。このとき、時の日蓮正宗の法主であった日顕上人の御本尊は多数、焼却処分にあった。日顕上人の御本尊を多数、焼却処分した数日後に阪神大震災が起こったため、阪神大震災はその罰であると日蓮正宗妙観講*は主張する。(*妙観講は日蓮正宗の信者の集まりである講の一つ。S会も元々は日蓮正宗の講の一つに過ぎなかった。妙観講とS会は極めて激しく対立している)

 このS会独自の御本尊配布の頃からS会会員に元々多発していたうつ病性障害が異常多発するようになる。これは統計こそ取られていないが、その頃からS会会員にうつ病性障害が異常多発するようになったことはS会の大幹部、精神科医の間では次第に認識されるようになっていた。そしてインターネットの普及がS会一般会員にもS会会員にうつ病性障害など精神障害が異常なほど多発していることを認識させた。

 インターネットが普及始めた頃、存在したS会本部のホームページの一般会員が書き込んでも良いVOICEという掲示板に書き込む人は多くが閉じ籠もりまたはうつ病性障害またはパニック障害患者など精神障害患者であることが一般会員にも認識され始め、その掲示板は以降、管理が極めて厳しくなり「やりました!できました!」という成功談しか載せなくなり、事実上の閉鎖に追い込まれた。

 また、S会会員が個人的に主にうつ病性障害患者対象にホームページ上に掲示板を置いて運営していた処も次々にS会本部からの強制的な命令か閉鎖に追い込まれた。

 S会は以前から躁状態に似た急性精神病状態、うつ病性障害だけでなく、様々な不安障害、統合失調症などが極めて多く発生していた。児童相談所の精神相談に訪れる児童の大部分がS会会員であることからもそれは言えるであろう。閉じ籠もりに陥る小学生から大学生にS会会員が極めて多かった。それは社会不安障害、パニック障害、強迫性障害などであったという印象を筆者は持っている。S会会員には社会不安障害、パニック障害、強迫性障害も多い。筆者が今まで治療してきた社会不安障害、パニック障害、強迫性障害の患者は90%がS会会員であった。また、そのなかには統合失調症を誤診されていたものも複数含まれている。そして境界性人格障害も多く、筆者を悩ませた。

 筆者は今まで患者が自殺したことはS会会員にしか経験がない。これは筆者がS会会員の精神科医としてS会幹部より多くのS会会員の患者を紹介され治療に当たってきたからであるかも知れない。

 

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【症例】

[症例] 41歳、女性、主婦。

[診断名]

(B総合病院精神科通院時)

軽症うつ病性障害(Major Depressive Episode, Single Episode, Mild296.21,  DSM--TR

アルコール依存(Alcohol Dependence303.90,  DSM--TR

原発性不眠症(Primary insomnia307.42,   DSM--TR

 

(本院来院時)   

中等症うつ病性障害(Major Depressive Episode, Single Episode, Moderate)  296.22,  DSM--TR

アルコール依存(Alcohol Dependence303.90,  DSM--TR

原発性不眠症(Primary insomnia307.42,   DSM--TR

[家族歴] 母親が若い頃(30歳前後)、1ヶ月ほどの精神科入院歴あり。母親は50歳前後にも再び悪化し1年間、通院した。母親は50歳前後に再び悪化したとき「薬を飲むと気分が悪くなる」と言い全く服用せずS会の祈りを夜を徹して行って治したという。少なくともうつ病性障害ではなかったと推測される。うつ病性障害ならばS会の祈りを夜を徹して行うことは絶対に不可能である。うつ病性障害のときはS会の祈りを行うことは極めて困難である。30歳前後の精神科入院は急性精神病状態(祈祷性精神障害)と思われる。

[性格] 真面目、几帳面、完璧主義、責任感強い。

[生育歴] 4人姉妹の長女。一家挙げてのS会の熱心な会員。症例も幼い頃より熱心にS会の信仰を行っていた。

[既往歴] 23歳時、失恋により原発性不眠症発症。それ以来、精神科にて睡眠導入剤を処方される。眠前にアルコール飲用と睡眠導入剤服用を同時に行うようになる。眠前のアルコール飲用のことは数カ所の病院にて医師に相談したが「緊張が高いため多少アルコールを飲んで、その上に睡眠導入剤を飲んで眠れたら良いでしょう」と言われてきた。

 結婚前にも仕事とS会の活動による肉体的疲労、精神的ストレスが主因と推測されるうつ病性障害に類似した状態に陥ったことが数回ある。しかし、結婚まで抗うつ薬を処方されたことはなかった。

[来院前処方] sulpiride 150mg/日、cloxazolam 6mg/日、bromazepam 12mg/日(以上の3剤は一日3回服用)。

 zolpidem 10mg/日、triazolam 0.5mg/日、rilmazafone 2mg/日、zopiclone 15mg/日(以上の4剤は眠前服用)。

[現病歴]友人より、同じS会の会員である3歳年下の会社員の青年を紹介され交際を始める。

 X年3月、交際を始めて1年ほどで結婚する。結婚は35歳時。結婚後、姑との折り合いが悪く、激しい諍いの末、結局、X年4月、姑と別居する。

 X年4月、朝の起床困難と倦怠感出現したため、通院先をB総合病院の精神科へ変更。ここで「軽いうつ病です」と言われる。また、ここで通院の度に投薬内容が変更されるほど多種類の抗うつ薬を投与される。sulpiride を除く全ての抗うつ薬に激しい副作用を示す。

 夫は会社員であり、片道2時間近くの遠距離通勤で、帰宅は毎日夜12時頃であった。夜食を共にする故、夜の就寝は深夜2時過ぎになっていた。

 頻繁に37.3ほどの微熱ではあるが発熱が起こる。風邪ではなく、産婦人科的な検査も充分受けており、精神的なものから来る発熱であることは症例自身充分理解していた。

 症例の起床時間は少しずつ後退してゆく。X+1年末には午後にならないと起床できなくなる。

 X+1年5月、 fluvoxamine を吐き気止めとともに処方される。しかし「天井が回るほどでした」と言う激しい吐き気と頭が割れるように痛くなり、救急車で病院へ行き、頭部CTを撮る。頭部CT上、特記すべき所見なし。

 alprazolam も処方されたが「異常に喉が渇き常に水を摂っていないと居られなくて飴を舐めたり、ガムを噛んだりしていた」状態となり、それ以降は処方されていない。

 bromazepam を服用しても「異常に喉が渇き、これを服用しても不安感・緊張は取れなかった」と言う。

「常に後頭部がボーッとしている」とも訴える。       

 X+1年8月より2ヶ月間、漢方薬局にて漢方薬の処方を受け服用するがほとんど効果無し。

 X+2年7月、B総合病院の精神科通院を中止し、 同じS会の会員である医師が経営している近医の内科医院に通院開始。sulpiride 100mg/日、 cloxazolam 4mg/日にて小康状態となる。この処方が2年近く続く。この医院では患者医師関係は極めて良好であった。しかし、sulpiride の副作用と推定される月経停止のため、Cクリニック(精神科)を紹介される。

 X+4年5月、Cクリニックへ通院開始。最初はsulpiride を抜きcloxazolam 4mg/日にて開始。月経は再開したが、倦怠感が激しくなり寝込むようになる。そしてsulpiride の投与を再開。sulpiride 50mg/日にて月経は停止する。この頃、胃を悪くして1週間ほどアルコール飲用を中止したが、強い緊張感のため眠れず、昼夜逆転しているため何時までも激しい倦怠感で起きることができなかった、と言う。

 X+5年1月、それまでは朝の起床困難、倦怠感、そして不眠のみであったが、始めて抑うつ気分を自覚。(しかし、日記よりうつ病性障害の発症は35歳時と推定される。35歳時より午前中に強い軽い抑うつ気分、午前中に強い器質的な原因に依らない疲労感の出現などが出現している。35歳時に「いつまでも横になりたい」という記載有り)この時点の投薬内容は sulpiride 150mg/日、cloxazolam 6mg/日、bromazepam 12mg/ (以上は一日3回服用)、zolpidem 10mg/日、triazolam 0.5mg/日(以上は眠前服用)。また、この頃、眠前のアルコール量が3合から4合へと増加する。

 X+5年3月上旬以前は、眠前にアルコール飲用と zolpidem 10mgtriazolam 0.5mg を服用して入眠可能であった。

 X+5年3月上旬より中止していたS会の活動を真面目さ・責任感の強さ故に週末に3週間連続して行う。これと時を同じくして不眠が強くなる。いつもの量の睡眠導入剤では入眠不可能となる。睡眠導入剤が増量され、zolpidem 10mg/日、triazolam 0.5mg/日、rilmazafone 2mg/日、zopiclone 15mg/日の大量処方となる。しかし、この大量処方にても入眠困難であり、また激しい倦怠感のため食事の用意も満足にできなくなる。

 X+7年4月1日より paroxetine 10mg/日が開始される。しかし、最初の5日間は寝込まずに保てたが、6日目より強い倦怠感のため終日寝込むようになる。その倦怠感は日に日に強くなり、4月14日、 paroxetine 10mg/日服用を中止する。

 状態の今までにない悪化と通院当初からのCクリニックの医師への感情的反発心のため、Cクリニック通院中止。S会幹部より紹介され、父親に支えられるようにしてX+7年4月14日初来院。

 初診時、症例は『本を読んでも残りませんし、笑えないんです。楽しくないのです。音楽を聴いたりして自分を鼓舞しますが、無理があるようです。ときどき、人から「今日は顔色が良いわね」と言われますが、気分は沈んでいます。同じS会の精神科医に診て貰うので安心です。もっと早く紹介して貰いたかったです』と語る。

 初診時の処方はsulpiride 150mg/日、cloxazolam 6mg/日、bromazepam 12mg/ (以上は一日3回服用)、zolpidem 10mg/日、triazolam 0.5mg/日(以上は眠前服用)、加味逍遥散 5.0 g/日、サフラン 0.67 g/日(加味逍遥散は昼夜2回、サフランは眠前のみ)。

『アルコールを多量に飲んでいては漢方は非常に効きにくくなる。アルコールは中止してゆくこと。また、午睡を摂って良いから起床時間をできる限り早くしてゆくこと。少なくとも午前中には起床するようにすること。抗不安薬も減らしていった方が良い。あなたには信仰がある。信仰がある人はアルコール依存を克服することができる』と指導する。

『私も使命があります。使命を果たすためにも早く病気を克服したいのです。使命を果たしていないという罪悪感が私には有ります。その罪悪感が精神的重圧となって私のうつ病が治らない一番大きな原因になっていると思います。抗うつ薬を飲めないことよりも、うつ病が長引いている大きな原因になっていると思います。本部の会館で「あなたはそんな罪悪感に沈んでいる必要はありません。今は活動を行う必要はありません。早く良くなって以前のように活動できるようになれるように、今は養生に専念するべきです」と指導されましたが、私にはやはりどうしても罪悪感が抜けません。

 アルコールが良くないとは言われたことがありませんでした。幾つかの病院で精神科の医師に眠前の飲酒を話しても「それで眠り易くなるならば良いですね」といつも言われてきました』と症例は言う。

 症例は自宅にて終日臥床状態になりS会幹部より紹介されて本院に来院した。

 症例はアルコールを断つことはできなかったが、量を半分近く減らすことができた。しかし、漢方治療にも拘わらず、病状は不変で軽症化の傾向は見せないでいる。

 

【考察】

 結婚前は原発性不眠症および軽症のアルコール依存18)のみであったが、結婚後、うつ病性障害が加わっている。症例には人格的歪みは全く存在しない。

 うつ病性障害は姑との激しい諍いにより発症した。症例は非常に責任感強く、真面目であり、嫁ぎ先の姑と諍いあうことを大きな罪悪と考えていた。

 症例は極めて宗教心が篤く、結婚前は盛んに行っていた宗教活動を朝の起床困難、倦怠感故に、結婚後はほとんど行っていないという罪悪感を強く抱いていた。それは涜神恐怖と言うべきほど強いものであった。           

 症例は若い頃、S会の宗教活動を過度に行い「燃え尽き症候群」(「一生懸命、走り抜いて走り抜いて疲れ果てて走れなくなること」と症例は定義している。症例はこの「燃え尽き症候群」という言葉を非常に頻繁に使用する)のような状態に何度も陥ったと言うことから、うつ病性障害に罹患しやすい性質であったと推測される。そして結婚後の姑との極めて激しい諍いが症例のうつ病性障害の発症要因で間違いないと推測される。姑は当時57歳。精神科受診を行ってなかったが、当時より統合失調症あるいは統合失調症に類する精神的疾患に罹患していたと推測される。少なくとも十年ほど前から、こういう状態であったことを考えると、遅発性統合失調症の可能性が高いと思われる。後に姑は統合失調症(疑)と診断され現在も通院中である。

 23歳の原発性不眠症発症時より症例は眠前に女性としては比較的多量のアルコール飲用を始めるが、これも症例のうつ病性障害発症および遷延化に関与したと考えられる。アルコールは気持ちを沈み込ませる薬理作用がある7,8,18)

 症例は23歳から結婚する35歳までは眠前に約2合の飲酒を続けていた。そして結婚後、姑との激しい諍いのため、軽症うつ病性障害を発症する。そして眠前に約3合飲酒しないと就眠困難となる。

 そしてX+5年1月、明らかな抑うつ気分も出現してからは約4合近く飲酒しないと就眠困難となる。X+5年3月、うつ病性障害は更に重症化するが(この時点で、中等症うつ病性障害に重篤化)、4合以上の飲酒は強い自己規制により行わなかった。不眠が続き、体力の減退は極めて激しく、食事の用意も困難となる。

 Cクリニックの4月1日からの paroxetine 投与も現状打破のための苦肉の手段としてのものだったと思われる。       

 この症例に於いて結婚前は極めて活発に行っていた宗教活動を結婚後ほとんど行っていないという「宗教的罪悪感」が涜神恐怖的に精神的重圧として存在していた。抗うつ薬をsulpiride 以外は服用できないこととともに症例のうつ病性障害遷延化にその涜神恐怖的な「宗教的罪悪感」の存在は極めて大きく影響したと考えられる。

 夫の帰宅は毎日夜12時頃であり、夜食を共にする故、就寝は深夜2時過ぎになっていた。これが結婚後、症例のうつ病性障害発症および遷延化に大きく関与したとも考えられる。睡眠相の後退はうつ病性障害治療に大きな障害を与える1,16,17)。朝、夫が出社するのは7時前であり、症例は結婚当初は夫の朝食を作るために起床していたが、次第にうつ病性障害の日内変動のためと推測される朝の起床困難のため起床できなくなる。そして起床時間は午後へと移行していく。

 X+5年の3月上旬より涜神恐怖的な「宗教的罪悪感」と「宗教的使命感」故に3週間連続で行った週末のS会の活動が過度の疲労となり、うつ病性障害の更なる重篤化すなわち、中等症うつ病性障害への変遷を招いたと推測される。

 

【余記】

 症例は女子部(注:この宗教では一般に結婚する前は女子部、結婚してからは婦人部と呼ばれる組織に属することになる)時代はある県の女子部のトップにまで登りつめた。

 選挙の時は自動車で投票所へ人を連れて回って一日が終わっていた、毎日深夜まで宗教活動していた、一年のうち宗教活動しない日はなかった、一年中深夜まで宗教活動していた、と言う。

 トップまで登りつめたから「私を宗教指導する人が居なくなって、それが良くなかった」と言う。

 結局、症例はうつ病性障害のまま産期を過ぎてしまい、今では郊外に家を造り夫と2人で慎ましやかに暮らしている。うつ病性障害は未だに寛解してなく、寝たり起きたりの生活を送っている。人工授精を勧めたものの「お金がない」と言い、人工授精を行わなかった。人工授精には様々な費用を含めると100万円ほど掛かる。おそらく財務(この宗教の金銭の供養)に貯金を全て使ってしまっていたと思われる。

 筆者が親などが近くに住んでいるため食事の用意や家の掃除などは親などに頼むことを勧めても親は「娘の信仰がなっていないから病気が治らない」と頑なであった。症例の親に「娘さんが食事の用意もできないほど、うつ病性障害が進んでいるため、娘さんの身の回りの手助けをするように。そうしないと娘さんのうつ病性障害はますます重篤化してしまう。そうしないと何時まで経っても娘さんの病気は治らない。娘さんの身の回りの手助けをすることが、この病気では一番の薬になる」と何回も手紙を書いたが全く無視する親であった。

 症例は親兄妹がすぐ近くに住んでいるにも拘わらず「信仰がなってないから病気が治らない」と親から叱られ続け、全く身の回りの世話をされずにうつ病性障害が重症化してしまった。うつ病性障害では勤行唱題(祈祷)することは不可能で却ってうつ病性障害を悪化させることを説明しても「信仰がなってない」と娘を叱り続けた。

 症例は無理をして勤行唱題をしていた。うつ病性障害のときは勤行唱題は控えるべきと説明しても聞き入れないほど狂信的であった。疲労し果てた体に鞭打って勤行唱題をしてうつ病性障害を更に悪化させるという悪循環を繰り返していた。入院も「御本尊の前から離れたくない。入院すると勤行唱題を行うことがとても難しいし、会合に出ることができない」と頑なに断り続けていた。

 

【最後に】

 上記の症例は単なる一例でこういう症例がS会には極めて多く見られる。S会のうつ病性障害は寛解することはない、と断言しても良いほどです。S会のうつ病性障害でも寛解することはあるが、それは元々、非常に軽症だった症例のみに限られる。

 大学病院の「うつ病外来」の半分をS会会員が占めているという報告も存在する。

 S会は訴訟を乱発するカルトであり、このことはフランスなどでS会はカルトであると定義されていることからも分かる。また、反対者、裏切り者に対する新聞や本、インターネットなどでの人格攻撃は極めて熾烈であり、今までS会の元顧問弁護士であった山崎正友氏、S会の元教学部長であった原島嵩氏、公明党元委員長であった矢野絢也氏、竹入義勝氏などに対する人格攻撃は狂気を思わせるほどである。

 これら人格攻撃だけでなく、殺人未遂行為のようなものも山崎正友氏らに起こっており、S会はオウム真理教と遜色のない極めて危険な集団であると筆者は認識しています。少なくともS会の一部はオウム真理教と同じような暴走行為を起こしかねない極めて危険な反社会的な狂信的集団であります。

 それ故、この論文は匿名でお願いします。また、S会から「この論文の作者は誰か?」と問われても、どうか内緒にして置いて貰いたい。筆者の身の破滅どころでなく、筆者の命も危ないと認識しています。これは命懸けの正義の告発であります。何も知らない無知なS会会員を救うためと思い書いたものです。S会会員にはうつ病性障害など精神障害で苦しむ会員が余りにも多いため、そしてそれにより一生を台無しにしてしまう会員が余りにも多いため、彼ら彼女らを救うため、その警鐘として命懸けで書いたものです。

 これは一つの大きな社会問題でありますが、今までカルトであるS会の言論封殺により、マスコミは取り上げようとしなかった、取り上げることができなかった問題であります。

 命を懸けてこの問題を摘発する精神科医は今まで居なかったようです。居たのかも知れませんが、出版社が断っていたものと思われます。実際、自分は10年ほど前、これと似たことを論文としてある精神医学学術専門雑誌に投稿しましたが、すぐに返却されてきました。訴訟が怖いためS会に関する論文はとても載せることはできない、ということでした。S会の言論統制は極めて厳しいものであることをその時、痛感しました。

 しかし、誰かが立ち上がって一般のS会会員に真実を知らせないと一般のS会会員が余りにも可哀相であると決意したものです。

 

【文献】     

1) Dahlitz MJAlvalez BVignau J et alDelayed sleep phase syndrome response to melatoninLancet 3371121-11241991

2) 林公一:擬態うつ病.宝島社新書、東京、2001

3) 本間祥白:難経の研究.日本の医道社、東京、1997

4) 井上猛、小山司:難治性うつ病の治療.我が国における現状と治療アルゴリズム.

精神医学 396-141997

5) 井上猛、小山司:Augmentation の有効性のエビデンス.精神科 1123-1322002

6) 笠原嘉:軽症うつ病.講談社現代新書、東京、1996

7) 加藤信勝:アルコール依存症と感情障害.日本臨床:1350-1354(vol.52)1994

8) Keeler MAre all recently detoxified alcoholics depressed?  Am. J. Psychiatry 136586-5881979

9) 松橋俊夫:漢方による精神科治療.金剛出版、東京、1988

10) 松橋俊夫:一般外来診療のためのうつ状態の漢方治療.医歯薬出版、東京、1994

11) 松橋俊夫:サフランの入眠効果について.新薬と臨床:123-125(vol.48)1995

12) 大野裕:「うつ」を治す.PHP研究所、東京、2000

13) 洲脇寛:うつ病とアルコール依存を合併する症例の治療.精神科治療学 7(1)35-401992

14) 洲脇寛:アルコール依存、ライフ・サイエンス、東京、1995

15) Thase MERush AJTreatment-resistant depressionIn: Psychopharmacology

 : The Fourth Generation of Progress, ed by Bloom FE, Kupfer DJRaven PressNew York1995

16) 山寺博史、本間房恵、石橋恵理、遠藤俊吉:心理検査による睡眠後退症候群患者の心理特性についての研究.臨床精神医学 32(3)305-3102003

17) Thorpy MJKorman ESpielman AJ et alDelayed sleep phase syndrome in adolescentsJ Adolesc Health Care 922-271988

18) Weismann MMMeyers JKClinical depression in alcoholismAm. J. Psychiatry 137372-3731980

 

     (完)

 

 

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【研究と報告】

 日目上人の生まれ変わりという誇大妄想を持つ入院歴48年に達する一症例

 

key wordsSoka-gakkaiSchizophrenia paranoid typeDelusion

 

【始めに】

 創価学会は昭和25年頃から折伏(布教のこと)を盛んに行い、日本各地で社会問題となるほどの激しい布教を展開した。それは昭和45年に言論出版問題が起こり、当時の創価学会会長であった池田大作が強引な折伏の中止を宣言するまで続いた。これを折伏大行進と創価学会では言う。

 昭和35年頃から、精神病院に急性精神病状態で入院してくる創価学会員が現れ、その数は急激に多くなった。その頃の精神科医で創価学会員が急性精神病状態で緊急入院してくるのを経験しなかった者はいないと言われるほどである。ほとんど全てが燥的状態で入院してきた。これは昭和45年に言論出版問題が起こるまでは非常に多かったが、それ以降は少なくなった。これは強引な折伏の中止と熱烈な勤行唱題(お祈り)があまり行われなくなったためと思われる。

 大部分は1ヶ月ほどの短期精神病性障害で収まり、外来通院または長期入院に移行した者は少なかった。しかし一部は外来通院または長期入院に移行した。

 症例は長期入院となった一部の例である。症例は「広宣流布の暁には必ず再生して広宣流布を行う」と遺言して逝った日目上人の生まれ変わりであるという誇大妄想に囚われていた。

 

【症例】

 昭和13年、満期安産で出生。6人兄弟の末子になる。幼少時より利発で学校の成績も良く、みんなから可愛がられて成長した。父親は炭坑夫であり、家が経済的に貧しかったため、昭和28年の中学卒業とともに大阪に集団就職した。

 血縁に精神疾患および先天性の疾患はない(これは初診時、家族より聴取したものである)。

 発病は昭和36年秋、23歳時、大阪で働いていた時と推測される。同僚より折伏され、強く反対したにも拘わらず、入信する。その同僚と毎日、3時間ほどの勤行唱題が始まる。

 数ヶ月後、仕事を辞め故郷である九州の炭鉱町の実家に帰る。そこで朝から夜遅くまで折伏を行い仕事をしない。朝早くに家を出て夜2時頃に帰ってくるという生活を続ける。故郷に帰ってきたのは故郷を広宣流布(日蓮大聖人の教えを弘め尽くすこと)するという考えのためであった。

 近所、親戚、友人と多数、折伏するため苦情が実家に殺到するようになる。しかし、症例は家族の制止を全く聞かず折伏を続けた。たまりかねた父親が比較的遠方の精神病院へ症例を入院させる。

 入院時、「自分は日目上人の生まれ変わりである」「自分はこの地方を広宣流布しなければならない」と主張した。幻聴・幻覚は否定した。疎通性は全く損なわれていなかった。態度は多少、尊大ぶった感じがあったが、ほぼ正常であった。神経学的にも特記すべき所見は認められなかった。

 頑固な誇大妄想以外は全て正常であった。しかし、その誇大妄想はどのような説得も効かなかった。

 病棟では最初の頃は盛んに折伏を行っていたが、主治医、看護長および院長から厳しく「病院内での布教を禁止する。布教が見つかったら隔離室行き」と言われた後は折伏を止めた。

「初めは入院したことはこの病院中を広宣流布するのだ、との意気に燃えていましたが、院長から厳しく中止されました。院長は精神病院では絶対的な存在ですから。後は、新しく入ってくる創価学会員と親交を深めるだけです」

 一度、退院して親元に帰ったが、近所、友人、親戚を折伏して回り1ヶ月ほどで再入院となっている。その後、主治医が何度も退院可能を家族に伝えたが「日目上人の生まれ変わりという考えが変わるまでは退院を受け入れない」と家族は頑なに退院を拒否するのみであった。

 家族の面会は一年に1、2回程あったが、最近10数年程は面会がない。

 元入院患者の創価学会員が衣服などを持参したりして頻繁に面会に来ている。その元入院患者の創価学会員とともに創価学会の会合に頻繁に参加している。

「幻聴がないか、と入院の時からくどいほど聞かれましたが、幻聴はありません。ただ、自分にあるのは妄想だけです。しかし、妄想だけであることをなかなか信じてもらえませんでした。幻聴というものは経験したことがありません。妄想も自分は妄想ではないと信じています。妄想を否定して退院することも何度も考えましたが、その度に妄想が消えずに存在していることを見抜かれてしまいました」

 病院の入院費は精神障害二級の手当で賄われている。

 聖教新聞は取っており、日蓮大聖人の御書とともに一日中読み耽っている。病室の自分の持ち物入れに御厨子を入れ、そこに御本尊(拝む対象のこと)を入れ、仏壇にしている。その前に大きな座布団を敷き、朝晩のお祈りは欠かさない。一日3時間ぐらいお祈りに時間を割いている。

 現在、症例は24時間酸素吸入を行っている。ポータブルの酸素ボンベとともに移動している。過去に粉塵舞い散る工場で働いた経験がある。

 廊下で出会うと礼を欠かさず、受け答えは極めてハキハキしており、とても75歳の老人とは思われず、若い好青年を彷彿とさせる。人格崩壊、自発性減退など陰性症状は全く現れていない。しかし、現在も「自分は日目上人の生まれ変わりである」という妄想は頑固として存在する。

 筆者が主治医となったとき、精神科薬はbromperidolと副作用止めのbiperiden1mg/day ずつ朝に入っているのみで睡眠導入剤は入っていなかった。あとは内科薬であった。

 妄想こそ頑固に存在するが、性格は穏和であり暴力行為の危険性もないことと、その他に精神症状が存在しないことから、bromperidolを抜く。精神症状は安定したままであり、この後は抗精神病薬無しで行った。

「先生、私は今世では広宣流布に役に立つことが出来ませんでした。しかし、来世では必ず広宣流布の役に立って、そして日蓮大聖人御遺名の広宣流布をやり遂げます。魔(いわゆる悪魔のこと)に今世は負けてしまいました」

 症例は75歳と高齢であることと塵肺症であることから近いうちに死を迎えることを予期しているらしい。しかし、症例の顔はいつも元気で明るい。よく酸素ボンベを引いて廊下を歩いている。鼻に酸素ボンベの管をしていなかったら健常者と見間違うであろう。

 

【考察】

 カルテには抗精神病薬大量療法を1回、電気ショック療法を4回受けた記載が見られる。しかし、妄想は少しも弱まることはなかったことが記載されてある。

 また、抗精神病薬は入院当初からhaloperidol 2mg/day が続けられていた。それがbromperidol 2mg/day となり、65歳を過ぎた頃からbromperidol 1mg/day となっている。入院当初より誇大妄想のみで幻聴はなかったことが記載されてある。

 鑑別疾患として妄想性障害が挙げられる。しかし、妄想性障害の場合は奇妙な現実離れした妄想は見られず、現実に即した妄想が見られることが特徴である。そして妄想性障害は23歳という若い時に起こることは非常に少ない。23歳という年齢は統合失調症の好発年齢に当たる。妄想性障害は老年期に起こることが一般である。

 入院時から診断名は妄想型統合失調症となっており、診断名の変更はない。主治医が数回変わっているが、妄想型統合失調症、器質性精神障害(疑)という記載のみである。

 シンナーなどによる物質誘発性精神病性障害も考えたが、性格は極めて真面目であり、初診時にもそれを否定する本人および家族の証言の記載がある。

 頭部打撲の既往はないが、器質性精神障害を疑われ、頭部断層撮影、頭部CT、頭部MRIを1回ずつ撮られているが特記するべき所見はなかったことがカルテに記載されてある。筆者も約45年前に撮られた頭部断層撮影、約30年前に撮られた頭部CT、約20年前に撮られた頭部MRIを倉庫より取り出してみたが、確かに特記すべき所見はなかった。神経学的検査も何度も行ったが、特記すべき所見は認められなかった。脳波は初診時より多数回取られているが特記すべき所見は認められない。

 新興宗教に入信して発症したものと考えられるため、永続している祈祷性精神障害の可能性を筆者は考えている。しかし祈祷性精神障害は一過性のものであることが一般であり、何十年も永続する祈祷性精神障害の症例報告は海外の文献を探しても無い。祈祷性精神障害が妄想型統合失調症に移行したものであり、そのためにこのような特殊な病型を取っているとも考えられる。

 昭和35年頃から数多く見られた創価学会員の急性精神病状態はほとんどが祈祷性精神障害であった。彼らは熱烈なお祈り(勤行唱題)の果てに急性精神病状態を起こした。

「自分は日目上人の生まれ変わりである」という妄想は現実に即した妄想とは考えられない。奇妙な現実離れした妄想としか考えられない。しかも、その妄想はどのような治療にも動じない極めて強固なものであった。

 

【最後に】

 筆者は今まで「日蓮大聖人の生まれ変わりである」「日目上人の生まれ変わりである」と妄想構築された統合失調症の患者を数例診てきたが、彼らは創価学会員であり、典型的な妄想型統合失調症であった。しかし、陰性症状は人格崩壊以外は無いようであった。全て元気すぎて保護室入室を繰り返していた。

「日蓮大聖人の生まれ変わりである」「日目上人の生まれ変わりである」と妄想構築された統合失調症の患者は日本全国で百人以上に登ると推定される。

 池田大作は「日蓮大聖人以上の存在」と自分を定義している。新興宗教の教祖は大部分が妄想型統合失調症である。

 池田大作はその妄想の元、宗門支配を企み、失敗して破門になった。失敗することは誰の目にも明らかであった。しかし、彼の宗門支配の欲望を押し止めることの出来る人間は存在しなかった。押し止めたにせよ、池田大作は欲望の赴くままに突っ走ったことは間違いない。

 この症例のようにほとんど陰性症状を呈していないのは、生まれ変わりの妄想のみで幻聴・幻視などが全くなかった軽症の妄想型統合失調症であったからと、抗精神病薬を発症時より少量ずつしか投じられていないため、陰性症状を顕さないでいると思われる。

「自分は来世は必ず広宣流布します」と悲しげな表情で言った悲壮感を帯びた強い言葉が今でも筆者の耳朶に残っている。

 

   (完)

 

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【研究と報告】

     大阪池田小事件と宅間守と創価学会* 

                                     創価学会内部改革派憂創同盟残党**

 

key wordsIkeda elementary school, Spree killer, Psychopathie,  Mamoru takuma,  Soka-gakkai

 

【はじめに】

 大阪池田小事件(2001年6月8日)

 この事件もスプリー殺人の典型的事例とされている。出刃包丁を持った男1名(宅間守・当時37歳)が、2時限目の授業が終わりに近づいた午前10時過ぎころ、自動車専用門から校内に侵入し、校舎1階にある第2学年と第1学年の教室などにおいて、児童8人を刺殺し、児童や教員10数人を傷害した。2003年8月28日に大阪地裁は死刑を言い渡した。死刑確定から1年未満の2004年9月14日、執行された。(犯罪学雑誌:第74巻、第6号:2008)

 

【生活歴】

 宅間守は刑務所入所と精神病院措置入院を繰り返していた。精神病院には中学生時代から強姦事件を繰り返し起こしたため、通院薬物療法及び精神療法を受けていた。そして父親と極めて不仲であった。両親は熱心な創価学会員であった。

 高校を中退した後、いつもの激しい暴力を伴った強姦事件を起こす。この強姦事件では被害者に告訴される。宅間守は精神病院を受診し、統合失調症の診断を受け、閉鎖病棟に入院させられ、いつ退院できるか分からない状況に陥った。抗精神病薬の投与量は大量であった。

 統合失調症ではない健康な人ならば少量の抗精神病薬の投与によっても激しい倦怠感のため、長時間、横臥せざるを得なくなるものである。抗精神病薬はベンゾジアゼピン系抗不安薬と異なり耐性は付きにくいため、いつまでも抗精神病薬の副作用に苦しむはずである。そして統合失調症ではない健康な人に大量の抗精神病薬の投与は不可能である。もしも統合失調症ではない人に大量の抗精神病薬の投与をすると何日も昏睡状態に陥って横臥し続けるものである。

 ところが統合失調症の患者は普通の人間が服用するととても仕事などができない激しい倦怠感に襲われるにも拘わらず、ほとんど平気である。それどころか幻聴や妄想が無くなり、却って明るく元気となる。ここで統合失調症との確定診断がつくものである。これは脳内ドーパミン系などの過活動が正常化されるためと説明されている。

 宅間守は抗精神病薬の副作用にあまり苦しまなかったらしいことを考えると統合失調症であったことの確定的な証明になる。少なくとも脳内ドーパミン系などの過活動がそのときには存在したことの証明になる。

 この入院中、宅間守は五階屋上から飛び降り自殺を図る。しかし奇跡的に下顎骨骨折と上顎骨骨折のみであった。

 池田小事件の検察官は、この入院中のエピソードを強姦罪による逮捕・有罪判決を逃れるために精神病者を装ったもの、すなわち詐病で、飛び降りも自殺目的ではなく、病院からの脱走目的としている。しかし、当時のカルテにも、その後の診断書にも宅間守の病名が一貫して統合失調症と記載されていること、実際に強力な抗精神病薬が投与され続けていたこと、精神科医を騙して統合失調症の診断名を得ることは不可能であることを考えると、詐病ではない。実際に、少なくとも当時、統合失調症の症状を呈していたことは確実である。

 そして宅間守は先の激しい暴力を伴った強姦により3年間、奈良少年刑務所に服役している。初犯で、初めての服役であるにも拘わらず、仮釈放の恩恵も受けず満期出所であったことは、入所中の行状がよほど芳しくなかったか、言葉の上だけでも改悛の情を示さなかったことを意味するものである。また、この服役期間中に宅間守は両親に金銭的な要求をし、父親によって勘当された。

 宅間守は1999年に小学校教諭4人に差し出したお茶に抗精神病薬を混入させた事件で措置入院になっていた。このときは統合失調症に罹患していて心神耗弱状態とされたため、不起訴処分になっている。

 そしてこの措置入院は39日とあまりにも短く終わっている。精神病院といえども、あまりに凶暴な性格の宅間守を入院させておくことが困難であったのであろう。退院時の診断名は統合失調症ではなく妄想性人格障害と変わっていたが、これはこの極めて面倒な入院患者を退院させるための策略であった可能性または担当の精神科医の誤診であった可能性は高い。また、この39日間の入院中に兄が自殺した。享年42歳であった。母親が統合失調症であり、事件当時、精神病院に入院中であった。母親は宅間守が24歳の時、統合失調症を発症したが、頑固な父親が自宅で10年間、面倒を見ていた。しかし、10年後、父親は母親を精神病院に入院させた。母親が精神病院に入院して3年後に池田小事件が起きた。

 退院より半年後、精神障害者保健福祉手帳の交付を申請し二級の手帳を取得している。精神障害者保健福祉手帳の二級を取得することは統合失調症または最重度の妄想性人格障害でないと取得することは不可能である。中等度の妄想性人格障害という診断では三級の精神障害者保健福祉手帳を取得することが限界である。   

 宅間守は性格が極めて粗暴であり、職場でもトラブルを頻繁に起こし、転職を繰り返していた。離婚も3回し、4回目の妻も宅間の暴力と金をせびる習癖に耐えかねて5ヶ月後には離婚した。すなわち宅間守は離婚を4回したことになる。

 1999年の措置入院の後、宅間守は精神病院への任意入院(自ら望んでの入院)を三回繰り返していた。そして四回目の任意入院を予約している間に、池田小事件を起こした。

 池田小事件の起こった2001年には、司法書士の学校に通ったり、訴訟を起こしたり、精神科医の偽の名刺を作ってお見合いパーティーなどでナンパを繰り返したり、数週間家に引き籠もって飲まず食わずの生活を送り、何回か精神科病院に短期間入院したり、ソーシャルワーカーにSOSの電話をしたり、その間に数回の自殺未遂を繰り返したりしていた。このように軽躁状態と鬱状態の両面が現れていた。

 宅間守は統合失調症、妄想性人格障害、反社会性人格障害、境界性人格障害などの合併であると考えられる。精神鑑定に於いて一つの病名を示すようになっていることは精神医学を知らない裁判官の無知である。一つの病名に限定することが困難であることが多い。精神疾患は合併することが多いものである。宅間守はその他に気分障害(双極性障害)、不安障害、向精神薬依存症も合併していたと言われる。

 

【創価学会との関係】

 雑誌に載っていた宅間守の部屋の中央に御厨子が置かれており扉が開いていて中の御本尊が写真に写っていた。この御本尊は日顕上人の御本尊であり、当時は創価学会が宗門より破門され、創価学会独自の御本尊を配布され初めて数年が経っており、創価学会は日顕上人の御本尊の回収と創価学会独自の御本尊の配布をほぼ終了していた。

 日顕上人の御本尊が宅間守の部屋の中央にある御厨子に懸かっていることより山崎正友氏は法華講員または妙観講員であることを疑い本山に問い合わせた。しかし(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:第三書館:2001:p39)において「本山の名簿に宅間守の名は載っていなかった」と書かれている。山崎正友氏は日達上人と非常に親しく、本山(宗門)に非常に近い存在であり、法華講総講頭(法華講で最も高い位)にまでなった人物である。本山に宅間守が法華講員または妙観講員かどうかを非常に詳しく調べさせたと推測される。本山は宅間守のことについて間違いの無いように綿密に調べたことは確実である。

 宅間守のような極めて粗暴な性格の者には創価学会員であっても「決して近づくな!創価学会員と見なすな!創価学会に大変な迷惑がかかる!実質上、創価学会員ではないと見なせ!」と内部伝達され、放置されるものである(誰見境なく折伏することが昔は多かったため、こういう学会員は多いのである)。御本尊が日顕上人のものであったことは放置されていたからである。また、母親は事件の13年前に統合失調症となり、以来自宅で父親が付きっきりで看病していた。後に父親が音を上げて精神病院入院となるが、父親は10年間、母親を一人で看病していた。そして事件が起こったときは母親が精神病院に入院して3年が経過していた10)。

 御厨子が開かれていたままだったということは、宅間が勤行唱題中に急性精神病状態に陥り、御厨子を閉める余裕無く、車に乗り大阪池田小へ向かったと推定される。普通、勤行唱題が終わると御厨子は閉めるものである。(筆者注:一般の人は御厨子は普通は閉めておくものという認識がないため、宅間守が勤行唱題中に祈祷性精神病すなわち急性精神病状態に陥ったという意見は未だ全く見られない。数多い宅間守についての論文に於いて、このことに言及しているものはない)

  両親は熱心な創価学会員である。宅間守は勤行唱題中に祈祷性精神病すなわち急性精神病状態に陥ったものと推測される。

 会合にも参加していなかった。すなわち連絡が来ていなかったと推測される。あまりにも性格粗暴(精神異常)で同じ学会員として扱うことに男子部の幹部が拒否(反対)したものと思われる。

 “妄想性人格障害という診断は誤りである。精神科医は普通、統合失調症という在り来たりの診断名は付けたがらない。普通の人が分からないような診断名を付けようとするものである。

 学会員も近寄り難かった(仲間であることを拒否した)ことは容易に推察できる。

 そういう精神障害者は創価学会員にはたくさん存在する。それは池田大作が創価学会に招き入れたによるものと考えるしかない。それほど創価学会には精神障害が極めて多い。創価学会員が三百万人としても、その割合は異常と言えるほど多い。

 重度の精神障害者は創価学会としても会合に来て貰っては迷惑である。自分の過去の経験からしても、そういう人は会合には呼ばないし、会合に来ることを遠慮して貰う。第一、宅間守は学会の組織に付いていなかった(付かされていなかった)。故に、御本尊が日顕上人の御本尊のままであったのである。

 第一、創価学会員は三百万人。法華講員は二十万人である。そして創価学会には精神障害が非常に多発していることを考慮しなければならない。

 死刑の判決を受けたとき「池田先生、バンザーイ!」と叫んだことは有名である。宅間守は生活の苦しさと遣り場のない苦しさから創価学会の信仰を熱心に行っていたと思われる。それは部屋の中央に御厨子が扉を開けて置かれていたことからも推察される。または幻聴に苦しみ、神仏に頼っていたとも思われる。

 ただ、性格の余りもの凶暴さと強姦などの犯罪を繰り返し刑務所と精神病院措置入院を繰り返していることから、創価学会員は創価学会の幹部より創価学会に迷惑をかける要注意人物として接触を禁止されていたと推定される。

 宅間はインターネットにて創価学会を誹謗中傷していたということであるが、妄想性人格障害と診断されていることからも創価学会員から接触を拒否されていることを強く恨みに持ち、または統合失調症の被害妄想のために、また熱心な創価学会員である父親への憎しみのため、インターネットにて創価学会を誹謗していたと思われる。

 

【おわりに】

 宅間は小学生の時に大阪教育大付属池田中学への進学を望んだが母親がお金を出してくれないため断念したとされている。しかし、大阪教育大付属池田中学は難関であり、普通の小学校ではクラスで1番でも合格することは困難であり、学年で1番か2番でないと入学できない難関である。宅間守が勉強がそれほどできていたとは考えられず、宅間守が大阪教育大付属池田中学への進学を望んだということは事実ではないと思われる。

「家庭が安定し、恵まれ、勉強できた人間でも、アホで大怪我して展望のない腐り切った自分のようなおっさんに、たかだか5~6秒で刺されて死ぬ。そんな不条理さを分からせてやりたかった。いくら勉強ができようが、いつ死ぬかわからんのが人生。世の中、勉強だけじゃちゃうぞ、と一撃を与えたかった」「そこらの子を殺すより、裕福で頭のええ、将来有望な人間を殺す方が自己満足がある」と宅間は公判で述べている。

 

【文献】

1)岡田尊司:自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム:医学書院、1994

2)岡田尊司:パーソナリティー障害、PHP新書、東京、2001

3)岡田尊司:人格障害の時代:平凡社新書:2004

4)岡田尊司:パーソナリティー障害がわかる本:株式会社法研:2008

5)笠原嘉:精神病、岩波書店、東京、1998

6)松下正明:新世紀の精神科治療(5)、現代医療文化の中の人格障害:中山書店、東京、2002

7)福島章:犯罪精神医学入門:中公新書:2005

8) 福島章:精神鑑定 脳から心を読む:講談社:2006

9) 岩波明:精神障害者をどう裁くか:光文社新書:2009

10)殺ったのはおまえだ:「新潮45」編集部:新潮社:2002

11)中谷陽二:精神鑑定の事件史:中公新書:1997

12) 磯部潮:人格障害かもしれない:光文社新書:2003

13) 伊東高麗夫:病跡学とオカルト:勁草書房:1980

14) 中安信夫:初期分裂病/補稿:星和書店:1996

15) E.クレッチュマー:天才の心理学:岩波書店:1981

16) DSM-4-TR、精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院、東京、2007

 

*An incident Ikeda elementary school, Mamoru takuma, and Soka-gakkai

**どんぐり病院(〒000-0000 どんぐり市どんぐり町000-00)

Toshiro MIFUNE000  psychiarty, 00000, 00000, JAPAN

Vvv29876@yahoo.co.jp

 

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【私のカルテから】

 統合失調症の初期より宗教を変えることにより寛解した1症例

 

                                  匿名希望

 

 

【はじめに】

 統合失調症の初期段階1)〜4)に入っていたがインターネットを見てS会からN宗に代わり、現在も健康でいる1女性例を経験した。

 その女性は結婚した夫の実家がS会であったため、S会の御本尊(祈りの対象)に祈っていて幻覚が見えてきていた。ところがS会が派生した、現在は激しい対立関係にある元々の宗派であるN宗に改宗してから、その幻覚が消えた。それから1年近く経つが症例は元気にN宗の信仰を続けている。

 こういうことは稀なことと考え、報告する。

 

【症例】

 23歳女性。恋愛結婚。交際中、夫の実家がS会であることは知っていたが、夫は全く信仰していないため、そのことを気にしないで結婚した。

 結婚して夫の両親の住むすぐ近くにアパートを借りて住むこととなったが、夫の両親は熱心なS会会員であり、S会の会合に参加することを余儀なくされ参加していた。入会届も半分強制的に書かされ入会となる。夫の父母や幹部より、祈祷も半分強制的に行わされるようになる。また、アパートには夫の両親が強制的に仏壇とS会の御本尊を置いていた。

 夫の父母や幹部より「この信仰をしたら必ず幸せになれる。毎日、お祈りを欠かさないこと」と言われ、その言葉通りに毎日、仏壇の前で祈祷を行っていた。

 祈祷の時、仏壇の回りに様々な色とりどりの動物が見えるようになる。気にしないで祈祷を続けていたが、その様々な色とりどりの動物の幻覚は次第に鮮明になってゆく。

 症例はインターネットでS会について調べ始める。そしてS会の実態を詳しく知る。症例はそのことを夫に相談する。両親が熱心に信仰しているS会に対し、元々、良い印象を持っていなかった夫は、S会が派生した元の宗教であり、現在は極めて激しい対立関係にあるN宗に入ることを決断し夫婦でN宗に入りS会を退会する。

 S会を退会しN宗に入るとともに祈る対象である御本尊をS会の御本尊からN宗の御本尊に変える。S会の時のように祈祷をN宗の御本尊に対して毎日続けていたが、S会の御本尊に対して祈っていたときに見えていた様々な色とりどりの動物の幻影は全く見えなくなっていることに気付く。

 それから1年近く経つが、現在、症例は近くのN宗の寺院に通い、そこの住職を師と仰ぎ、熱心なN宗の信者として信仰活動に励んでいる。

 

【考察】

 統合失調症を発症するのは、少なくともS会の場合はS会の信仰を始めたときに起こることが多い。症例もS会の信仰を始めたときに幻覚が見え始めていた。

 S会は昭和30年代40年代には折伏(注:布教のこと)を盛んに行い、S会に入会したばかりの人が急性精神病状態に陥いることが非常に多かった。そのため昭和30年代40年代にはS会の信者の急性精神病状態すなわち祈祷性精神障害の症例に出会わない精神科医は居なかったとさえ言われる。

 S会は熱烈な折伏とともに熱烈な祈祷(注:御本尊に向かっての勤行唱題)を行うことが一般であり、病気や貧困に苦しむ人はそれを解消するために熱烈に何時間も祈祷を行うことが多かった。それ故の祈祷性精神障害すなわち急性精神病状態の異常多発であったと考えられる。

 現在、S会は祈祷は短時間しか行わなくなり、急性精神病状態すなわち祈祷性精神障害を起こす会員は激減した。しかし、元々、統合失調症の素因を持った人には現在もS会の祈祷を行うことにより統合失調症が発症している。また、統合失調症にまでは至らないにせよ、急性精神病状態に陥る信者は現在も少ないながら存在する。

 そして現在、平成5年にS会独自の御本尊に一斉交換されてから、S会には以前から多発していた精神障害が異常多発するようになった。特にうつ病性障害が異常多発しており、しかもS会会員が発症したうつ病性障害は寛解せず、10年20年以上、寛解しない特徴がある。寛解しても短期間で再燃している。

 S会会員は日本全国で300万人と言われており、これは大きな社会問題と言えるが、S会は会員から搾取する豊富な財力などでマスコミを支配しており、このことに言及することはタブーとなっている。また、S会の抱える弁護士、検事は日本全国で300名を優に超えており、S会を批判するものを掲載するならば訴訟を起こされることを覚悟しなければならない。

 このような言論統制が民主主義国家である日本で行われているが、このことを批判することは極めて難しい。

 

【おわりに】

 S会は日本最大の宗教団体としてK党という政党を持ち、政治にも深く関与している。また、マスコミ支配も指摘されており、欧米ではカルト(セクト)と指弾されている。

 S会は昭和30年代40年代、折伏大行進という強引な布教を行い、社会を敵に回しながらも、巨大な宗教団体に成長してきた。昭和45年、言論問題により弾劾され強引な布教を原則として中止してからは政治への関与を更に強めてきた。

 S会はN宗に属する信徒団体ではあったが、実質上は別組織であったと言っても良い。S会は単一の宗教法人としての申請を昭和27年に行っており、管轄する東京都はそれを受理していた。また、S会はN宗とは独自に宗教活動を行っており、N宗の寺院に参詣するS会の信徒は極めて少なかった。また、N宗の寺院に頻繁には行くな、という暗黙の了承が末端のS会会員にはあった。S会とN宗は、S会がN宗の信徒団体であったとは言えども、常に対立関係にあった。それは戦前からと言っても過言ではない。神札を受け取るか否かについてS会とN宗は意見を異にした。神札を受け取ることを頑なに拒否したS会の初代会長は戦時中に獄死している。

 戦後、二代会長のときはS会とN宗は比較的良好な関係にあったが、三代会長になってからは始めの頃から激しい対立緊張関係にあった。三代会長の元顧問弁護士であるY氏は三代会長就任直後である昭和35年に、三代会長がS会本部にN宗のN上人猊下を呼びつけ、激しい恫喝をしたことを著書5)に於いて明らかにしている。

 それは会長室で起きたことであり周囲は知らなかったようである。寛大であられたN上人猊下はこのことを隠しておられ、それから20年近く経って非常に親密にしていた三代会長の顧問弁護士であるY氏にのみ打ち明けられたらしい。一般のS会会員は知らなかった激しい緊張関係が三代会長就任直後からS会とN宗の間には存在していた。昭和52年にN宗とS会の第一次宗門戦争が始まり昭和54年の三代会長の辞任に至るが、その萌芽はすでに昭和35年にあった。

 完全に別組織となったのが平成3年のN宗のS会に対する破門宣告の時である。それ以来、S会とN宗の争いは戦争と言われるほど極めて激しい。   

  池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように強い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 

【文献】

1)初期分裂病:中安信夫:星和書店:1994

2)分裂病症候学——記述現象学的記載から神経心理学的理解へ:中安信夫:星和書店:1991

3)対談 初期分裂病を語る:中安信夫:星和書店:1991

4)初期分裂病/補稿:中安信夫:星和書店:1996

5)懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994

 

   (完)

 

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【研究と報告】

   池田大作に信仰心はない*

 

                      創価学会内部改革派憂創同盟残党**

 

【はじめに】

 宗教はビジネスだーーーこれは池田大作の持論です。池田大作が勤行唱題をしないことは月刊ペン事件の裁判の内容をよく読むと分かることです。また、かね婦人が戸田先生に「主人が勤行をしないんです」と訴えたことも有名である。

 鋭い大幹部はこのことに気付いている。しかし反旗を翻せば年間3千万ほどの高収入が無くなる。気付いている大幹部も信仰心が欠如しているのであろう。もしくは反乱の時期を待っているのか?

 ここで大きな疑問があるが、何故、戸田先生は勤行唱題をしない池田大作を重く用いたのか? 戸田先生の事業の崩壊を食い止めたのは池田大作であった。それを恩に着ていたのか? 戸田先生はアルコール中毒のなれの果てで亡くなった。正しい判断が昭和27年頃からはできなくなっていたのか? 

 それとも戸田城聖氏は昭和26年頃、「これからは宗教が儲けるビジネスである」と考え、「貸金業」などのビジネスをしていたが、それらを妾らに任せ、自分は創価学会の経営に没頭するようにした。

 昭和26年に「創価学会」という宗教団体の申請を東京都に提出したが、これはこれからの激しい折伏戦に備えて日蓮正宗に迷惑が掛からないようにするためであると「人間革命」には書かれているが、真実は「創価学会」という宗教団体で一儲けしようとの考えのために一宗教団体としての申請をしたものとも考えられる。

 戸田先生のアルコール耽溺は自らが信仰している日蓮正宗を利用して金儲けをしようという企みが原因とも考えられる。その罪悪感に苦しんでの戸田先生のアルコール耽溺であった可能性は高い。宗教はビジネスだーーーこれは池田大作の持論だけではなく戸田先生の持論でもあった可能性は高い。池田大作は戸田先生の持論を引き継いだだけなのかも知れない。すでに戸田先生の頃から宗教はビジネスという考えがあった可能性は極めて高い。

 創価学会が昭和20年の後半および昭和30年の前半、急速度で発展したのは日蓮正宗の信仰に凄い力があったからである。他の宗教とは比べものにならないもの凄い力があったからである。それは日蓮正宗の御本尊の前に座ってみると分かるものだ。霊感の強い人は強く分かる。霊感の鈍い人はあまり分からない。

 戸田先生の功績でも、池田大作の功績でも全くない。創価学会の大発展は、日蓮正宗がもの凄く力のある宗教団体だったからである。日蓮正宗の御本尊にもの凄い力があったからである。

 戸田先生は地方の講演のときもアルコールを飲みながら講演していたという証言が余りにも多い。

 池田大作が王宮貴族以上の女遊びに耽っていたのは仏法を信じていなかったからである。仏法を信じていたならば、そういうことを行っていたならば、死後、地獄に堕ちる故に、そんなことは行わない。

 御本尊を幹部会の時、不潔に扱ったことも、御本尊を敬っていなかったからだ。御本尊を勝手に八体彫刻させたのも信仰心がなかったからだ。

 池田大作は入信当初は肺結核を治したい一心で真面目に信仰していたようであるが、昭和26年頃に信仰心を失ったらしい。そして創価学会はこれから大きく発展する、その会長になろう、と考えたらしい。それは、かね婦人が「夫が勤行をしないんです」と戸田先生に話したことから考えられる。そして勤行しないのは「自分は特別だから」と答えたのは、自分が大聖人の生まれ変わり、または、それ以上の存在という妄想を持っていたからであろう。池田大作の退転は肺結核が小康状態になった時と推定される。軽症の妄想型統合失調症に罹患したのも、その頃と推定される。

 池田大作の口癖だった「天下を取ろう!」と言っていた時はすでに軽症の妄想型統合失調症に罹患していた。未だ研究されていない領域であるが、軽症の妄想型統合失調症は多い。彼らは薬を飲まなくとも老年期までは何とか社会生活を送れている。しかし老年期になると高頻度で統合失調症様状態を起こし、精神科を受診せざるを得なくなっているようだ。池田大作が最近、同時放送に出席しないのは統合失調症様状態を起こしているためである可能性は高いと筆者は見ている。これは分裂病型人格障害、分裂病質人格障害のような人格障害とは関係ないと考えている。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように強い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 

 

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(以下は、モデブーに是非読んで貰いたい。そして、モデブーの指導を仰ぎたい)

(症例1)

 彼は筆者が創価学会の信仰を熱心に行っていたときの初診である。筆者とほとんど同時に、池田大作への疑いを生じた。彼は親戚も含め親兄妹が極めて熱心な創価学会員であったが、極めて強い反対を押し切り、創価学会を脱会し日蓮正宗法華講に移った。親兄妹との縁が全く切れた、と彼は言う。

 彼の発病は高校3年次、大学入試直前のことだった。二次試験が1週間後に迫っていたときに発症した。社会不安障害(対人恐怖症)である。一日三時間の唱題を五座三座の勤行とともに行っているときだった。余りに熱心に信仰をしたために発症したと言えよう。彼自身、「毎晩、夜遅くまで、とても熱心に勤行唱題していた」と言う。過去の重罪が現世に軽く現れたと言うことが出来ると思われた。「池田創価学会という“魔”の信仰をしていたために病気になったと思う。池田創価学会に属して信仰していたために発症したのだと思う。もし、純粋に日蓮正宗で信仰していたら発症しなかったと思う」とも言う。

 東大理科1類志望であったが現役時、二次試験の時、対人緊張が激しく、失敗。一浪して、東京工業大学へ行く。現在は知らないが、当時は大きくランクを落としての受験であった。合格しても無念であったという。

 今は、大手企業の自動車開発部門に属し、主にラリー部門の自動車設計および研究に懸命に取り組んでいる。

 彼は大学生時代、様々な宗教遍歴を繰り返した。しかし、自殺の一歩手前で創価学会に戻り、創価学会の信仰を心の支えとして、懸命に仕事に取り組んだ。ラリー部門の一員として海外での生活も長い。海外生活の時も一生懸命に創価学会の信仰を行ってきた。創価学会の信仰が心の支えと成り、極めて厳しい仕事にも耐え抜くことが出来た。その極めて熱心な仕事ぶりが認められ、彼はラリー部門の責任者に抜擢された。

 しかし、彼は、同時中継で、本物の池田大作の姿を繰り返し見て、失望し、創価学会への信仰心が醒めてしまった。その後、法華講へ移った。しかし、法華講にて信仰に励んでも彼の社会不安障害(対人恐怖症)は軽症化の傾向を見せなかった。

 折伏も懸命に行い、三人入信させた。五座三座の勤行と三時間の唱題も続けている。住職を強く慕い、住職を強く信じ、折伏にも未だ果敢に挑戦している。しかし、彼の社会不安障害(対人恐怖症)は軽症化の傾向を見せない。御書の主に佐渡御書、兄弟抄を心に、それでも懸命に折伏に挑戦しているが、次第に宗門への疑問も抱くようになってきた。彼は一人で日蓮大聖人を信仰してゆくことも考えていると言い始めた。日蓮正宗と距離を置くことも考えていると言い始めた。

 インターネットでの様々な情報、そして多数の書籍を読み、彼は日蓮正宗すなわち日蓮宗富士派への疑いが生じてきていた。日蓮大聖人の信仰は後世の狂信者により歪められてきたという激しい葛藤があった。彼は大御本尊偽作説も御書の80%が後世の偽作であることも知っていた。しかし、それは些事であるという。大御本尊が後世の偽作であることは学術的に間違いのないことであるが、人々の信仰により、大聖人の生命が宿られたと信じていた。彼は、身延派などにも訪問し、そこで勤行唱題をしたが、富士大石寺の大御本尊に向かって祈るときの強い激しい歓喜は無かったという。そして身延派などが日蓮大聖人を軽視し、毘沙門天など他の神に祈ることに納得がいかなかったという。

 宗教の堕落は何処にでも生じ得る。その最たるものは池田大作である。すなわち創価学会は大きく堕落した。しかし、彼は、創価学会は戸田城聖氏の時代から、すなわち創価学会発足時点から堕落していたと主張する。しかし、日蓮正宗はほとんど堕落していない。ただ、御書の八十%が偽書であることが大きく彼にのし掛かっていた。彼はもはや日蓮正宗発行の御書を捨て、身延派発行の御書を持っていた。

 彼は今も、五座三座の勤行に合わせ一日三時間の唱題を続けている。彼の宗教的葛藤は続いているが、今も、折伏に懸命であることも変わりが無い。

「しかし、偽書と言っても、それは信者の信仰を鼓舞するためのものが大部分であり、尊重するべきであるとも思われます。偽書に日蓮大聖人が言われたかったことが書かれてあるように思われることが良くあります。鎌倉時代は紙は非常に貴重品でした。日蓮大聖人が書きたかったことも書けないで居たことを偽書は代わりになっているという気も良くします。偽書であっても大聖人が書かれたものと信じることが大事ではないかとも思われます。鎌倉時代は現代と異なり、紙は非常な貴重品でした。偽書を気にすることはこれからは辞めようと思います。再び、日蓮正宗発行の御書を学んで行こうと思います。

 大聖人の書き残したかったことを代弁しているのが偽書であるとこれからは考えて行こうと思います。」

 

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【寄稿】

    創価学会の未来

 

 原島嵩氏と山崎正友氏は創価学会から極めて激しい人格攻撃をされている。創価学会に弓を引く人は全て激しい人格攻撃をされる。日顕上人、矢野絢也氏、竹入義勝氏なども同じである。宗門すなわち日蓮正宗に移転した人は全て激しい人格攻撃をされている。

 原島嵩氏、矢野絢也氏、矢野絢也氏、竹入義勝氏など反逆者の烙印を押された人達は池田大作の側近中の側近であった。側近中の側近ばかりから池田大作は裏切られている。皆、池田大作に呆れ果てて裏切ったのだ。誰も池田大作に従ってゆこうとは思わなかったのである。池田大作とは憐れな人間である。ただ一人、第四代会長である北条浩氏だけが裏切らなかった。北条浩氏ももっと長生きしていたら裏切っていた可能性が高い。

 聖教新聞はその人格攻撃を踏み絵をさせるように悪罵に満ちている。もはや聖教新聞は宗教団体の新聞ではなくなり、池田ファミリー礼賛に終始している。

 東京の創価学会本部および聖教新聞本社に勤務する人達は池田大作の本性を知っている人が多いと思われる。しかし、未だに聖教新聞は池田大作礼賛に満ちている。オウム真理教のようにマインドコントロールの成せる技と推測するより他にない。聖教新聞を造る中心的人物は故意に聖教新聞を池田大作礼賛に満たして末端の創価学会員に創価学会の堕落と矛盾を知らしていると考えるのは甘い考えであり、その可能性は低いと考えざるを得ない。

 創価学会はオウム真理教のように池田大作の死後もマインドコントロールにより池田大作礼賛を絶やすことはない可能性が高いと推測せざるを得ない。このまま創価学会がオウム真理教のようにマインドコントロールされた人達により池田大作を神様のように仰ぐままである可能性は非常に高いと推測される。

 創価学会の内部改革は秋谷元会長が立ち上がると可能と思われるが、秋谷会長も高齢である。秋谷元会長が創価学会改革に立ち上がっても秋谷元会長よりも若いマインドコントロールされた中枢幹部により秋谷元会長が追い払われる可能性は高い。秋谷元会長は池田大作から激しい屈辱を受けてきた故に池田大作に憎悪の念を抱いていることは間違いない。

 もはや創価学会を見限って日蓮正宗に移ることが賢明であると思われる。創価学会に抜本的な大きな改革が行われる可能性は極めて低い。

 創価学会の未来はこのように悲観的であり、このまま創価学会は衰弱を続ける可能性が極めて高い。創価学会は昭和の幻として終わる可能性は極めて高い。

 現在、創価学会に強い信仰心を持っている人は少なくなっている。ただ、婦人部だけが頑張っているのみである。壮年部は壊滅状態に近い。壮年部は信仰心を無くしてしまい、家庭破壊、家庭騒動を起こしてまでも日蓮正宗に移ろうという信仰心を維持している人は少ない。信仰心の崩壊が壮年部には起こっている。

 座談会の参加者はほとんどが婦人部で占められ、壮年部で座談会に参加するのはほとんど幹部のみである。役職のない壮年部が座談会に参加することは稀と成っている。

 男子部の頃は若い血気に満ちて信仰活動していた人も壮年部に入ってからは創価学会(池田大作)の本性を見抜き、勤行唱題もしなくなることが非常に多い。同時放送での池田大作の自画自賛の連発、広宣流布は自分(池田大作)がやったと公言することに呆れ果て、創価学会(池田大作)の信仰への情熱が無くなってしまった人が余りにも多い。これは筆者もその一人になる。

 同時放送は創価学会の自滅に繋がった。もし同時放送が始まらなかったら、末端の創価学会員は池田大作の本性に気付くことはなかったはずである。池田大作を遠い存在として崇めさせていることが賢明であった。それ故に筆者は同時放送は池田大作に反感を持つ副会長達が進めた謀略ではないかと疑っていたし、現在もそのように疑っている。同時放送が始まってからの創価学会の弱体化は顕著である。同時放送に参加できない、高齢の創価学会員は未だに創価学会(池田大作)に疑いを持つ人は少ない。筆者の親は同時放送に参加したことがない故に池田大作の本性を知らない。未だに池田大作は神のような存在と思っている。

 何故、同時放送という創価学会自滅の方策をとったのかが筆者には未だに不思議で成らない。同時放送の開始は池田大作の命令であった可能性が高い。側近は池田大作の本当の姿が末端の創価学会員に知られるのを怖れ、同時放送を始めようとはしなかったはずである。重度の自己愛性パーソナリティ障害に侵された池田大作が命令して同時放送を始めさせたと考える他に理由が見当たらない。池田大作は遠い存在として崇められている方が良かったのである。

 自己愛性パーソナリティ障害ならば自分を理想化し、自分中心に世界が回っていると考える。それ故に池田大作は自分の姿が末端の会員にどのように映るかを見透すことができなかった。池田大作は自分は特別だから勤行しなくて良いとかね婦人に言っていた。また、昭和24年頃から既に「将来の自分の姿を見ていて下さい」「天下を取ろう」と公言してはばからなかった。池田大作はすでに昭和24年頃から自己愛性パーソナリティ障害もしくは極軽症の妄想型統合失調症に罹患していたと考えて間違いはない。池田大作は「天下を取ること」を目標としていたが故に、他の社員が次々と辞めていくなか、給料無しでも戸田城聖氏の事業に付いていったと考えられる。戸田城聖氏に付いていったならば日蓮正宗の宗教団体すなわち創価学会の長になることができることを見透していたと思われる。それは池田大作自身の結核が劇的に治癒したことから日蓮正宗の信仰に確信を持っていた故と考えられる。「日蓮正宗の信仰は凄い、この信仰を利用して天下を取ろう」と考えていたと思われる。信仰利用の極致がここに見られる。 

 統合失調症ならば創価学会会長となることは不可能であったという意見があると思われるが、軽症ならば社会生活を抗精神病薬無しに無難に過ごすことも可能である。池田大作の大蔵商事での超人的な働き、すなわち金のある家を当てることが超人的であったことは池田大作は霊能力すなわち超能力を持っていたことになる。霊能力すなわち超能力を持っている人はほとんどが統合失調症である。新興宗教の教祖もほとんどが統合失調症である。たとえば幸福の科学の教祖は夜、ベットの上で突然、神言を言い始めるしばしばあること、それ故に精神科受診を勧められていたが精神科受診はないことを、離婚調停中の配偶者がマスコミに暴露した。高橋信次、天理教の教祖なども統合失調症と診断される。

 カリスマとは狂気の代名詞である。ヒットラーは精神的疾患はなかったと思われるが、そのカリスマ性は一つの狂気であった。池田大作にしても、そのカリスマ性は狂気の裏表であった。暴君的存在、自己愛性パーソナリティ障害がカリスマと言われるようになる。

 インターネットの発達により神のような存在はこれからは無くなってしまうと思われる。真実の姿が末端の信者に知られるようになるからである。麻原彰晃にしても末端の信者は未だに麻原彰晃を崇めている。これは麻原彰晃が同時放送のような末端の信者に自分のそのままの姿を知らせなかった故である。カリスマは遠い存在として崇められていなければならない。近くの存在にするとその実像を知られてしまい、カリスマとしての価値を喪失してしまうからだ。

 池田大作の場合、言動、振る舞い、常軌を逸している。そのための反池田大作派の策略が同時放送の開始であったと考えられる。

 しかし、常軌を逸した言動、振る舞いが却って池田大作を神格化させ、反池田大作派の策略は失敗に帰したと考えても良いのが同時放送でもあるが、筆者のように同時放送での池田大作の言動、振る舞いに、信仰への疑いを持ったものは多いと推測される。それは男性に多く、女性には少なかったと思われる。

 女性は信仰心が篤いことが普通である。これは創価学会に限ったことではなく、ほとんど全ての宗教に言えることである。オウム真理教の場合はテロ行為は男性が行いやすかった故と考えられる。

 池田大作の常軌を逸した言動、振る舞いは軽症の妄想型統合失調症と定義して間違いないと思われる。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように固い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 

 

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(4月6日昼) 

 今は4月6日。自分は今からはシルバーバーチの教えを弘めることに命を懸けてゆこう。創価学会も日蓮正宗もカルトである。偏った考えに支配されてはいけない。

 創価学会を辞め日蓮正宗に走り家庭内離婚した人がいる。実際に離婚した人もいる。創価学会の実態を知りすぎた自分は創価学会の信仰に戻ることはない。しかし、日蓮正宗に走ることも極端であると思う。

 以前から気に懸かっていたシルバーバーチの信仰を再び始めようと思う。シルバーバーチの教えに従った生き方をこれからはしてゆこう。シルバーバーチの教えとは「人の道を貫く」ことである。布教のために家庭を破壊することはシルバーバーチの教えに反する。

 妻とは何年も前から家庭内離婚のような状態である。このまま家庭内離婚の状態を続けてゆくしかないと思う。2人の子供のためにこれからは生きてゆこう。いや、もう何年も前から「これからの人生は子供のために生きてゆく」と決意していた。

 偏った考え、教えに支配されてはいけない。創価学会も日蓮正宗もカルトである。カルトは狂気に通じる。創価学会も日蓮正宗も「明日のことを思い煩うことが無くなるり、元気になる」という良いところがあるが、人の道を外れることにも繋がっていると思う。

 看護婦さんとの恋をとり、離婚を考えていたが、それは人の道に外れると思う。やはり2人の子供と親のために離婚はしないで、家庭内離婚で良いだろう、耐えていくしかない。

 創価学会批判はこれからも続けてゆかなければならないだろう。300万人の創価学会員に真実を知らせて救ってゆくべきだ。カルトに苦しむ創価学会員を救うためにも創価学会批判は続けてゆくべきだ。

 人のために生きてゆくこと……それは創価学会批判を続けてゆくことであろう。シルバーバーチ様もそう言われるであろう。シルバーバーチ様の教えは放っていても自然と拡がってゆく。

 創価学会員はカルトという言葉を知っている人は少ない。カルトという言葉を知らずに選挙運動などに走らされている。創価学会の衰退は明らかである。布教を忘れ、池田大作の日本支配のために走らされ、不幸に向かい続けていることを知らない創価学会の末端の人達。

 創価学会は放っていても崩壊と衰退の道が残っているだけである。 

 

(4月6日夕方)

 やはりシルバーバーチでは元気がなくなるのである。日蓮正宗を内得信仰してゆこう。元気になるには日蓮正宗しかない。

 三船小仏はシルバーバーチへの改宗を考えましたが、やはり元気がなくなるのです。

 僕、三船小仏は日蓮正宗で行きます。隠れ日蓮正宗としていきます。日蓮正宗と思うだけで元気が出て来ます。アヘンと言われてもいい。日蓮正宗は生きている一瞬一瞬が歓喜と成るという経験した人にしか分からないところがあります。僕、三船小仏は日蓮正宗の信仰を続けてゆきます。隠れ日蓮正宗として信仰を貫いてゆきます。

 

 

(4月8日夕方 病院にて)

 狂顎教授ウイルス殿へ

 

 狂顎教授ウイルス殿は創価学会内部改革派の最高責任者として活動して貰いたいと思い書いています。狂顎教授ウイルス殿は教学力も信仰心もあります。ただ、その信仰心が創価学会(池田大作)の矛盾に気付き激しく揺れていることが分かります。狂顎教授ウイルス殿も自分と同じように創価学会(池田大作)の矛盾をどうにかしなければならない、創価学会を清浄化(正常化)しなければならないと思いながらも、創価学会の中枢幹部でない以上、どうすることもできない無力さに悲嘆、落胆していると推測しています。池田大作が正しい、創価学会が正しい、と主張していることは単なる強がり、負け犬の遠吠えのようにしか聞こえません。

 原田会長、秋谷元会長らがどう動くか、判断に苦しみます。身の保全を考えて大きな改革は行わないで行くような気がして成りません。しかし、そうすると創価学会は池田大作が創始者である新興宗教団体と成り下がってしまいます。そして衰退の道を歩むことは明らかです。

 300万人の創価学会員の幸せを考えるなら日蓮大聖人の民衆救済の精神を我が身にして民衆救済のために余生を捧げるべきと思います。それは茨の道になるように思います。自分は女房一族が狂信的な創価学会である以上、創価学会内部改革派として立つことは家庭の破壊を意味します。しがらみが自分には強くあります。自分には家庭を破壊しても創価学会内部改革派として立つ信仰の確信がないのです。信仰弱き自分なのです。もう信仰に燃え尽きてしまっていると言って良いと思います。自分も幼い頃から狂信的に創価学会の信仰をしてきました。

 

 しかし、インターネット上だけでなく本を出版することも計画しています。匿名で出版することになります。

 創価学会内部改革派の本を出版することにより多くの創価学会員が間違い(過ち)に気付いてくれることを期待しています。池田大作がどんな俗悪な人間であったかを創価学会員に知らせてゆかねば成りません。

 創価学会の末端の会員は現実の生活が苦しい故に功徳欲しさに選挙運動などに走らされています。自分の母もそうです。選挙とは池田大作が権力を握るという醜い欲望のためのものであったことを全く知りません。池田大作がヒットラーに比肩する狂人であったことを全く知りません。

 

 300万人の創価学会員を救うためです。命を懸ける価値は十分にあります。

 日蓮大聖人は民衆救済のために命を懸けられました。日蓮大聖人の御精神を狂顎教授ウイルス殿も身に待して下さい。

 自分も隠れながらも本を出版することなどによりできる限りの努力をします。自分も日蓮大聖人の御精神を身に待して、できる限り頑張ります。 

 

 創価学会は池田大作が亡くなるとどうなるでしょうか? 秋谷元会長らが創価学会の抜本的な大きな改革をしないことには創価学会員には不幸なことが今までのように起こり続けるような気がして心配です。

 藤原範昭氏は池田大作が亡くなったときに立つのか立たないのか全く分かりません。創価学会の狂信的な男子部または創価学会が雇っている暴力団により動きの取れない状態にあると言われています。  

 

 自分は女房一族が熱烈な創価学会員であることもあり、毎週、日蓮正宗の寺院に通っていたことは穏便に片付けられました。もはや日蓮正宗の寺院に通うクルマのナンバーを記録することは行われていませんでしたが、自分のポルシェは目立っていたのです。一年近くも本部長は自分が日蓮正宗の寺院に通っていることを知っていたにも拘わらず、何も言わないで黙っていたのです。そして、つまり創価学会の活力の激しい低下が起こっているのです。これが平成5年頃のことならば大問題になっていたことです。平成5年から18年、創価学会は活力を激しく低下しています。選挙の票の低下は僅かですが、それは創価学会が折伏を行わなくなったことにより、社会からの反感が少なくなったからです。また、創価学会が選挙に非常に力を入れているからです。

 池田大作が亡くなると創価学会の活力の低下は極めて激しいものになるでしょう。少なくとも衆議院、参議院での凋落は激しいものと成るでしょう。創価学会員は選挙への情熱を大きく喪失することは確実です。しかし、それが折伏を中心とした本来の宗教団体としての復帰に繋がるような気がします。衆議院、参議院への進出は池田大作が日本国の総帥になるという野望のためだけであったからです。それに走らされてきた創価学会員は憐れでした。

 

 池田大作が亡くなると創価学会は本来の宗教団体としての姿を取り戻す可能性は高いですが、宗教団体としての活力の低下はどうすることもできないと思われます。創価学会は昭和の幻として消え去ってゆく可能性も大きくあります。

 狂顎教授ウイルス殿はrsd氏が日蓮正宗に対して徹底的に破折されたことからも日蓮正宗を疑っていらっしゃるようですが、日蓮正宗の御本尊には確かに凄い力があります。これは狂顎教授ウイルス殿も御本尊が創価学会製の御本尊に一斉に換えられてから薄々、気付いていたのではないかと思います。御本尊に以前の力が無くなったことを。以前の御本尊、すなわち日達上人の御本尊には力がありました。「南無__は歓喜の中の大歓喜なり」という御書の御文の通りのような歓喜がありました。それが御本尊が創価学会製の御本尊に一斉に換えられてから無くなってしまいました。

 自分も創価学会製の御本尊に換えられてから以前の御本尊と少し違う、何かが違う、以前味わっていた「南無__は歓喜の中の大歓喜なり」が無い、と気付いていたと思います。しかし、当時の自分は仕事が大変でそういうことを考えている余裕がありませんでした。

 自分はその頃、仕事が大変でしたし、未だ独身で一人暮らしでした。聖教新聞も創価新報も全く読まない年月が続きました。心の余裕がなかったと言っても良いと思います。御本尊が替わった、以前と比べてあまり元気になれない、と自覚していたと思います。勤行唱題は欠かさず、五座三座と行っていました。題目も一日2時間ぐらい上げていました。でも、あの頃は歓喜がありませんでした。自分には冬の時代と言っても良かったです。歓喜がないのが創価学会製の御本尊のためであることに、おかしい、おかしい、とは思いながらも気付いてはいなかったのです。

 当時、自分が住んでいた学会の地区は自分に対して冷たい地区でした。引っ越しすることによって暖かい地区に入ることもあれば冷たい地区に入ることもありました。僕は夜逃げ、昼逃げ、朝逃げを計4回したから良く分かります。地方によって温度差がかなりありますし、相性があります。

 

 日蓮正宗の大御本尊が第九代日有上人の頃に造られたとする説は強く、これは確かに破折できないことと思います。しかし、自分はこの日有上人の時代に造られた板本尊に日蓮大聖人の生命が宿られたと思います。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊が質に出され質流れをしたときに大聖人の生命は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊から日蓮正宗の大御本尊に移られたのだと推測します。自分は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に勤行唱題を始めて4日後にうつ病性障害が再燃したことから今では保田妙本寺を恨んでいます。4年半、完全に寛解していたと思えていたうつ病性障害が再燃して苦しみました。うつ病性障害が再燃してからも2ヶ月間、保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に対して無理をして遙拝勤行をしていましたが、自分はお人好しでした。

 

 狂顎教授ウイルス殿が勘違いされていることの一つに、正本堂は日顕上人が壊したと思って居られるようですが、大御本尊の前のレリーフには池田大作の半裸体の像が刻まれています。重症の自己愛性パーソナリティ障害である池田大作が強制的に掘らさせたのに間違い有りません。そして正本堂落成の式典にはキリスト教の牧師も多数、来賓として呼ばれて参加しています。正本堂は始めから謗法の建物であったのです。戒壇を建てると池田大作は公言して信徒から多額の金を集めました。一生に一度の供養と言われて生命保険を解約する人は後を絶たず、 サラ金から金を借りて供養金を捻出した人も多数居たと言われます。狂顎教授ウイルス殿は新聞配達をしてお金を貯めたということです。全て池田大作が悪いのです。日顕上人を恨むのは筋違いで、池田大作を恨むべきです。しかも、正本堂は耐震対策がかなり不十分であったということです。設計者はたしか日達上人の甥であったと思いますが、その甥を池田大作は金で買収したのでしょう。池田大作なら十分やりそうなことです。

 

 今、気付きましたが、自分はうつ病性障害のときも保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に対して遙拝勤行をしていたのでした。再燃したうつ病性障害が軽症だったからかも知れません。自分は創価学会の信仰を真面目に行っていたとき、うつ病性障害が重症の時も日達上人の御本尊に対しては軽く勤行唱題できることが不思議だったことを思い出します。うつ病性障害が重症の時は創価学会製の御本尊すなわち日寛上人の偽御本尊には題目一唱もできなかったのです。これが創価学会製の御本尊すなわち日寛上人の偽御本尊に換えられてからの創価学会員のうつ病性障害の異常多発と関係があるような気がします。それまでは異常多発ではなく単なる多発でした。

 狂顎教授ウイルス殿は創価学会(池田大作)を否定することは自分の小さい頃からの人生を否定することと同じであるから否定しようとしないとも思われますが、それはエゴイズムであると思います。昔は宗教問答で負けたら自分の宗教を捨てて勝った方の宗教に替えていたと聞きます。

 創価学会(池田大作)を否定することは新しい道を開くことになるのではないでしょうか? 今まで間違っていたからこそ、今までの間違いを生かすことができるではないでしょうか? 長い長い間、一生懸命にしてきた信仰を捨てることにより、その信仰の間違いが良く分かります。また、そのため、その経験を話すと説得力が非常に強いのです。経験(苦闘)のない説得は弱いです。

 狂顎教授ウイルス殿は池田大作を師匠と仰いでいることが間違いです。狂顎教授ウイルス殿もかなり葛藤しながらも池田大作を師匠と信じようとしている無理が感じられます。

 狂顎教授ウイルス殿は惰性で池田大作を師匠と仰いでいるのでしょうか?

オウム真理教の犯罪実行犯達も師匠である麻原彰晃の間違いに気付いていたはずです。しかし、洗脳があり、麻原彰晃の間違いに気付いていながらも、麻原彰晃を師匠と敬い続けていました。洗脳とは怖ろしいものです。大量殺人をも正義と思わせるのがイスラム原理主義、ナチス、オウム真理教などのようなカルトです。それと同じことが創価学会でも起こっています。そして狂顎教授ウイルス殿の心の中でも起こっています。自分の心の中でも起こっています。池田大作を師匠と仰ぐことは狂気です。狂気であることを薄々気付いていながらも師匠と仰ぎ続けている。



創価学会も日蓮正宗も顕正会もすべてカルトです。しかし、カルトにはカルトなりの良さもあるのです。カルトには麻薬的要素があります。その為にカルトを抜け出すことができない。



自分もその為に苦しんでいます。何を信じたら良いのか苦しんでいます。幼い頃から命を懸けて信じてきた創価学会が間違いだと気付いたときの落胆と失望、そして間違いを間違いでないと否定しようと葛藤し続けたこと、その葛藤は今も続いています。



原島嵩氏も山崎正友氏も苦しみました。彼らは日蓮正宗の信仰を取り、池田大作に反逆しました。反逆しないで今も創価学会の最高幹部として居座っている人達の心は醜いと思います。



今も創価学会の最高幹部として居座っている人達はその贖罪として今からでも遅くない、反逆するべき、または創価学会を良い方向へと導いてゆくべきです。



創価学会を良い方向へと導いてゆくことが無難でしょう。池田大作が亡くなった後に自らの良心に反することなく、創価学会を良い方向へと舵を取ってゆくべきでしょう。



創価学会も日蓮正宗も大きな改革が必要です。大きな改革無しには、正義の団体になることは不可能です。

 

(追記)大仏が怖い

創価学会にはオウム真理教の行ったこととは異なる大きな大きなテロを行う計画があったようです。日本支配のための大きなテロの計画があったようでしたが、実行に移されなかったようです。これを知っている人は少なくないと思われます。






 

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創価学会内部改革を考える(創価学会は昭和の幻か?)

 

 高校一年生の女子学生が言った。

「身体が怠くて怠くて堪らないのです。いろんな病院へ行きましたが、いろんな検査をしても異常なしで、ここに行くように言われました」そう言って彼女は俯いた。

 紹介状は内科の医師からのものだった。うつ病性障害を疑っていた。問診をして間違いなく、うつ病性障害であった。そして今日、付き添ってきている母親が乳ガンの末期であるという。父親も先日、腎臓癌の手術を受けたという。しかも父親は現在、胃ガンを宣告されているという。

 母親が言った。

「この子は勤行しないから病気が治らないのです。以前はよく勤行していましたが、この病気になってから身体が怠くて勤行できないと言って勤行をしないのです。ですから治らないのです。創価学会の信仰ではどの様な病気も治ります。この子は池田先生の弟子なのに根性がないのです。池田先生が病気で苦しんでいるというのに池田先生の病気が治ることを祈ろうとしないのです。だから、こんな病気になったのです。勤行をちゃんと行うと治るのです」

 ーー母親が狂信的な創価学会(池田教)の信者であることは明らかであった。こういう狂信的な池田教の信者には何を言っても不可能であることは経験上、知っていた。

 

「お母さん。僕も小さい頃から創価学会だったのです。僕も小さい頃から勤行唱題を熱心に行ってきました。でも、次々に病魔に襲われました。少年時代は病気との闘いでした。それでも挫けずに僕が医者になったのは創価学会の信仰をしていたからかも知れません。いや、それよりも、毎晩12時ぐらいまで勤行唱題していましたから勉強する時間が無くて、高校の頃、高校を辞めようと登校拒否になっていた頃に医者になろうと決心して、それから猛烈に勉強するようになったからでした。それまでは勤行唱題や御書の勉強で学校の勉強を家でしたことはなかったですから、それから成績は奇跡と言われるように上昇してゆきました。でも、自分は小学校の頃はとても勉強ができていました。算数は先生たちよりできていました。先生に間違いを教えていました」

 

 創価学会員にはとても精神障害が多いです。小さい頃から熱心な創価学会員であった僕はそのことを精神科医になってから現実に知り、愕然としました。とくに最近はうつ病が増えてきたように思います。

 うつ病のとき、勤行唱題はとてもできません。東京にある創価学会員専門の精神科クリニックでは勤行唱題の禁止を厳しく言っています。しかし、そのクリニックを受診する患者は熱心な創価学会員が多く、なかなか守られないようです。自分もうつ病になって脳外科から体力が必要ではない精神科に移りました。僕はその頃、とても熱心に創価学会の信仰をしていました。

 僕も何故、自分がうつ病にならなければならないのか納得できませんでした。うつ病とは信じられませんでした。創価学会員のうつ病の特徴として精神的な抑鬱は病相が進まないと起こり難く、激しい全身倦怠感が強く表れる傾向があります。でも、友人の精神科医が言うように、たしかにうつ病でありました。うつ病になって7ヶ月経って始めて希死念慮が頭をよぎりました。頭をよぎっただけでしたが、このとき自分がうつ病であることを始めて認識しました。慢性疲労症候群に類似した疾患あるいはウイルス感染と発症当時から自分で診断していました。自分はその頃、熱心な創価学会員であったためか抑鬱感を自覚することがなかったのです。広宣流布への使命感が抑鬱感を抑えていたのだと思います。

 

 自分は創価学会、池田大作に疑問を抱き、日蓮正宗のお寺に通い始めました。自分の家は女房の一族が熱烈な創価学会で日蓮正宗法華講に移ることはできませんでしたので隠れながらお寺に通っていました。しかし僕のクルマはポルシェであるためか、すぐに創価学会に知れてしまっていたのです。知れてしまっていることを知らず、自分は1年近く隠れるようにお寺に通っていたのです。ある日、本部長から、お酒を飲もうと誘われ、訝しながら、お酒を飲みに行くと、自分がお寺に通っていることを本部長はかなり以前から知っていたということでした。ナンバーを控えられたのか、ポルシェだったからか分かりません。

 それから僕はお寺に通わず創価学会内部改革派としてやってゆくことにしました。以前から3年前から創価学会内部改革派と名乗ってインターネット上で活動していましたが、それに戻ったのです。自分は200万人、いや300万人の創価学会員を救うためと今もインターネット上で活動しています。何も知らずに創価学会の信仰をしていた方が幸せだったかも知れません。楽しかったかも知れません。しかし、苦し過ぎました。悪いことが余りにも立て続けに起こり続けていました。病院を解雇される直前に気付きました。それから病院で失敗することは全くなくなりました。不思議でした。

 娘さんは熱心に創価学会の信仰をされていたはずです。熱心に信仰をされていたから病気になったのです。適当に信仰している人は病気にはなりません。最近の若い創価学会員は熱心に信仰をする人は非常に少なくなっています。でも、娘さんは熱心に信仰をされていたから、だからうつ病になったのです。

 

 池田大作の本性に気付かなければなりません。もう同時放送で池田大作の姿を見ることはないでしょうから遅いかも知れません。同時放送にちゃんと出ていたのでしょうか? 同時放送で居眠りをしていたのではないのでしょうか? そうでないと池田大作の本性に気付くはずです。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように強い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 自分は池田大作の同時放送での余りもの傲慢な態度に憤り、そして創価学会の信仰を捨てたのです。創価学会に見切りをつけたのです。今、創価学会を戸田先生の時代の創価学会に戻そうとインターネット上で活動しています。しかし、創価学会が以前の清浄な信仰団体に戻る可能性は低いと思いますし、戻るとしても長い長い時間が掛かるように思ってもいます。そのため、インターネット上での活動も滞りがちになっています。信仰心が、信仰心が、無くなりかけています。創価学会の御本尊は偽御本尊と確信してますから、勤行唱題は全く行っていません。お寺に通っていた頃行っていた遙拝勤行を今は行っていません。遙拝勤行を再開しなければならないとも思っていますが、宗教に対して懐疑的にもなってきましたし、インターネットのヤフーの知恵袋で仏教学の元大学教授が日蓮正宗に対する徹底的な破折を行うのを読んでから日蓮正宗に対しても懐疑的になってきて遙拝勤行をする気が湧かなくなっています。日蓮正宗に対しても懐疑的になっています。何を信じていけば良いのか煩悶しているこの頃です。創価学会内部改革派として信仰してゆこうと妥協しています。

 

 大聖人の信仰は元気になります。だから信仰をしています。日蓮正宗でも創価学会でも元気になります。見延派でも元気になると聞いています。でも、富士派の日蓮宗に元気になるという効果が強いのだと思います。富士派以外の日蓮宗ではあまり元気にならないと思います。元気になる、このために創価学会や日蓮正宗の信仰をしている人は多いと思います。挫けずに生き抜いてゆくことができます。厳しい現実にも負けないで元気に生き抜いてゆくことができます。蘇生の信仰と言えます。元気一杯になるから、その元気さのためにいろいろな派に別れるのだとも思います。

 僕のうつ病は軽くなったり重くなったりを繰り返していましたが、重いとき、題目三唱どころか題目一唱も唱えることが困難でした。ところが実家の御本尊様は日達上人の御本尊様ですけど、日達上人の御本尊様の前では、そういう重いときも軽々と勤行唱題をできることを知りました。ところが創価学会のの御本尊のまえでは一唱もできないのです。これも自分が創価学会と決別する決意を固める大きな要因になりました。うつ病が重いときも日達上人の御本尊様の前では勤行唱題を軽々と行うことができるのです。1時間も2時間も勤行唱題を行うことができるのです。そして元気になります。また、これが、以前、うつ病性障害が創価学会に異常多発しているとは言われなかった一つの大きな要因だろうと思います。

 

 創価学会には以前から精神障害が異常多発していました。自分が大学1年の時、ドクター部長が嘆いていたことを直接聞きました。創価学会のの御本尊が現れる以前から創価学会には精神障害が異常多発していました。これが一般の創価学会員に知れるようになったのはインターネットの発達によると思われます。しかし、それ以前から、創価学会には精神障害が異常多発していたのです。昭和50年頃の精神医学専門雑誌に創価学会の精神障害の論文が載っていて自分はそれを読みました。しかし、昭和50年頃から創価学会の言論弾圧により、創価学会関連の論文は決して掲載されることはなくなったようです。自分は一回、創価学会の精神障害の論文を投稿したことがありますが、創価学会に関する論文は載せられないとすぐに送り返されてきました。だから、それ以前、昭和50年以前の精神医学専門雑誌に創価学会の精神障害のことを書いた論文が他にもあるはずです。それは幾つも、もしかすると多数あると思われます。東京の国会図書館など一般の人でも自由に閲覧できる図書館で探してみると良いのですが、誰もしようとしません。「精神医学」が昔からの代表的な精神医学専門雑誌です。

 きっと、自分が読んだその論文の他の論文にはもっと衝撃的なことが書いてあると思います。自分も読みたいですが、昭和50年以前の精神医学専門雑誌はなかなか医学部や大学病院の図書館でも見付けることは難しいです。インターネットで検索しても、その頃の論文はデータベース化されてないようで、インターネットでは不可能なようです。

 

 僕が読んだ昭和50年頃の精神医学専門雑誌に載っていた論文は、折伏大行進の頃、すなわち昭和45年まで、創価学会に異常多発していた急性精神病状態すなわち心因反応、一過性の急性統合失調症様状態と言い換えることができると思います、そのことを中心に述べられた論文でした。折伏大行進の終了とともに創価学会に異常多発していた急性精神病状態すなわち心因反応は急激に少なくなりましたが、それでも少しは発生していました。

 昭和55年頃のことになると思いますが、自分の先輩の兄さんは創価学会に入会して熱烈に信仰を始めるとともに急性精神病状態に陥り精神病院に入院となりました。非常に真面目な性格だったため、非常に真面目に信仰したのだと思われます。弟である自分の先輩を折伏して入信させましたが、その先輩は始めの1年間ほどは真面目に信仰をしたものの、やがて信仰しなくなりました。兄さんは真面目に信仰を続けて地区部長をしていると言っていました。

 現在は熱烈な長時間の勤行唱題が行われなくなったため、また折伏が行われなくなったためと思われますが、全くと言って良いほど起こっていません。しかし、この急性精神病状態すなわち心因反応、一過性の急性統合失調症様状態と言い換えることが起こらなくなったことにも創価学会のの御本尊の配布が大きく影響していると自分は思います。創価学会のの御本尊に祈っても紙に祈っているような感じで、少ししか歓喜が湧かない、すなわち感応しないからだと思います。

 

 自分の心は創価学会改革を唱えながらも、創価学会改革は不可能と考え、誰にも内緒に日蓮正宗法華講に入りましたが、ポルシェのためか見つかってしまい、お寺に行けなくなりました。その頃、インターネットのヤフーの知恵袋で元仏教学の大学教授が日蓮正宗の矛盾点を詳細に述べて、日蓮正宗が束になってかかっても全く相手になりませんでした。それを見ていて自分の心は日蓮正宗から離れたのかも知れません。今でも日蓮正宗は名残惜しいですが、ポルシェでは目立って行くことができません。しかし僕のクルマはポルシェしかありませんし、妻の親族など創価学会から知れられてしまっています。その仏教学の元大学教授は日蓮正宗を激しく破折したものの、創価学会による社会的害毒が極めて激しいことを次第に認識されて反創価学会に傾いてゆき、創価学会に戻ることを考えた自分をもの凄く激しく叱られました。その元大学教授から自分は非常に良くして貰いましたが、その元大学教授は亡くなられました。すでに70歳近くだったようです。この元大学教授は「理論(教義)と信仰は別次元」と信仰は理論すなわち教義ではないと主張されていました。すなわち、仏教学者であったが故に、「信仰と教義(理屈)は別次元」ということを良く知られていたのだと思われます。

 

 その創価学会を題材にした論文は東京の国会図書館などで閲覧可能です。妙観講の方でも、それをワープロにタイプしてインターネットに載せたら創価学会員の動揺は激しいと思われます。創価学会員の半分近くが信仰を捨てる可能性があると思います。自分は一つしか読んでいませんが、昭和50年以前なら幾つも創価学会を題材にした論文はあるはずです。精神科医にとって精神障害を異常多発する創価学会は昔も今も、とても興味深いものです。

 

 今、顕正会や妙観講そして法華講が必死に折伏を展開していますが、入信者は伸び悩んでいます。昭和20年代30年代とは時代が異なるのです。現代の人々は信仰に生きる道を見出そうという観念を持ちません。どんなに折伏しても信仰に生きる道を見出そうという昭和20年代30年代とは異なります。創価学会も昭和45年以降は現状維持がやっとでした。いや、創価学会はどんなに懸命に信仰活動を奨励しても凋落傾向を止めることができないでいます。平成に入ってからの会員の信仰心の凋落傾向は顕著です。折伏大行進時代に入信した人達は現在、少なくとも70歳以上です。今の創価学会は70歳以上の人達の信仰心で支えられています。その人達が次々に亡くなって行きます。創価学会の力はそれとともに急激に凋落せざるを得ません。

 

 創価学会は昭和の幻だったのです。平成に入ってからの凋落傾向は止めることができません。このまま創価学会は凋落を続けるでしょう。改革しても創価学会は蘇りません。改革して池田大作批判を激しく行っても、創価学会は凋落を続けるでしょう。池田大作批判を激しく行うことにより、創価学会から悪鬼は去ってゆき、創価学会員に不幸なことが起こらなくなっても、創価学会は凋落を続けざるを得ません。広宣流布は幻に終わったのです。いや、広宣流布とは、始めから幻だったのかも知れません。石田次男氏が第3代創価学会の会長になっても広宣流布を成し遂げることは不可能だったのではと思うこの頃です。ハングリー精神が昭和40年代に入ってから日本人の心から去っていったのです。そのために今、顕正会や妙観講そして法華講が必死に折伏を展開していますが、入信者は伸び悩んでいるのです。

 

 創価学会の改革を諦め、日蓮正宗で大人しく信仰を続けてゆく方が良いのかも知れません。また、創価学会のなかで眠った会員として過ごす方が良いのかも知れません。それはそれぞれの家庭の事情で決めたら良いのだと思います。広宣流布は幻であったと最近はつくづくと思います。

 最近は、創価学会はもはや葬式仏教と化すと思っています。池田大作批判が激しく行われないと創価学会に池田大作が呼び込んだ悪鬼が居座り続け、会員に不幸なことが起こり続けると創価学会は急激に弱小化する可能性が高くあります。池田大作批判が激しく行われる可能性は低いです。すなわち創価学会は急激に弱小化する可能性が高いのです。創価学会は昭和の幻として池田大作の死とともに滅亡する可能性が高いのです。

 創価学会蘇生への道は池田大作批判を激しく行うことですが、池田大作批判が激しく行われる可能性は低いのです。改革派として戦っても、その努力は徒労になる可能性は高いのです。

 

 流れに任せることです。創価学会に熱心な環境ならば創価学会に残り、創価学会に批判的な環境ならば日蓮正宗へ行く、そういう流れに任せる方法をとることです。反逆しても道が開かれる可能性は低いです。家庭破壊が起こるだけです。創価学会がおかしいと思えば、勤行をしなくしたら良いのです。そうして眠っていることです。家庭の平和を保っていることです。改革は不可能です。

 奇跡的な病気の治癒や寛解が現在、顕正会や妙観講そして法華講に起こっていますが、それは創価学会が折伏大行進のときに起こっていたことです。しかし、顕正会も妙観講もそして法華講も入信者は伸び悩んでいます。戦後のハングリー精神のなくなった現在の日本人には、もはや宗教は用いられ難くなっているのです。折伏大行進の再現は現代ではもはや不可能なのです。

 

 統合失調症の初期段階にあった若い女性が、創価学会から法華講に移ることにより統合失調症が寛解した例を最近経験しました。創価学会の日寛上人の御本尊はやはりの御本尊であるようです。自分には紙切れのようにしか感じられませんが、悪鬼が棲み着いていることは確かなようです。あの御本尊に祈っても歓喜は湧きません。空元気が少し湧くだけです。日達上人の御本尊に祈ったら凄い歓喜が湧きます。もはや若い創価学会員は歓喜というものがどういうものであるのかを知らないようです。歓喜とは清々しいものです。元気になる、力が湧いてくるだけが歓喜ではありません。清々しい心が洗われるようなのが歓喜なのです。しかも日寛上人の御本尊では元気になることも、力が湧いてくることも少ないです。日寛上人の御本尊の御本尊を回収して新しく本物の御本尊と交換しないことには創価学会は凋落し続けるしか有りません。

 

 折伏大行進の再現は創価学会の御本尊すなわち日寛上人の御本尊に換えられてからは歓喜が湧かなくなりましたから誰も一生懸命に折伏をする人はいなくなったと思います。折伏をする勇気が湧かなくなったからです。

 日達上人の御本尊の時には勤行唱題を2時間3時間すると折伏をする勇気が猛然と湧いてきていました。自分も大学1年の時には250人以上の人を折伏して回ったものです。それが創価学会の御本尊すなわち日寛上人の御本尊に換えられてからは勇気が湧いてきません。これは自分だけでなく創価学会員すべてに当てはまることと思います。選挙依頼をする勇気が辛うじて湧いてくるだけです。

 自分が大学1年のときは五座三座の勤行をきちんと出来るようになるまでは御本尊を下付して貰えませんでした。これは自分の大学の近くの寺院の住職が厳し過ぎたのかも知れません。ですから入信決意をした人で入信まで至る人は10人に1人もいない時代でした。自分は4人、入信決意をさせましたが、勤行指導の途中で4人とも挫折しました。長行の段階で皆、ギブアップしていました。4人入信決意をさせたのは自分の大学だけでなく他の大学にもいませんでした。それほど自分は大学の勉強を放棄して学会活動に打ち込んでいました。一人入信決意させることも大変な時代でした。勤行指導は少なくとも1ヶ月毎日のようにしなくてはいけない時代でした。勤行をきちんと出来るようになるまでは毎日のように行っても少なくとも1ヶ月はかかるからです。その途中でみんな音を上げてしまうのです。勤行をきちんと出来るようになるまでは入信できない、つまり御本尊を下付して貰えない時代でした。しかし自分は大学1年の11月に燃え尽きるように退転したのです。その退転は4年ほど続きました。燃え尽きるほど自分は一生懸命に学会活動と折伏に打ち込んでいました。その時に自分は宗教遍歴をしました。統一教会、共産党、GLA、真光、……あらゆる処を遍歴しました。統一教会には自分より5歳年上のお姉さんの美しさに惚れて行っていました。その頃はビデオセンターというのがあって統一教会のビデオを見て、そのあとにコーヒーを飲んで帰っていました。とても美人だったからビデオセンターの責任者になっていたのだと思います。その5歳年上のお姉さんは今、どうしているでしょう。姉妹で統一教会に入信して、そのお姉さんもとても美人でした。姉妹とも自分の大学の教育学部卒業でした。統一教会の人は創価学会よりも信仰に命を懸けていました。

 他の処は本当に真面目な求道心で行っていました。統一教会だけ、その5歳年上のお姉さんの美しさの惚れて行っていたのです。まだ自分が若かったからです。家を出て統一教会の処に移り住む直前で行かなくなりました。他の処は苦い思い出が多くて思い出したくないくらいです。とくに共産党の処は苦い思い出ばかりと言って良いくらいです。自分は共産党の内情を本にできるくらい多数握りました。

 創価学会が宗門から独立してからは入会決意だけで御本尊を下付して貰えるようになったようです。でも、やはり途中で辞める人がほとんどで、幹部の家の仏壇には途中で辞めた人の御本尊が幾つも置いてありました。

 

 創価学会はもう一度、日蓮正宗を総本山にして広宣流布をやり直すべきです。池田大作によって広宣流布への道は閉ざされました。しかし、もう一度、広宣流布の扉を開けて、広宣流布目指していくべきです。池田大作は会長就任当初から日蓮正宗を支配下に置くか独立するかを考えていたようです。自己愛性パーソナリティ障害(重症)の池田大作です。自分が世の中で一番でないと気が済まない病気に罹っていた池田大作です。それは就任当初、日達上人を創価学会本部に呼んで激しく恫喝したことから分かります。その恫喝のことは山崎正友氏の書かれた本に書いてあります。山崎正友氏がずっと後に日達上人から直接聞いたことのようです。他には誰もこのことを知らなかったようです。他の最高幹部もこのことは知らなかったようです。ただ、日達上人が池田大作から呼ばれて池田大作と合うために創価学会本部に来たことだけしか知らなかったようです。北条会長がこのことを知っていたら、北条会長は池田大作に忠誠を尽くすことはなかったと思われます。日達上人は誰にも言われていなかったようです。ずっと後になって、18年ほど経って、山崎正友氏だけに打ち明けたことのようです。日達上人は人間的にもとても優れた人だったようです。

 

 大聖人は佐渡流罪から赦免されて鎌倉に帰ってきたとき、時の権力者から「寺を与える」と言われましたが断り、寒い見延山へ草庵を造られました。その当時、時の権力者は元の襲来に怯えていました。大聖人が権力を得る絶好の機会でした。提示された寺は大きなもので、もし大聖人がその提示を受け入れていたら大聖人は一つの宗派の主として一つの権力を得ることができました。禅宗や念仏宗などと比肩する権力を得ることができたのに大聖人は拒否されました。このように大聖人は権力を否定されたのです。

 選挙に出て議席を得ることは権力を得ることになります。創価学会員が選挙に多大な負担を強いられたのは池田大作が権力を欲したからです。我々創価学会員は池田大作の奴隷として選挙運動に走らせられていたのです。

 池田大作の醜い野望のために我々創価学会員は選挙運動に走らせられてきたのです。公明党は池田大作の醜い野望の固まりでした。池田大作の醜い野望の固まりである公明党の議員は罪を自覚するべきです。池田大作の醜い野望の一駒として扱われてきただけなのです。公明党議員は今すぐに議員を辞職するべきです。罪を自覚するべきです。池田大作という大魔王の走狗となって動いてきた罪を自覚するべきです。公明党は解散です。

 

 創価学会の御本尊すなわち日寛上人の御本尊では歓喜が湧きません。実家の御本尊は日達上人の御本尊ですから歓喜が湧きます。うつ病の酷いとき、日達上人の御本尊の前では1時間2時間と歓喜に包まれながら勤行唱題をできますが、創価学会の御本尊すなわち日寛上人の御本尊では題目一唱もできませんでした。この現実には唖然としました。これが自分が創価学会を見限ることになった大きな要因であることは前に述べました。

 うつ病性障害はたしかに創価学会の御本尊すなわち日寛上人の御本尊に替わってから大きく増加したようです。それまでは神経症すなわち不安障害と急性精神病状態が主だったような気がします。ドクター部長が自分が大学1年の時「学会員にうつ病性障害が多くて困っている」と言いましたが自分はその頃、すなわち日達上人の御本尊のときには神経症と急性精神病状態が主であり、うつ病性障害は少なかったという印象を持っています。たしかに県の青年部長はパニック障害を併発したうつ病性障害で会館勤務を辞め実家のある故郷に帰って自宅養生になり今も治っていないということですが、あの頃は自分はうつ病性障害は県の青年部長しか経験していません。あの人は県の会館で最も一生懸命に信仰活動に打ち込んでいた人でした。ただ、頑固な神経症が非常に多かったという印象を持っています。

 神経症も死ぬまで治らないのが普通です。軽症なものは治ることもありますが稀です。ですから御本尊に勤行唱題を懸命にして耐え抜く、乗り越えるしかありませんでした。しかし創価学会の御本尊すなわち日寛上人の御本尊に換えられてからは誰も御本尊に勤行唱題を懸命にして耐え抜く、乗り越えるとは指導しなくなったようです。神経症を「題目で直せ!」という指導が昔は頻繁に行われていましたが、今はそういう指導をする人は皆無になっているようです。日達上人の御本尊のときには題目で治ることも多かったのだと思います。

 

 宗門との闘争の時、もう18年前になるでしょう。男子部本部長と夜の2時、宗門に寝返った家の玄関で糞をしようとしたことがあります。男子部本部長はちゃんと出ましたが、僕は屁しか出ませんでした。ですから僕は無罪ですけど、本部長はその糞を郵便受けの中に入れたのです。僕に「ポルシェを売って財務しろ!」と迫っていた狂信的な本部長でした。もう18年前になるから時効になりますから言います。

 とても良い人でしたが、信仰は狂信的でした。でも、とても良い人だったから、自分もついて行っていました。元暴走族で親が圏長をしていて姉と妹がいましたが、その姉と妹も父無し子を産んでいた典型的な創価学会家庭でした。草創期から家を拠点として提供していました。

 とても良い人でした。たしか地区リーダーから部長を飛び越えて本部長になったほど熱心な人でした。「ポルシェを売って財務しろ!」には困っていましたがとても良い人でした。年末の財務の時にはポルシェを打って財務すると言わないと帰らないというほどでした。ポルシェは売りませんでしたが、医者は100万円以上の財務が暗黙の了承になっていると思っていましたから100万円以上の財務を続けていました。もう18年前になることに時の過ぎる速さをつくづくと感じます。僕は屁しか出なかったから無罪です。

 青春でした。創価学会員の青春とはこういうものを言うのだと思います。真夜中の2時まで大便を我慢して本部長と宗門に寝返った家の玄関で大便をしようと粘ったあの頃は青春でした。真夜中の2時、僕は屁しか出なかったのです。青春でした。

 

 脳外科の時は立ちながら眠ることが多かったです。学会歌を心の中で唱えながら立ちながら眠るのです。手を下に降ろしては手が不潔になりますから手を挙げたまま眠るのです。手を下に降ろしたら手洗いからまた始めなければなりません。中等部の頃の学会歌が主だったと思います。自分が最も熱心に信仰していたのは中等部の頃でした。中等部・高等部の頃は広宣流布のために死ぬか!と言われたら死んでいました。御本尊を一度も疑ったことのない時代でした。「広布に走れ」も次第にレパートリーに加わりました。

 しかし、不思議なほどの悪いことが立て続けに起こっていました。綱渡りの日々でしたが堕ちませんでした。失敗の連続でしたが訴えられることはいつも直前で止まっていました。絶対にミスを認めたらいけないと院長からは言われていましたが、自分はいつも素直にミスを認めるのでした。それが却って良かったのだと思います。そのために訴えられなかったのだと思います。誠実さが相手に伝わっていたと今になって思います。

 

 日蓮正宗や創価学会の教義には矛盾がたくさんあるようです。しかし仏教学の元大学教授であるrsd氏が言っていたように「信仰と教義すなわち信仰と理屈は別次元のもの」なのです。ヤフーの知恵袋でそういうrsd氏が自分に語ったそれらのログは創価学会の削除隊により削除されてしまっているようです。言論弾圧で自滅する創価学会です。言論の自由を弾圧して自滅する創価学会の傾向は昔も今も変わらないようです。

 日蓮正宗から破門される道を選んだ創価学会(池田大作)は自殺を選んだと言っても良いでしょう。自らがトップに立ちたい、それには宗門が邪魔だ、という増上慢の心が池田大作に有り、自滅の道を選んだのです。

 池田大作という魔王が消えても、創価学会には池田大作によって目茶苦茶にされた傷跡が残り続けます。その傷跡を治すのは並大抵の努力と苦労では不可能と思います。どのようにしても不可能と言って良いでしょう。池田大作を神と崇めた創価学会婦人部の大きな大きな罪です。

 

「池田大作の昭和27年の月給は20万円。これは昭和27年の国家公務員キャリア組の初任給(7650円)の26倍、総理大臣の月給(11万)の1.8倍と凄い高給である」(増補新版・池田大作 金脈の研究:野田峯雄:第三書館:2000、初版発行, p250)と書かれてある(増補新版されたから現在、インターネットなどで購入できる)。山崎正友氏が書かれていた「普通の会社員の100倍近くの給料を貰って女子部の肉体を貪り、学会大幹部を料亭でもてなした」(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994)ことを自分は疑っていたが、本当であることが分かった。池田大作は昭和27年5月に白木かねと結婚したが、当時24歳であった。24歳でこの給料は余りにも破格である。20万円は当時の創価学会の年間経費とほぼ同じである。

 大蔵商事はサラ金のようなことを行っていたが、金集めの巧さが神憑りであったと言われる。何処の家が金を貯めているかを超能力者のように当てていたと言われる。これはやはり池田大作は霊能力(超能力)があったものと考える他はない。霊能力(超能力)のある人間はほとんどが統合失調症であることはオカルトや宗教を研究した人ならば知っていることである。現代の新興宗教の教祖はほとんどが統合失調症である。例えば幸福の科学の教祖は夜、ベットの上で突然、霊言を言い始めることを離婚調停中の配偶者が告白している。池田大作のさまざまな逸話、宗門を支配下の置こうと考えていたことなど、そして同時放送での言動や振る舞いに統合失調症を想定していた自分の考えは正しかった。池田大作のそれは極重度の自己愛性パーソナリティ障害などパーソナリティ障害では説明不十分と思われたが、その謎が解けた。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように固い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 

 創価大学ロス分校の学生数はその広大な敷地に似つかわしくなく、たった200名弱であるという。このことを日本の創価学会員は知っているのであろうか? 現地の住民は創価学会は何をやろうと考えているのかと憤激していると言われる。

 また、創価学会が4ヶ所の原子力関連施設の傍に不動産を買い取ったことも「創価学会は何を考えている?」と疑われていることを創価学会員は知っているのであろうか? フランスで創価学会員である元警察官がインターネットより原子力技術を盗み取ったことが話題になったが、それと関連していると思われる。池田大作は麻原彰晃以上のこと、総体革命以上のことを考えていた可能性は高い。

「タイムズ紙」(昭和63年8月11日付)に於いて創価学会が信者が利用することができない海外の古城を次々と買い取ることを「仏教は物欲を排した処世に基礎を置くとされているのに、あからさまな献金要求で大きな批判を巻き起こしている」と強く非難されている。

「歓迎されざる人物」として入国を拒否されていたブラジルでは、サンパウロ州の下院議員に金権工作をした事実がある。依頼内容は入国ビザの発行と当時のフィゲレイド大統領との会見実現であった。そのために200万ドルの金を使ったと下院議員が暴露した。ーーこれらのことを創価学会員は知っているのであろうか?

 第一次宗門戦争の大きな要因となったのは池田大作が日蓮正宗(宗門)の本尊である「板曼荼羅」を勝手に模刻していたことである。それは8体とも16体とも言われる(原島嵩氏は16体であったと書かれている)。日蓮正宗(宗門)に返還された「板曼荼羅」は7体である。創価学会が宗門より破門になって各地の会館に「板曼荼羅」が8体ほど置かれたが、このときの16体の「板曼荼羅」の残りであったと思われる。それまで残りの「板曼荼羅」は創価学会会館の地下倉庫に隠されていたらしい。1体は日達上人により入仏式が行われ創価学会本部会館に置かれていると言われる。

 

 警視庁の所轄は東京都にある。警視庁の予算は都議会の承認を得なければならない。故に、警視庁はどうしても都議、それも与党の都議には配慮しなければならない。つまり、警察が公明党の言うことを聞かねばならないのであり、創価学会の注文が警察に通ってしまう。更に公明党は都議会の警視庁対策の窓口である「警察消防委員会」に幹部を送り込んできた。警察予算の可否の権限をこの委員会が持っている。しかも警視庁の定員は「警視庁の設置に関する条例」に基づく「定員に関する規則」によって定められており、増員するには都議会の決定を得なければならない。つまり警視庁の「金」も「人」も都議会に握られている。都議会で公明党が第2勢力としてキャスティングボードを握っているから、さまざまな事件をもみ消すことが創価学会にはできるのである。それ故に創価学会は都議選に異常なほど力を入れるのである。ーーこのことを都議選に異常なほど力を入れる理由であることを知っていた創価学会員は少ないと思われる。

 

 若い創価学会員が本当の歓喜とはどういうものかを知るためには日蓮正宗のお寺に行って勤行唱題をすることです。ノソッと入っていき勤行唱題をしてもお寺の人は何も言わないことが多いです。誰なのかな?と思うだけです。日蓮正宗は教義的に矛盾が多くあるかも知れませんが、教義すなわち理屈と信仰は別次元のことと仏教学の元大学教授であったrsd氏が自分に強く語っていたことです。仏教学の大学教授であったからこそ、そのことを痛感されていたものと思います。自分が創価学会に戻ると言うと激しく、もの凄く激しく反対されたrsd氏でした。rsd氏の人間性を疑ったほど激しく反対されました。そのログは創価学会の削除隊により消されていると思います。

 言論の自由を奪って平然としている創価学会削除隊の狂気を怖ろしく思います。創価学会削除隊は自身の狂気を気付いていないようです。それが狂信、カルトと呼ばれる所以なのに気付いていません。怖ろしいことです。

 

 広宣流布の達成は日蓮大聖人の至上命令であり諦めてはいけないことです。広宣流布して民衆救済しなければなりません。広宣流布不可能論は撤回して、例えそれが不可能でも目指すべきです。折伏大行進のときは難病の奇跡的治癒が次々と起こっていたことは確かなことのようです。決して誤診ではなかったようです。結核の治癒が多く起こっていたことは間違いありません。 

 現在、妙観講の体験談に統合失調症の寛解が幾つも掲載されています。現代医学の常識を破ることです。日蓮正宗の御本尊にはそういう力があるのです。日蓮正宗の教義に矛盾が多くあろうとも、それは教義上のことであり信仰上のこととは別次元のことです。ほとんどの信仰に教義上の矛盾が多くあります。教義上の矛盾がないような信仰を自分は知っていますが力がありません。スピリチュアル一般がそれです。

 

 藤原範昭氏も創価学会の改革は不可能と考えているように思えてなりません。22年ほど前、電話で話をした藤原範昭氏は実に立派な人格者でした。この人が創価学会の会長になったら創価学会は清らかになり大きく発展してゆくと思いました。今もそう思います。折伏大行進の再現は不可能と思いますが、創価学会が清浄化されることは確実です。会員が幸せになる創価学会に変わると思います。200万から300万の創価学会員が幸せになる創価学会に変わると思います。

 自分には決死の思いで創価学会の改革を行う決意と確信がありません。紳士革命が為されるのを待望しますが、少なくとも原田会長には信仰心が喪われているように思われて仕方がありません。藤原範昭氏に会長の座を譲る可能性は低いようです。

 

 藤原範昭氏は創価学会が雇った暴力団あるいは創価学会男子部により身動きができない状態に置かれていると噂されています。そのためか全く動きを見せません。創価学会改革のためには藤原範昭氏が会長になることです。すると池田大作が招き入れた悪鬼の大集団は創価学会から去ってゆき、創価学会員は幸せになれるようになります。自然と広宣流布が進んでゆきます。

 秋谷元会長はもう老人です。原田会長は信仰心が冷めてしまっているようです。藤原範昭氏が会長にならないと創価学会の大きな改革は不可能と思えます。藤原範昭氏も信仰心が冷めてしまっているのでしょうか? それともXデーが訪れたときに立ち上がるのでしょうか?

 藤原範昭氏が立ち上がると広宣流布が成就する可能性が出て来ると思います。折伏大行進の再現は不可能としても、池田大作が創価学会に招き入れた大量の悪鬼が去ってゆき、創価学会員が幸せになってゆくことにより、創価学会が自然と大きくなって行くからです。

 

 現在、顕正会が必死に広宣流布目指して戦っていますが伸び悩んでいます。顕正会の伸び悩みは時代背景にあるのか、分かりにくいところです。顕正会は創価学会の昭和30年代の情熱で広宣流布に戦っています。やはり、戦後のハングリー精神が現在の日本国民に欠如しているためと考えるのが妥当だと思います。宗教団体が伸び難い時代なのだと思います。信仰心の欠如が現在の日本人にあるからだと思います。また、それだからスピリチュアルが蔓延っている日本の現状と思われます。

 法華講は妙観講に頼りっきりの状態であると考えても良いと思われます。法華講は一部しか本気になって広宣流布を目指していないように思います。妙観講と顕正会とどちらが広宣流布への情熱があるかと言えば、判定し難いと思われますが、顕正会の方が一生懸命になっていると思います。

 創価学会は政治に進出したから広宣流布への情熱を喪ってしまったと考えて良いと思われます。政治は参議院に留まっておくべきでした。それを権力を目指した池田大作が衆議院にも進出させました。池田大作の一番大きな間違いでなかったかと思われます。衆議院への進出により広宣流布が頓挫したと言っても過言ではないと思います。創価学会は政治に進出しないで純粋に折伏のみを行うべきであったのです。折伏大行進の頓挫は政治への進出にあったと思われます。戸田先生の参議院への進出も間違いではなかったかと思います。国立戒壇は広宣流布が為されたとき自然と建てられるものです。政治力で建てるものではありません。政治への進出は焦り、そして間違いであったと自分は思います。王仏冥合とは後世の人間が造り出した理論と自分は思います。 

 

 太平洋戦争の時、学会幹部は投獄されましたが、最後まで不転向を貫いたのは牧口会長、戸田会長の他にもう一人いたと映画・人間革命では語られていました。自分が小学校低学年の頃だったですから鮮明に記憶しています。ところが現在、不転向を貫いたのは牧口会長と戸田会長だけとなっています。歴史の改竄が創価学会では池田大作の命令かも知れませんが平然と行われています。そのもう一人は法華講へ行ったのだと思われます。

 何故、そういう改竄が行われるのか、池田大作の傲慢に気付く前の一生懸命に信仰していた時代でしたから悩みました。創価学会は中央から腐敗しているのではないかと、これからも推察されます。学会の日蓮正宗を批判する本や新聞は学会の中央の腐敗を示すだけのものに過ぎないと自分は思います。

 池田大作は同時放送に参加しなくなってから8ヶ月は経過していますが、未だに聖教新聞は池田大作を礼賛する記事で溢れていることは創価学会の改革は不可能であることを示すようにしか自分には思えません。未だに秋谷元会長など最高幹部が立ち上がらないことが不思議であるとともに悔しいです(今は平成23年3月20日)。Xデーが来るまで立ち上がらないのか、Xデーが来ても立ち上がらないのではないのかと、落胆するこの頃です。

 

 病院で当直の時、病棟から電話が掛かってくると、心の中で「広宣流布!」と唱えて電話を取るのです。それでないと現実に負けてしまうのです。

 日蓮正宗の信仰は元気になります。怖いものがなくなります。明日を思い煩うことがなくなります。これは創価学会でも同じではあります。日蓮正宗と創価学会の間で今も揺れ動く自分であります。

 創価学会の人は人が良い。日蓮正宗も創価学会から移ってきた人は人が良い。日蓮正宗に移ってくる人はほとんどが創価学会員です。95%が元創価学会員と言っても良いでしょう。自分は元創価学会員以外の日蓮正宗信徒とは親しくすることができませんでした。

 元々の日蓮正宗信徒はあまり人は良くありません。また、他の宗教から移ってきた日蓮正宗信徒は人は良くなく、悪いと言っても過言ではありません。これはインターネットでも経験していることです。

 今、父が脳梗塞で脳外科の病院に入院していますが、親戚以外で見舞いに訪れる人は皆、創価学会員です。創価学会の草創の頃からの幹部だった人ばかりです。情に負けます。   

 

 日蓮正宗に移らずに創価学会のままでいる方が世渡りのために良いと思います。創価学会で築いた人間関係を一度に壊すのが日蓮正宗に移ることです。このまま改革派の意志を持ったまま創価学会に居残ることだ、と考えています。4年前、改革派と自覚するまで自分は創価学会の人としか交際がなかったと言っても良いのです。今も、新しい友人はできません。現在はほとんど誰とも交流のない自分です。

 創価学会の人が時々電話を掛けてきますが居留守を使う現在の自分です。未だ、自分を信頼している創価学会の幹部がいます。ただ自分は眠っているだけとしています。年賀状も創価学会の人には全く書かなくなりましたが、創価学会時代に築いた人間関係は切ろうにも切れない瀬戸際です。創価学会の人は本当に良い人ばかりです。余りにお人好しだから池田大作の傲慢に気付かないのです。そのお人好し軍団の創価学会が好きです。創価学会を改革したら良いのです。これしか方法は残されていません。女房一族が狂信的な創価学会であるために創価学会を辞めることは離婚を意味します。女房はどうでも良いですが、子供を自分の親が溺愛していますし、離婚したら子供が可哀相ですから離婚は許されません。瀬戸際に自分はいるのです。

 男子部時代は良かったが、壮年部に移ると燃え尽きて信仰をしなくなる人が非常に多いですが、自分もその一人なのです。壮年部に移るとともに信仰を眠ってしまう人が非常に多いですが自分もその一人なのです。男子部でもう燃え尽きたのです。

 文化遺産的お人好しの集まりが創価学会と言って過言ではないと思います。そのお人好しさが池田大作の間違いを気付かせないでいるのです。

 このどうしようもないお人好しの集まりを改革しようと自分は思っているのです。このお人好しの人達に本当に幸せになって貰いたいのです。

 大魔王・池田大作はもうすぐ死にます。そのXデーが改革のチャンスであると思います。創価学会を改革して会員が幸せになる創価学会を造ろうと努力しているのです。創価学会員は真面目に信仰している人には不幸が襲い苦しんできたのが今までの現実です。そうではなく、会員が本当に幸せになる創価学会に変えなければなりません。

 

 創価学会には良いところもあります。池田大作という軽症の妄想型統合失調症または重症の自己愛性パーソナリティ障害という人間によって悪鬼が乱れ狂う創価学会になりました。そして会員に立て続けに不幸なことが起こるようになりました。しかし、元気にはなります。苦しい現実に立ち向かう元気を与えてくれます。その元気さは日蓮正宗以上だと思います。たしかに不思議なほど不幸なことが競い起こりますが元気にはなります。創価学会という新興宗教は池田大作という軽症の妄想型統合失調症によって創始されました。他の新興宗教が妄想型統合失調症の患者によって創始されたように創価学会もまた池田大作という妄想型統合失調症の患者によって創始されました。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように強い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 元気になりすぎて失敗することの繰り返しになります。とにかく身の程知らずの元気さになります。

 創価学会の信仰をしなかったら……と思う男子部、壮年部が多いのです。熱心に創価学会の信仰をしていればいるほど仕事上、大きな失敗をしてしまいます。そう言う人を身近に何人も見てきました。元気になりすぎて暴走してしまうのです。耐震構造疑惑の姉歯さんも元気になりすぎてあのような失敗、暴走をしてしまったのです。姉歯さんは非常に真面目で熱心な創価学会員でした。奥さんは創価学会の信仰故に統合失調症と推測される病気になってしまいました。姉歯さんは高校卒ながら建築士一級の難しい免許を取りました。創価学会の信仰に支えられて創価学会の信仰活動をしながら建築士の仕事や勉強に励んでいたのです。夜や休日は創価学会の活動に一生懸命に励んでいたに違いありません。壮年部副本部長には簡単に成れるものではありません。余程、信仰熱心でなければ成れません。奥さんは統合失調症の素因を持っていた故に統合失調症を発症してしまったのでしょう。

 池田大作という狂人のために新興宗教と成ってしまった創価学会は……池田大作は慢心という人がほとんどですが、慢心ではありません。狂気です。原島嵩氏も山崎正友氏も慢心と書いていましたが、慢心ではなくて狂気なのです。自分が日蓮大聖人以上だと確信していた池田大作は狂人だったのです。

 狂人によって起こされた新興宗教はほとんどその創始者の死後、分裂してしまっています。現代の新興宗教を勉強、研究されたら分かると思います。創価学会員は池田大作が狂人であったことを恥じなければいけません。麻原彰晃も狂人でした。統合失調症ではなかったかも知れませんが、統合失調症に準じる狂人でした。狂人でなければあのような残虐なことはしません。ヒットラーと同じです。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように強い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 日蓮正宗に入って信仰をすることが正しい道です。創価学会は悪霊が荒れ狂っています。日蓮正宗は伝統があります。確かに教義上、矛盾しているところが多々あるかも知れませんが、伝統と格式があります。日蓮正宗には清々しい歓喜があります。創価学会の歓喜は狂気を伴う歓喜です。ですから創価学会には精神障害が異常多発するのです。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように強い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 日蓮正宗も創価学会も厳しい現実に負けない生命力を得ることができます。しかし創価学会の場合は不思議なほど不幸なことが起こります。だから日蓮正宗を選ぶことが正しいのです。

 私は女房一族が狂信的な創価学会であるため日蓮正宗に移ることができません。このまま創価学会内部改革派として信仰を続けてゆくことしかできません。寂しい選択ですが、狂信者は狂信者です。彼ら彼女らは創価学会、池田大作の間違いに気付くことができないのです。私のようなしがらみに縛られて、創価学会に残り続けるより他に選択の道を選ぶことができない男子部、壮年部そして婦人部は全国に非常にたくさん居ます。彼ら彼女らは信仰を眠った状態で続けるより他に選択の余地がないのです。

 

        (完) 

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(補遺:アップルさんとのメール交換) 

tttggg_003さん

 

 アップルさんへ

 ここは精神病院の医局です。当直で今、一人、死にかけています。精神病院ですけど、患者の高齢化が進み、どこの病院も、内科併設になっています。内科は余り分かりません。それで大変です。週末3日連続の当直、つまり3日病院に泊まり込みです。ですから週日は時間があってインターネットしています。

 朝の6時15分です。手紙は書こうか書くまいか迷いました。さっき、当直室で朝の勤行唱題をしました。もちろん五座です。

 自分も中学一年の終わり頃、急に熱心に創価学会の信仰をするようになった頃、夜、金縛りに遭っていました。いつも夜の二時か三時ぐらいだったと思います。自分も霊媒体質なのです。しかし、霊媒体質という言葉は現代精神医学では用いません。オカルトは原則的に否定されているからです。しかし、精神科の病気をオカルト無しに説明することは困難(不可能)なのでオカルトを勉強している精神科医も少数ながらいるようです(と言ってもやはり精神医学の主流から外れてしまいます)。ユングがオカルトを良く研究していました。ユングの同僚でオカルトに走りすぎ、精神医学会から気ちがい扱いされた人もいます。ユングも晩年はオカルトに走り、ユングの晩年は寂しいものだったのです。

 霊媒体質の若い女の人の妙観講の体験談があったはずなのですが何故か見つかりません。魔か仏か? 自分は法華講関係、創価学会批判の本などは総て病院の医局の棚の中に隠しています。家では女房から見つかると大変だからです。

 

 万一、幻聴・幻覚が酷くなったら心療内科か精神科で薬をもらって下さい。最近は急激に西洋のクスリが導入されてきて、薬物療法がかなり良く効くようになっています。副作用もかなり少なくなっています。

それにしても創価学会のの御本尊は恐ろしいです。

 妻の両親が気ちがいのように創価学会に熱心で「池田先生は神様です」とか言いますが、自分は相手にしていません。この前まで二ヶ月ほど泊まりに来ていました。もう年で82と73です。耳が遠くなっていますから会話が成り立たないから楽です。

 アップルさんは義理の両親が創価学会の話をし始めても相手にしないと、やはり怒られますか? 自分の場合は向こうが耳が遠いから向こうが一方的に創価学会や池田大作の話をするだけです。アホと思ってと思っています。

 アップルさんも義理の両親をアホと思ってと思ったら良いと思います。ウンコと思っても良いかも知れません。

 では、このへんで。

 

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今日の天気は、晴れ。

 

今日の天気は、晴れ。

 

tttgggさんへ、

私の義父母はボケていません。真剣に助けようと思う。

会うたびに、いつも衝突します。

義父母の言葉は霊媒体質の私にとって、かなり精神的ダメージを与えます。

ハッキリ言って「魔」そのものです。

アンチなので、聞き流せません。このヤローっと思ってすぐにぶつかってしまうのです。

知恵袋を離れた理由は精神的に強くなるために、本格的に修行しようと決めたのです。

今までは、家事と勤行?唱題<インターネットでした。

これではダメだ救えないと思い、

家事と勤行?唱題>インターネットに専念します。

本来はアンチなので、宗教カテは参加しないだけであって、たまにみます。

私はゲイカと、住職の言葉を信じてます。

いつかきっと正法に目覚めてくれることを、願いながら。

宗教カテに戻る日はいつだかわかりませんが、戻ったらアンチ復活です。

 

(補足)

死んでも創価学会なのですか!?それは恐ろしいです。

私は夫に間違いを気付かせれたので、我が家の未来は守れたと思います。

不可能なことは、分かってます。ダメだと思ったら、先輩方に助けてもらいます。

正直、折伏を諦めることを何度も考えました。できる限りやってみます。

創価の友人葬は避けたいですね。

 

質問日時:00000

補足日時:00000

 

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tttggg_003さん

 

了解しました。

難しい問題です。

しかし、創価学会に洗脳されきっている人を改心させることは極めて困難です。不可能と言って良いかも知れません。

それよりもインターネットで「創価学会の信仰をしようか、どうしようか??」と迷っている人に正しい道を指し示す方が良いような気がします。

「創価学会の信仰をしようか、どうしようか??」などと迷っている人は以前の自分も含めて非常に多いです。

改心させることまず不可能な義父母はあきらめて、インターネットで迷っている人を救ってゆく方が良いような気がします。

自分はホームページのメールアドレス vvv23274@yahoo.co.jp である人と意見交換してますので何かあったらそっちのメールにお願いします。毎日(当直でない日は)メールチェックしています。

ストレス発散のためにもインターネットは良いのではないかと思います。

では、このへんで。

 

(追記)

 そうでした。迷っている人はインターネットに救いを求めてくるのです。以前の自分のように。インターネットでの御本尊のことなどを初めて知ったのでした。

 創価学会に洗脳されている人は悪口を言われれば言われるほど「過去世の謗法の罪が消える」と考えます。洗脳されきっている人は無理です。義父母はあきらめるべきと思います。現実を見つめるべきです。

 創価学会が何故こんなに嫌われているのかは「とにかくしつこい」からです。「無理なものは無理なんよ」です。

 厳しく言いましたが、すみません。

 

(再追記)

 自分は平成2年の冬、お寺の方に入ろうとしましたが、お寺の奥さんから「家庭崩壊する」と言われ、創価学会に残っているように言われました。奥さんは、どんなに厳しいかを分かっていたのです。

 創価学会員は洗脳がある一定以上になると死んでも創価学会です。奥さんはそのことを知っておられたのです。

 

(再々追記)

 死んでも創価学会の人を何人も経験してきました。そういう人は池田大作を神様のように思っています。熱心な人ほどうつ病になってゆきます。熱心な人ほど不幸になってゆきます。でも彼ら彼女らは全く創価学会と池田大作を疑いません。それは狂気とも言えるでしょう。狂った人には何を言っても同じなのです。

 

>先輩方に助けてもらいますーーーー無理と思います。狂った人には何を言っても同じなのです。親は20年経てば死んでゆきます。

酷いこと書いたと思いますが、自分の経験上、そう確信します。創価学会員は洗脳がある一定以上になると死んでも創価学会です。厳しいですが、すみません。

 

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先輩に頼ってもダメですか。それは困りました。

洗脳って恐ろしいですね。

ボケても治らないですよね。

学会員は知恵袋に常駐しているドと同じに見えてきました。

ますますアンチな気持ちが強くなってきました。

みんな、ドです。

 

質問日時:2010/9/14 17:26:17

 

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さん

 

どのお寺にも妙観講の人が一人二人いるようですが、その妙観講の人達はみんな元創価学会ということです。機関銃のように話をしてくれますが、折伏はそれでも極めて困難です。

創価学会・池田大作に疑いを抱いている人しか折伏は不可能なようです。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように強い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 

義父母は信仰二十年以上は間違いないと思いますからドラドラより遙かに困難です。ドラドラは未だ信仰がフラフラしているところがありますが、義父母はもう完全に信仰が確立されていると思います。

 

真実の信仰を求めてインターネット上を彷徨っている人ならば可能です。自分はそういう人達を狙っています。

 

http://sky.geocities.jp/mifune008/

 

創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船小仏

 

(補足)

二十年前のお寺の奥さんなら、義父母の折伏は無理なので諦めるように言うと思います。

洗脳とはオウムもですが怖ろしいものです。

誰を連れて行って話をしてもらっても、無理だと思います。

出来上がってしまっている人は、死んでも創価学会なのです。

 

(9月15日)

 自分は今日、法華講もカルト化しているのではないか? それなら一人で大聖人を信じてゆこうか? かなり悩みました。

 自分はこのカテで、離婚しろ、子供を捨てろ、などと法華講員から言われ、このカテの法華講員は相手にしないようにしています。特に酷いのが、全く別の宗教から法華講員になった00です。

 離婚しろ、子供を捨てろ、これならカルトです。自分のお寺は優しい人ばかりです。奥さんに気付かれていないか? などと気を遣ってくれます。

 もしかしたら、アップルさんはお寺の人から義父母を折伏するように言われているのではないかと心配しています。それなら日蓮正宗のカルト化です。昔の創価学会そのままです。

 今は創価学会は選挙重視で友好週間というのもあるくらいで近所との友好などを大切にしています。義父母を折伏しろ!などとは言わないようになっています。

 法華講から外れ、一人で信仰してゆこうか激しく悩んでいます。

 では。

 

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今夜は雨です。

さんへ、

義父母の折伏は住職からやれと命令されたわけではありません。

ただ、正法に帰依してほしいから。

問題を解決をせずにずるずると引き伸ばすのは、気持ち悪いのです。

御受戒は正式に脱会をしていない状態だったので、隠れ講員もできましたよ。

私はあの友人葬を見たとき、自分は絶対に嫌だと思っていました。

今は脱講しません。

あの宗教団体と比べたら、続けるもやめるも自由だと思います。

住職も講員も優しくて親切な方ばかりです。

 

こりゃあダメだと思ったら、折伏は様子見です。

勤行?唱題をしてから、再び折伏の繰り返しかな。

高齢になりつつあるので、放っておいても良さそうですがね。

マナーが悪くて、犬の糞が落ちているような○○墓園は嫌です。

 

宗門はやめられるのでしょうか。もし、そうなら止めはしません。

 

補足

私は元は浄土真宗を信仰していました。

夫と結婚をするために入会したようなものです。

どこの豚の骨かわからん、新興宗教がデカいことばかり言っていることに怒りを持ってます。

を信仰していると絶対に幸せになれないと思って夫に間違いを教えただけです。

宗門へ行くのを決めたのは、夫です。私はただ、従うのみ。自分は無宗教になっても構わないと思ってました。

愛する家族の未来を守るために、教えたのです。

 

 

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さん

 

>住職も講員も優しくて親切な方ばかりです。

 

そうです。良い人ばかりです。自分のお寺は新しく建てられたお寺だから昔からの法華講員がいなくて、ほとんどが元創価学会員です。婦人部長は昭和34年に創価学会の折伏で入ったと言ってました。

学会員には鉄の学会員とふにゃふにゃの学会員といます。鉄の学会員は創価学会をどんなことがあってもやめません。法華講員に成らせるのはふにゃふにゃの学会員しか無理です。

自分は自分の地区の学会員の家をゼンリンの住宅地図で5、6軒教えて支部長の所は法華講員と知るとドアをガチャンと激しく締めて、地区部長の所は居留守ばかり、引っ越してきて7年だから5、6軒の創価学会員の家しか知りませんでした。役職を持たない入って年数の浅い所だけ話が出来て脈がありそうだった、ということでした。

自分の女房は創価高校創価大学出ですから洗脳が強く、ダメです。

6人兄弟中すべて創価高校創価大学です。

兄弟みんな、熱心すぎて諦めています。

それから女房の両親は耳が遠いだけで全然呆けていません。

 

>御受戒は正式に脱会をしていない状態だったので、隠れ講員もできましたよ。

自分も周りがこうですから隠れ講員のままです。子供が可愛いです。

 

では、このへんで。

 

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 rsd37264氏のアドバイスを読んで迷いはなくなりました。インターネット上の法華講員はこっちの深刻な事情を分かってないだけであるだけです。

 家では遙拝勤行ですので、週1回、金曜日に仕事に行く時に一時間ほどお寺によって勤行唱題すると元気一杯になります。目の前がピカッとなります。これは創価学会のとき日達上人の御本尊を拝んでいた時もそうなっていましたが、日寛上人の御本尊になってからは「歓喜が湧かない、あまり元気になれない」でいました。

の御本尊のことはインターネットを盛んにやっていましたが、3年半前まで気がつきませんでした。聖教新聞や創価新報には載っていませんから。

の御本尊のことを知り、の御本尊に祈らなくなって今まで起こっていた奇妙なほどの悪いことは起こらなくなりました。そして創価学会内部改革派憂創同盟との自覚で9ヶ月ほど過ごしたでしょう。その間、勤行唱題はほとんどしてませんでしたが、創価学会内部改革派憂創同盟との自覚からか元気で好調でした。

 9ヶ月後にやっとお寺に行きました。そして勧誡式を受けました。

 勧誡式を受けて、それまでクルマを運転しながら方便品自我解ばかりを繰り返し唱えていましたが、題目を唱えるように変わったことに驚きました。

 自分の所は田舎ですから、クルマ無しには生活が難しいのです。また、田舎だから、お寺に来るクルマのナンバーを控える学会員もいません。 町ではクルマのナンバーを控えて誰々と言うことを知ろうとするそうです。

 では。

 

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もうすぐ敬老の日です。

アップルさん

 

もうすぐ敬老の日です。

さんへ、

私が行っているお寺は今の住職がこられる前は、折伏ははかどっていなかったと思います。

昔は、ほのぼのと時間が流れていたのかもしれません。

そうかと言って、折伏をサボっていたわけでもないと思います。

歴代の住職らの祈りで、自らお寺に足を運んで御受戒を受けた方がいらっしゃいます。

 

質問日時:0000

 

 

小さなお寺とはいえ、月に3人を目標にしているのは凄いことです。

私が行っているお寺は、そんなに大きくはないですが、普通のお寺です。エアコン完備です。

住職が年間目標を決められるのだと思います。

その数を目指して、みんな頑張っているのです。

義父母の折伏は超難しいことがよくわかりました。

時間をかけてゆっくりと解いていくしかないのかな。

アンチ活動をしながら、折伏のヒントを探そうかな

 

 

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tttggg_003さん

 

こんにちは。

今日は敬老の日だったのですね。だから代わりの医者が来るのが遅かったのか。

週末、自分は仕事だから、週末にある会合に出られないので、詳しいこと分からないでいます。

月3人が目標になっています。小さなお寺です。

自分が勤めている病院の移転する前の病院のすぐ近くにありますから患者さんが4人ほど来ているそうで、そのうちの一人は名前を知っていますので、退院された患者さんと思います。

妙教や大白蓮に載っている大きなお寺では全くありません。

民家が大きく成ったようなお寺です。

なんだかクーラーがないような気がします。

扇風機だけです。

自分がいつも行く金曜日の午後一時から二時までは住職さんはお昼寝しているのかな? ときどき、奥さんの姿が見えるだけです。

では、このへんで。

 

(補足)

義父母はとても無理だと思います。友達を折伏してゆくべきです。

義父母の折伏は超難しいどころか、ほとんど不可能です。

それよりも友達を折伏するべきです。

たしか月3人と書いていたようだったけど、夢で見たのかな?

月一人でさえも難しい小さなお寺です。

では、このへんで。

 

 

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 アップルさんへ

 ここは精神病院の医局です。当直で今、一人、死にかけています。精神病院ですけど、患者の高齢化が進み、どこの病院も、内科併設になっています。内科は余り分かりません。それで大変です。週末3日連続の当直、つまり3日病院に泊まり込みです。ですから週日は時間があってインターネットしています。金曜の昼から月曜の朝9時まで泊まり込みです。

 朝の6時15分です。手紙は書こうか書くまいか迷いました。さっき、当直室で朝の勤行唱題をしました。もちろん五座です。

 自分も中学一年の終わり頃、急に熱心に創価学会の信仰をするようになった頃、夜、金縛りに遭っていました。いつも夜の二時か三時ぐらいだったと思います。自分も霊媒体質なのです。しかし、霊媒体質という言葉は現代精神医学では用いません。オカルトは原則的に否定されているからです。しかし、精神科の病気をオカルト無しに説明することは不可能なのでオカルトを勉強している精神科医も少数ながらいるようです(と言ってもやはり精神医学の主流から外れてしまいます)。ユングがオカルトを良く研究していました。ユングの同僚でオカルトに走りすぎ、精神医学会から気ちがい扱いされた人もいます。ユングも晩年はオカルトに走り、ユングの晩年は寂しいものだったのです。

 霊媒体質の若い女の人の妙観講の体験談があったはずなのですが何故か見つかりません。魔か仏か? 自分は法華講関係、創価学会批判の本などは総て病院の医局の棚の中に隠しています。家では女房から見つかると大変だからです。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように強い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた

 

 万一、幻聴・幻覚が酷くなったら心療内科か精神科で薬をもらって下さい。最近は急激に西洋のクスリが導入されてきて、薬物療法がかなり良く効くようになっています。副作用もかなり少なくなっています。

 それにしても創価学会のの御本尊は恐ろしいです。

 妻の両親が気ちがいのように創価学会に熱心で「池田先生は神様です」とか言いますが、自分は相手にしていません。この前まで二ヶ月ほど泊まりに来ていました。もう年で82と75です。耳が遠くなっていますから会話が成り立たないから楽です。

 アップルさんは義理の両親が創価学会の話をし始めても相手にしないと、やはり怒られますか? 自分の場合は向こうが耳が遠いから向こうが一方的に創価学会や池田大作の話をするだけです。アホと思ってと思っています。

 アップルさんも義理の両親をアホと思ってと思ったら良いと思います。ウンコと思っても良いかも知れません。

 では、このへんで。

 

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それからアップルさん、広義には、霊媒体質には、「煙というか、変な光が見える」ことも入ります。

幻聴、幻視が起こったことがある人は霊媒体質に入ります。

金縛りに遭った人も霊媒体質に入ります。

たしかに、ストレスは霊媒体質には良くありません。

疲労しすぎも良くありません。健康的な毎日を送るのが理想です。

楽感的に物事を考えることが大事です。

深く物事を考え詰めてはいけません。

楽感的になることが一番の対処法です。神経質はいけません。できるだけ無神経になることです。

 

霊に憑依されるのは狭義の霊媒体質です。精神病院に入院している患者さんは狭義の霊媒体質ということになります。

精神病院に入院している患者さんは幻聴・幻覚が激しくて日常生活が成り立たない人達です。

病院で幻聴・幻覚に困っていると患者さんから訴えられると、クスリを増量しないならば「無視するんだ。聞こえてくるもの・見えてくるものを徹底的に無視するんだ」と指導します。

スポーツ選手には霊媒体質は滅多にいないと言われます。

ですから、運動することが良いですが、自分も今は面倒で運動していません。

数年前までは非常に良く運動していましたけれど。今は、運動不足で身体が弱っているようなので、運動を再開しようとも思っていますけど。

 

霊媒体質とは比較的頻繁に見られることです。自分も霊媒体質に入ります。少なくとも3人に1人は霊媒体質と言って良いでしょう。その度合いは人によってさまざまですけど。?

イタコは霊媒体質の人がなるものです。霊媒体質は女性が多いということになっています。

しかし、統合失調症は男女比は同じです。うつ病も男女比は同じです。

しかし、ヒステリーは女性がほとんどです。?

それからクレタ島は冗談です。自分は冗談が酷すぎるところが非常にあります。

他にも冗談はあちこちにあります。

 

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 アップルさん、僕・三船小仏は創価学会に戻ることは辞めましたが、保田妙本寺に入ります、というか保田妙本寺の隠れ信徒になります。法華講を辞めますがお許し下さい。

 保田妙本寺か法華講か、本当のところ分からないでいるのです。

 創価学会だけは日寛上人の御本尊すなわちの御本尊であるから悪い、良くないことは分かっています。

 しかし、法華講でもお寺で勤行唱題するととても元気になっていました。怖いものがなくなっていました。保田妙本寺にも富士大石寺にも日蓮大聖人の魂は住まわれているのではないか、と考えます。

 原島嵩氏が富士大石寺に入りましたので学術的なことは関係ないのかなとも思います。

 ただ、保田妙本寺に向かって遙拝勤行するとより一層、元気になるから保田妙本寺の方を選ぶのかも知れません。 

 自分には保田妙本寺の末法万年救護の大本尊が向いているのかも知れません。

 また、自分が中学時代より苦しんできた喉の病気が保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に向かって遙拝勤行していたら治ってきたのです。

 一時的なうつに見舞われましたが、あれは保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に付かせまいとするの所為だったと思います。

 保田妙本寺と富士大石寺は親戚のようなものだと思います。ただ人間の持つ邪悪な心とが保田妙本寺と富士大石寺を離れさせているのだと思います。

 保田妙本寺と富士大石寺が反目し合うのはの所為だと思います。

 保田妙本寺と富士大石寺は同盟関係にあった期間は長いし、親戚のようなものと思って良いと僕個人は考えます。

 保田妙本寺と富士大石寺が手を取り合って広宣流布目指して突き進まないことには日蓮大聖人御遺名の広宣流布を達成することは不可能と思います。

 保田妙本寺と富士大石寺は手を取り合って広宣流布目指して突き進べきと確信します。

 では、お元気で。

 

http://sky.geocities.jp/mifune008/

創価学会内部改革派憂創同盟改め保田妙本寺その名は三船小仏

 

(補遺:アップルさんとのメール交換 終了)

 

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     池田大作大悪鬼論

                               

                     創価学会内部改革派憂創同盟残党

 

【はじめに】

 池田大作はもともと大悪鬼であり広宣流布を阻止するためにこの世に生を受けた、とする意見がある。これを「池田大作大悪鬼論」と呼ぶ。この論は昭和四五年頃、池田大作に批判的な会内の一部から自然にわき上がってきたものである。誰が言い始めたのかは不明である。おそらくこれから創価学会内部改革派憂創同盟など会内批判派が発生したと筆者は推測する。

 

【考察】

 広宣流布の気配を感じ取ったは「広宣流布を為させるまい」とその頃、創価学会に入会した池田大作の身に入り込んだ。そして戸田城聖氏の会社で働くように仕向けた。(もしくは入会以前に池田大作の身に入り込んでいたのかもしれない)

 は池田大作に「この家には金がある」「この家には金がない」と感じ取る能力を与えた。および池田大作に借金を容赦なく取り立てる傾向性すなわち病気で寝ている老人の布団を匍いで持ってゆくことを何の容赦なく行わせる傾向性を植え付けた。そして金融業(現代のサラ金業)に於いて池田大作を大成功させた。(池田大作は信じ難いことだが当時の平均の百倍近くの給料を得ていたと言われる。小説「人間革命」の「この冬もオーバー無しで過ごさなければならない」は虚構である。また、その金で、多くの創価学会大幹部を自分の味方につけ、第三代会長の座を石田次男氏より奪うことができたと言われる)

 また、極めて激しい燃えたぎる権力欲を池田大作に植え付けた。すなわち「天下を取ろう」が口癖の池田大作を造り上げた。その極めて激しい燃えたぎる権力欲は池田大作を成功へ導いた。その極めて激しい権力欲は他のどの青年部大幹部(藤原行正氏、竜年光氏など)よりも断然に勝っていた。惜しいことに次期創価学会会長の最有力候補だった石田次男氏は学究肌で権力欲が無かった。それ故に請われた創価学会会長の座を辞退したほどだった。創価学会員というお人好し軍団の中に一匹、池田大作という狐が混じっていたのだ。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように強い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 

 

                    (未完)

 

 

 

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 創価学会員は何故、犯罪率が高いのか? しかも重犯罪者が多いのか? 山崎正友氏の著書にはその犯罪者の多さと特に重犯罪者の多さが記されている。(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p45-7

 それは、池田大作という魔王が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼による仕業である。

 重犯罪者刑務所には35%が創価学会員というデータがある。私が大学生のとき、近くの創価学会会館にはよくブロック長などが万引きを行ったことなどが警察より電話が入っていた。池田大作という魔王が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼が唆した犯罪である。

 

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手紙

 

 リコブーでなかったリコピーへ

 

 リコブーでなかったリコピーは生きていますか? この頃、姿を見ないので案じています。もう夜空のお星さまになったのですか?

 リコブーでなかったリコピーはパニック障害であると聞いています。これは創価学会病です。創価学会員及びその家族に非常に多い病気です。活動家に多いですが活動家でない家族にも多いです。リコブーでなかったリコピーは反創価学会ですけど日蓮正宗の信仰をしてません。反創価学会だけではその病気は治りません。その病気を治そうと思うなら勧誡式だけで良いですから受けることです。勧誡式とは創価学会員が日蓮正宗で受ける再御授戒のようなものです。方便品自我解だけですぐに終わります。

 勧誡式を受けるだけでかなり違ってきます。日蓮正宗の勤行唱題をその後、しなくても良いです。勧誡式だけ受けるとかなり違います。

 リコブーでなかったリコピーは家族が創価学会員のようですから日蓮正宗の信仰を行うことは困難と思います。でも、この頃は創価学会の活力低下は激しく、僕は日蓮正宗のお寺に通っていることが張れても少し注意を受けただけで怒られませんでした。池田大作が死ぬと創価学会の活力低下は更に激しくなることは確実と思われます。安心して日蓮正宗のお寺で勧誡式を受けて大丈夫と思います。勧誡式を受けるだけなら張れることはないはずです。

 それに創価学会を退会しなくても勧誡式は受けられます。受けられないお寺もあるようですが少数のようです。退会届を出すと創価学会と日蓮正宗法華講の取り合いの大騒動になるから日蓮正宗の中央から退会届を出さずに勧誡式を受け日蓮正宗法華講に入講できるように通達が発せられたのです。

 しかし、この通達を知らない法華講員がこのカテには多くて不思議です。おそらくお寺に通っていない不良な法華講員なのでしょう。日蓮正宗法華講は現在はそういう大騒動に構っている暇がないほど折伏に勤しんでいます。

 都会では創価学会員でない人も折伏の対象になっているようですが、自分の住む田舎では創価学会員に集中して折伏を行っています。そして小さな寺院ながら月3つの本尊流布を達成し続けています。やはり婦人部が頑張っていて壮年部は死んでいる感じがします。壮年部は活動はしていますが本尊流布はできていないようです。

 

 パニック障害とは池田大作が創価学会に呼び込んだ大量の悪鬼の集団によるものですから日蓮正宗の勧誡式を受けるべきです。ただ、ネット上で創価学会を批判しているだけでは余り効果はありません。

 僕は張れたこともあり最近はあまりお寺には行っていませんし、勤行唱題をしていません。ただ、創価学会内部改革派との自覚で生きています。リコブーでなかったリコピーも創価学会内部改革派に入りませんか? 創価学会内部改革派は勤行唱題しないで良いのですと僕が勝手に決めています。ただ、ネット上での池田大作(創価学会)批判は行うべきと僕が勝手に決めています。創価学会批判より池田大作批判です。悪いのは池田大作一人です。池田大作を徹底的に批判して何も知らない創価学会員に真実を知らせることです。本当に一般の創価学会員は何も知りません。池田大作の悪行のことを何も知りません。

 池田大作には信仰心は全くないのです。ただ、信仰を利用して栄華を極めるのが目的だったのです。宗門支配計画もその一つの表れです。栄華を極めるのに宗門が邪魔だったのです。そのための宗門からの独立でした。創価学会員が不幸になろうが、そんなことは池田大作には関係のないことだったのです。自分さえ良ければ良い、それが池田大作だったのです。

 

 日蓮正宗のお寺で勤行唱題するととても爽やかになります。とても元気になります。ただ、200万人の創価学会員を救うべきだと思って創価学会内部改革派として戦っているのだと思っています。

 リコブーでなかったリコピーが創価学会の家族と住んでいないならば日蓮正宗の御本尊をお受けして日蓮正宗の信仰を行ったら良いと思います。勧誡式を受けるだけでは治らない可能性もあるからです。

 

 池田大作が死ぬとともに悪鬼の大集団が創価学会から去ってゆけば良いのですが、去るまでに時間が掛かるような気がします。池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ、その悪鬼の大集団は去ってゆかないような気がします。池田大作の死後、池田大作批判が起こるかどうか、際どいところと思います。秋谷会長が池田大作批判を大々的に行ってくれたら良いのですが、際どいところと思います。

 池田大作は獣だったのです。ヒットラー、スターリンなどと同じく獣だったのです。

 

 では、リコブーでなかったリコピー、この辺で。日蓮正宗のお寺で勧誡式を受けることを強く勧めます。

 では。    三船小仏青年(印)

 

P.S. リコピーがカフェイン類を飲めないのは創価学会病です。研究しました。これは創価学会病です。創価学会員に不思議なほど多い体質です。創価学会員は交感神経過緊張に陥りやすいのです。交感神経過緊張については若杉文吉先生が本を書かれております。星状神経節ブロック療法という本です。インターネットで検索しても分かるかも知れません。以前、リコピーに星状神経節ブロック療法を受けるように書きましたが読んでないような気がします。星状神経節ブロック療法はパニック障害にも効くと言われています。寛解例も本や論文に発表されています。でも、精神科医の星状神経節ブロック療法への認知度は低いです。

 そしてエホバの証人の精神障害の罹患率は平均の4倍近くであるという論文がインターネット上に載っています。欧米の論文を日本語化したものです。四千人以上という大規模な調査でしたので正確度が高いです。こういう大変な労力の論文が海外では発表されます。「エホバの証人」で検索したら出て来ると思います。創価学会は以前は4倍ぐらいでしたが最近は8倍になっていると思います。10倍かも知れません。でも、倍率に関係なく、創価学会の精神障害は悪性度が非常に高いです。数字だけでは説明ができません。

 日本では創価学会の言論弾圧があるため、こういう論文は発表不可能です。例え行ったとしても、統計を取っている途中で創価学会から横槍が来て論文を作成できなくなる可能性が高いです。例え作成できても日本では発表できません。

 

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【研究と報告】

          池田大作の精神病理(第3稿)

                                                   

                 —————『私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る』—————

                 —————『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』—————

 

                              創価学会内部改革派憂創同盟残党

 

 

【抄録】    

 池田大作は入会当初に発症した軽症の妄想型統合失調症と思われる。この宗派に起こる精神障害の頻度的・確率的に考えても軽症の妄想型統合失調症と診断することにより全てのことを説明することができる。池田大作はかなり早い時期から軽躁的になっていたと考えられる。入会してしばらくしてから入会に導いた同級生であった女性と映画を見に行って『見ていて下さい。これからの自分の姿を見ていて下さい』と言っている。池田大作は19歳で創価学会に入会したが入会と同時に発症した妄想型統合失調症と断定して良いと思われる。入会と同時に妄想型統合失調症を発症する創価学会員は多い。池田大作もそのうちの一人であったと断定して良いと思われる。

 入会してからも池田大作は結核と闘病した。創価学会に入会したが故に家から出て間借りを借り自炊生活を始めたが、熱のために唸され間借り先の女性が看病したこともある。必死に勤行唱題をして結核を克服したと思われる。創価学会早期の頃は結核を克服した体験談が非常に多い。

 昭和23年頃から池田大作は戸田城聖氏のもとで高利貸しの金融業を始めたが、そこで金のある家を当てることが神憑り的に巧かったことも彼が妄想型統合失調症であることを支持する。妄想型統合失調症の患者の中には稀ながらそういう霊的能力を有する者が存在する。

 池田大作は自分が日蓮大聖人と同等の人間であるという妄想とともに金融業そして創価学会の活動に懸命に走った。その妄想があったから勤行唱題はしていなかった。「自分は特別だから」と結婚したかね婦人に言い、かね婦人が戸田城聖氏にそのことを言った逸話が残っている。しかし、金融業に於いて超人的な働きをし、戸田城聖氏の事業を奇跡的に回復させた池田大作に戸田城聖氏は頭が上がらず小言を言うことはできなかったらしい。

 池田大作が後に第三代創価学会会長になれたのも戸田城聖氏の事業を奇跡的に回復させたことが大きく付与していると考えて良い。戸田城聖氏はほとんど倒産しかけていた事業を奇跡的に回復させた池田大作の力と能力に畏敬の念を抱いていたと思われる。それが池田大作が妄想型統合失調症であったから有していた能力であることは想像することもできなかったらしい。

 

 

key wordsDaisaku-Ikeda, Schizophrenia paranoid type, Narcissistic personality disorder, Paranoid personality disorder, Delusional disorder

 

【はじめに】

 日蓮系、とくに排他的とされる富士派に於いては気宇壮大になるという傾向が見られる。昭和45年までの折伏大行進の時には気宇壮大になり急性精神病状態となって精神病院に緊急入院となる創価学会員が後を絶たなかった。しかし、現在ではほとんどそういうことは見られなくなった。これは熱烈な勤行唱題が行われなくなったためと推測される。

 精神鑑定は難しい。創価学会員であった宮崎勤は精神鑑定でパーソナリティ障害”“統合失調症”“多重人格の三種類もの結果が出ている。

 ここでは人格障害という言葉は用いず、パーソナリティ障害という語を用いた。  

 池田大作は自己愛性パーソナリティ障害、妄想性パーソナリティ障害、妄想性障害、妄想型統合失調症が疑われる。

 

【症例】

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p80

 

 

 日達上人御在世の時、日大講堂で行われた創価学会の総会において日達上人がお話をされたそうですが、その内容について池田氏が猊下に対して「今日の猊下の話は、あれは何ですか?」と言ったそうです。そこで日達上人と日顕上人が怪訝な顔をされていると池田氏は続いて「猊下は私のことに一言も触れなかったじゃないですか!図にのぼっているんじゃないですか!?」と言ったそうです。(日顕上人「文藝春秋」掲載の手記「創価学会会員に告ぐ」より)

 

 

 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。

 その責任を取らされて、日蓮正宗総監らが更迭され、日蓮正宗は以後、池田大作を法主の隣に、法主と同じ待遇で座らせることなどを決めて院達として公布するなどした。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994p81

 

 

 池田大作と昵懇なジャーナリスト高瀬広居は、次のように、その目撃談を綴っています。

「池田会長はモダンな本部応接室のアームチェアーにアグラをかき直すと、煙草を一服し、静かに、そして激しい語気で言った。

『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』

 同席の大幹部数人は深く肯き、息をのんだ。—-—(中略)—-—三十七歳の創価学会会長は、自らを全世界の指導者、日本の国主たる気概と現実的意志のもとに、数百万世帯の人々を背景に」

(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房:1965)(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p102-3

 また、最も側近であった原島嵩氏は更に次のようにも述べたと書かれている。

1)『私は現代の救世主である』

2)『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』

3)『世界の盟主である』

4)『私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする』

5)『私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る』

6)『私は太陽の帝王だ』

(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p226---45

(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p191---6

 

 

 池田大作の弟が八王子市高尾にある小林精神病院に長く入院していた。病名は不明。この弟は創価学会に入信していない。精神障害は強い遺伝性を持つ。この時代に長期入院したことは精神分裂病で間違いないと思われる。(変質した創価学会:蓮悟空:六芸書房:1972:p74

 

 

 昭和四十八年十月十四日、正本堂東側広場において、池田大作は、時の御法主上人猊下であられる第六十六世日達上人を、まるで「小僧っ子」のように、大勢いるなかで罵声を浴びせたのです。

……

「日達上人はすぐ忘れてしまう。私に創価女子学園で二十億円を下さるという約束をしたが、それを今果たして下さい!」と詰め寄ったこと、富士宮市への寄附を宗門の方でやってほしい等々のお金の強要をしたことなどを聞きました。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p158-9

 

 

 池田は八王子の法忍寺に出向き、日達上人に全面的に非を認め、謝罪しました。日達上人は、いったんは許されました。

 しかし、池田は帰ってくるなりすぐに開き直り、日達上人への怨念を燃やし、「猊下は私を詫びさせた。この仇は必ずとってみせる」と首脳たちに激怒していました。

 昭和四十九年のこの時もそうでした。表面上の謝罪とは裏腹に、日達上人への「必ず法主の座を降ろさせてみせる」との憎しみ、仕返しの執念は凄まじいとしか言いようがありませんでした。そのころの池田は、私たち側近に口を開けば、日達上人の批難中傷ばかりしていました。結局、池田の日達上人への数々の謗法の謝罪はことごとく偽りだったのです。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002)

 

 

 昭和51年、創価大学図書館落成の折に開かれた文化祭で、池田は来賓に向かって「こんなものは昨日も埼玉で見て、見飽きました。この連中は歌を歌わせておけばいいのです」と言い、周囲の人を唖然とさせています。

 池田の師弟不二は、あからさまに言えば、かしこまって緊張した幹部を前にして、寝そべって女子部員に胸をさすらせたり、果物をくちゃくちゃ食べながら指導するような振る舞いに端的に表れています。

 あるいは宗門の役僧の前でも同じように、一人だけ寝そべり、それが会議の席上であるにも拘わらず「あんまさん、爪を」といってアンマに爪を切らせたりもしているのです。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p259-60

 

 

 池田大作の振る舞いはコンプレックスの裏返しである。子供の頃の貧乏が金への執着となり、上流への憧れが、インテリタイプの女性への手当たり次第のお手付き行為となった。下積みの経験が支配欲と化し、首脳や幹部に対し事あるごとに忠誠を誓わせ、誓約書を書かせる行為へと走らせる。食事の際、食べかけのメロンや料理を幹部に下げ渡してジッと様子を見る。有り難くいただけば良いが、私のようにそのまま次へソッと回そうとする奴は、目ざとく見付けて牽制の言葉をかける。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994)

 

 

 昭和四十八年頃に制作・放映された映画「人間革命」の主題は『一人の偉大な人間革命は一国の宿命転換を可能にし、やがて全人類の宿命転換をも可能にする』というものであったが、この一人とは池田大作自身のことを指していることは明らかであった。

 

 

 元学会幹部によるエピソードを書く。

「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら久しぶりだなと呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」

 

 

 本山に登山した時、池田大作は「聞こえる、俺を呼んでいる」と言って走り始めた。そして日蓮大聖人のお墓の前に行って喋り始めた。幾人もの側近が見ている中での出来事である。

 

 

 私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(『前進』、1966、6月号)

 

 私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(『前進』、1970、1月号)

 

 

「未だかつて、病気の人なんかで、僕の頭の中に入った人で、祈って死んだ人は一人もいないんだ。これは秘かに自負している」

「これは、ここだけの話にしてほしいのだが、私のお袋は八十一歳になるが、実は一度死んだんだ。葬式まんじゅうも用意して葬儀屋も手を打った。弔辞も全部用意した。私は久しぶりだったが足を運んだ。するとみんな泣いている。そこで私は初めて数珠を持って題目を唱えながら、もう死の直前のお袋の体じゅうをさすってあげた。足も全部冷たくなっていた。———中略———すると六月末に死ぬのが、死ななくなってねー。二千個の葬式まんじゅうも腐っちゃったんだ。医者も、もう一度医学を始めから始めると言っていた」(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p252-3

 

 

 私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989p266

 

 

 竹入義勝氏が造反した時、同時放送で45分間も机のどんどん叩きを伴う竹入義勝氏に対する罵声の連続であったという。その45分間はカットされ放送されなかった。そのため池田大作の講演は10分ほどしかなかった。会合終了後、男子部で集まった時に上級幹部よりそのことを知らされたーーーー自分が貰えない勲一等を受けたことを嫉み(妄想性パーソナリティ障害)自分の自尊心が貶された(自己愛性パーソナリティ障害)。創価学会員は公明党国会議員を代表として受勲を拒むように内部指導されている。それまでも何人かの元・公明党国会議員が受勲を辞退している。これは池田大作が貰えないからである。

 

 

 昭和45年、言論出版問題にて国会喚問をも取り沙汰されていた頃、高瀬広居氏のインタビューに

「本当に自殺したいくらいの心境だ。まるで処女が強姦されたようなものだ」と発言した。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p141

 

 彼は色々と手を打ちました。創価学会と取引があった複数の銀行の頭取とも会い、自民党に国会喚問をやめさせることをお願いしました。公明党の竹入・矢野の首脳たちを呼び、内閣法制局長官に働きかけるようにもしました。池田みずから、時の総理大臣・佐藤栄作にも電話で泣きつきました。これは私が池田から直接聞いたことです。民社党の塚本書記長が池田の国会喚問を要求したのに対して、同党の西村委員長に「将来、公明党も民社党に合併させる。公明党は解散させ民社党に入れる」などと、できもしない約束をし、当面の池田喚問だけは回避しようと右往左往していました。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p143-4

 

 

 国会喚問を怖れた池田大作は、日蓮正宗の国教化を考えていないことの証明のために、「御遺命の戒壇」とは「正本堂」であると政府の照会に書面で回答していました。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p149

 

 

 私は、ずっと側にいて不思議に思ったことが一つあります。それは池田がまったくといっていいほど、日蓮正宗の僧俗の基本中の基本たる勤行・唱題をしていないという事実でした。

 時として、側小姓のようについていた私たちに「代わりに勤行しておけ」と命ずることもありました。そんな「身代わり勤行」などということは聞いたこともありません。しかも、池田にとって難局の時です。それこそ必死に自ら勤行・唱題をして「変毒為薬」することこそ、仏法者として当然の振る舞いであるにもかかわらず、それさえしなかったのは、何としても不思議でしようがありませんでした。勤行・唱題すらろくにしていない人物を仏法の指導者として仰ぐその会員が、今では哀れで仕方ありません。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p141-2

 

 

 池田から「私は誰も信じない」という言葉を何度聞いたでしょうか。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p227

 

 

 もっとも、池田大作の『若き日の日記』は、池田大作の後日における完全な創作である。

 池田大作は、会長就任まで、大学ノートに記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていたという。

 北条浩ら、一部の首脳はこれを見せられて閉口し、

「どうかそれだけは公にしないでください」

と言った。とりわけ、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対しては、凄まじい悪口が綴られていたという。

 したがって、出版された『若き日の日記』は、原本とは似ても似つかぬほど、自らを美化し、戸田城聖の後継者として正当付け、そして幹部達に、

「私(池田大作)が若い頃、戸田先生に献身的に仕えたように、お前達も死にもの狂いで俺に仕えよ!」と示唆することが見え見えの、綺麗事に終始している。

(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004:p19

 

 

「大聖人は七百年前に御出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです」(昭和五十二年一月二十六日、インターナショナルの日)

 

 

 月刊ペン事件の裁判に於いて証言台に立った池田大作は、落ちつきなく水を飲み、汗を拭き、証言台の椅子をいらだたしく左右に揺すっていたこと。また、時に声を荒げたかと思うと一転して猫なで声で証言した。しかも証言台に黒革の高給財布を忘れ、その中には四十万円入っていた。  (池田大作・創価学会の脱税を糾弾する:竜年光:日新報道:1994:p120-2

 

 

 平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映された。

 

 

【考察】

 統合失調症の罹患率は1%前後と言われている。しかし、筆者はそれは明らかに統合失調症と認知された人の割合であって実際には潜在的に3%程が統合失調症と言えると考える。

 日蓮大聖人の信仰は「気宇壮大」になる傾向がある。これは日蓮大聖人の信仰を行った者にしか解らないかもしれない。創価学会の折伏大行進の時、精神病院に緊急入院する患者は全て気宇壮大(躁状態とも言えよう)になっていた。気宇壮大になるという特殊性を考慮しなければならない。

 気宇壮大になると、万能感、自分は選ばれた人間だ、という思いに満ち溢れる。このために精神障害と診断された創価学会員は多かった。しかし、最近は勤行唱題が熱烈には行われなくなった故か、万能感などに満ち、精神障害と診断される創価学会員は非常に少なくなった。

 池田大作の妄想型統合失調症は創価学会の信仰故に気宇壮大となり誘発されたものと思われる。

 池田大作は巨大な宗教団体である創価学会のトップに立ち、その「自分は日蓮大聖人より偉大である」という妄想が却ってカリスマ性を与え、五十年もの間、指導者として君臨してきた。著作・講演内容はすべて彼のゴーストライター軍団によるものであった。

「自分は日蓮大聖人より偉大である」という妄想が彼を、手当たり次第の女性信者への手つき、むやみに威張り散らすことに繋がっていたと思われる。

 最近、インターネットの動画サイトYouTube に掲載される彼の支離滅裂な言動、頻繁な脱線、それは「自分は日蓮大聖人より偉大である」という妄想を示すものである。

 東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、それらは「自分は日蓮大聖人より偉大である」という妄想を示す。

『私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る』(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p226

 これからも池田大作は妄想性障害ではなく妄想型統合失調症と断定して良いと思われる。妄想性障害での妄想は理に適った妄想であるが、池田大作の妄想は理に適っていない誇大妄想である。また、妄想性障害の浸透度は低く、老年期に起こることが多いものである。さらに妄想型統合失調症の浸透度は高く、若年期に好発する疾患である。浸透度から言っても池田大作は妄想性障害ではなく妄想型統合失調症と推測される。

 現代の新興宗教の教祖はほとんどが妄想型統合失調症あるいは妄想型統合失調症に類する疾患である。天理教の教祖、幸福の科学の教祖、GLAの高橋信次など妄想型統合失調症と断定して良い。創価学会も第三代会長になって新興宗教へと分派した。池田大作の場合は特に女性信者達の熱狂が池田大作を新興宗教の教祖に押し上げたと言っても良い。一般の女性信者は池田大作の狂気じみた好色ぶりを知らなかった。 

 池田大作の「自分は日蓮大聖人より偉大である」という妄想は宗門を支配下に入れようと画策させた。また、その妄想が時の上人猊下への罵詈雑言に繋がった。

 同時放送に於いてはっきりすることだが、池田大作の言動には「論理に飛躍や唐突さがある」これを精神医学では「連想弛緩」「連合弛緩」または「連合障害」と呼び、統合失調症の基本症状の一つとされる。そしてパラノイアすなわち妄想性障害には思考の障害はないとされる。精神医学に於いて、その患者が統合失調症であるか妄想性障害(パラノイア)であるか判断に迷ったときには患者に話をさせ「論理に飛躍や唐突さがある」か無いかで判断することが多い。これは録音機に録音してあとで綿密に聞かないと分からないことが多いが、診断を確定する上で重要なことである。

 故に同時放送(本部幹部会の放送)の開始は反池田派の副会長が如くんだ罠であるとも推測される。

 そして、池田大作には「自分は日蓮大聖人以上の存在である」という訂正不能な立派な妄想体系、妄想構築がある。これも決定的な統合失調症であることの診断になる。この妄想により池田大作は日蓮正宗からの独立、離脱を図り、新興宗教の創始者となった。

 池田大作は入信直後に自分を入信させるために会合に招いた三宅女子に「見ていて下さい、自分のこれからの姿を」と言ったように、すでに入信直後に誇大妄想を抱いていた。池田大作の統合失調症発症は19歳と推定される。

 昭和27年の池田大作の結婚を報じた聖教新聞には「天下を取ろう、と語る」と書かれてある。

 池田大作は「パラノイア」と診断するのが最も適当と思われるが現代の精神医学では「パラノイア」は死語になりつつある。現代精神医学の教科書からは自己愛性パーソナリティ障害または妄想型統合失調症という診断名のみ当てはまる。また、19歳発症の妄想性障害は現代精神医学の教科書からは妥当ではない。

 池田大作はたしかに「パラノイア」の現代語訳と一般にされている妄想性障害と紛らわしいが、妄想性障害は現在の教科書では40歳以上に起こることが一般とされている。また、池田大作には妄想性障害では説明不可能な奇異な言動も見られる。

 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように固い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。

 中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言う場面がテレビで全国に放送されたが、その場で池田大作は自分が精神障害者であることを露見させている。

 池田大作は現在、12ヶ月、会員たちの前に現れていない。おそらく痴呆症状とも取れる激しい精神崩壊状態を示しているであろう。その精神崩壊状態は痴呆症状と鑑別が極めて困難であるため、医師も匙を投げていると思われる。池田大作は妄想に包まれて特に女性信者から日蓮大聖人の生まれ変わりのように持て囃された。そして妄想に包まれたまま、創価学会が東京に購入した病院の最上階にて最晩年を送っているらしい。脳梗塞を起こし車椅子に乗っていると言われる。また、脳腫瘍が見つかったという話も聞かれる。

 池田大作は83歳。長年、糖尿病を患っていたことを考えると脳梗塞を起こすことは必然と思われる。 

 創価学会の池田大作の容体に対する公式見解は行われていない。様々な憶測がインターネット上を飛び交っている。池田大作の容体に対する憶測とともに創価学会の将来に対する憶測もインターネット上を飛び交っている。

 一人の巨星の墜落は社会に大きな波紋を起こすであろうことは想像に難くない。

 

【最後に】

 池田大作は軽症の妄想型統合失調症と書きましたが、それは憎さの余りの暴走で、自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害の合併が正しいようです。ただ、憎さの余り、訂正しようという気が起こりません。

 

 

【文献】

1)岡田尊司:自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム:医学書院、1994

2)岡田尊司:パーソナリティー障害、PHP新書、東京、2001

3)笠原嘉:精神病、岩波書店、東京、1998

4)原島嵩:池田大作・創価学会の真実:日新報道、東京、2002

5)藤原行正:池田大作の素顔:講談社、東京、1989

6)松下正明:新世紀の精神科治療(5)、現代医療文化の中の人格障害:中山書店、東京、2003

7)山崎正友:懺悔の告発:日新報道、東京、1994

8)山崎正友:創価学会と「水滸会記録」:第三書館、東京、2004

9)DSMTR、精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院、東京、2007

 

 

*The Psychopathology of Daisaku-Ikeda

**どんぐり病院(〒0000000 どんぐり市どんぐり町00000)

Toshiro MIFUNE000  psychiarty, 00000, 00000, JAPAN .

  

                (完)

 

 

 

 

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 私は「信仰は理論ではなく感性」という持論のため、日蓮正宗に付いていましたが、理論上の矛楯は甚だしく、今は「日蓮宗一人旅」と名打って信仰をしています。

 私は日蓮聖人とシルバーバーチの両立が出来るのではないかと現在、模索しています。

 日蓮宗は元気に成ります。暗く沈み込むことはありません。非常に厳しい状況の中でも元気一杯に毎日を過ごすことが出来ます。泣きながら学校から帰ってきても日達上人の御本尊様に題目をたくさんたくさん上げて次の日には元気一杯に学校へ行っていたとても厳しかった少年時代の思い出があります。私の少年時代は病とそして家の貧困と不和などとの戦いでとても厳しいものでした。

 現在は、シルバーバーチの教えが正しいと思いながらも、シルバーバーチのみを信仰していると元気が無くなるために、この2つの信仰を両立させるようにして過ごしています。

 この2つは両立して信仰することが出来ると私は信じるからです。「不幸な人を救う」ことが最も大事という全く同じ考えが両方の根底にあります。高級霊界の考えは同じもの(不幸な人を救う)であると考えています。これを神仏習合と私はかってに解釈して実践している次第です。神道がシルバーバーチの教えになります。

 

 現在は、第三次世界大戦の靴音が聞こえてくる最中であり、信仰のことを深く考えるよりも、第三次世界大戦阻止のために最善を尽くさねばならないと苦しんでいます。それが日蓮聖人およびシルバーバーチの御意向と思っています。しかし、私一人で何が出来るでしょう。私に何が出来るでしょう。第三次世界大戦は成り行きに任せる他にないと諦めて居ます。

 

 現代とは異なり、紙は非常な貴重品であった鎌倉時代、日蓮聖人の考えは限定された量のみ残されていると思います。日蓮聖人は経済的に困窮を続けたため、たくさんの著作を行うことは不可能でありました。後世に偽書がたくさん出来たのも仕方のなかったことかも知れません。

 

 後世の信者は、様々な宗派に見られるように、教祖の考えを排他的に変えてしまう傾向性があります。現在の日本の新興宗教のほとんどにその傾向が見られます。高橋信次先生のGLAなど、たくさんに見られます。

 幸福の科学の大川隆法とは異なり、高橋信次先生は尊敬できる立派な方でした。信仰の活動費(布教に掛ける費用)を全て自分で工面されていました。しかし、高橋信次先生は、51歳にて“エボラ出血熱”に極めて酷似した病態にて非常に苦しみ抜きながら亡くなりました。

 

“エボラ出血熱”に極めて酷似した病態に似た病態を示す病気は他にありません。“エボラ出血熱”であったことで間違いはありません。“エボラ出血熱”とは、そのような非常に苦しく死に至る残酷な病気です。オウム真理教が“エボラ出血熱”のウイルスをアフリカの研究所から入手したという記載が本にあります。また、池田創価学会は私立の薬科大学を金で購入したとされています。

 何故か、死亡解剖、死因究明などが全く為されませんでした。“エボラ出血熱”を疑って血液培養したら簡単に死因究明ができたはずです。これは東京都議会を公明党が牛耳っているため、警視庁が動くことが出来なかったためと私は考えます。

 

 オウム真理教には極めて多くの池田教狂信者たちが侵入していました。これは池田教狂信者たちの殺人と私は疑っています。他教団に侵入し、内部攪乱を行うことは池田創価学会の常套手段であることは常識です。

 

 また、日興上人が極めて厳格で頑なであり、日興上人自ら日蓮聖人の御真筆を改竄したという本の記載も見られますが、これは本当のことと私は思っています。

 

 世界広布の先駆けとなった、命懸けで大陸伝道を行った日持上人のことなど、創価学会(日蓮正宗)では一言も習いませんでした。他の五老僧は全て卑怯者、臆病者と教えられてきました。京都で広宣流布が達成し掛けたことも、この前、始めて知ったほどです。

 しかし、比叡山の僧兵により、この広宣流布は破壊されたと本には記載されています。京都の人々の60%が日蓮聖人に帰依したと本に記載されています。また、公家にも多くの信者を得、現在、日蓮宗に公家が多いことはこのためと思われます。公家は比叡山の僧兵により殺害されなかったからです。

 答えになっていないと思いますが、今の私は、第三次世界大戦阻止のことで頭が一杯で、すみませんでした。

 

(追記)

 私の知っている江戸時代からの法華講の人は近くの神社の一番偉い存在(講頭?)でした。また、その人の家の仏壇には、大きな釈迦像が祭ってありました。御本尊は奥に小さく見えるだけでした。

 日蓮正宗が謗法厳禁になったのは、戦後、創価学会が台頭して経済的に潤沢になってからではないかと思われます。それまでは日蓮正宗もあまり謗法厳禁ではなかったはずです。また、そのように、その法華講の非常に偉い人も言っていました。

 

 

 

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 外来で「心が落ち着かない。いつも心がそわそわして落ち着かなくて困っている」と言う患者が来たら創価学会員である。

 入会したばかりの女性信者ばかりである。

 私は常に胸のポケットに三色旗のボールペンを刺して、そして創価学会の仏具屋で購入した三色旗のボールペンで書いていたから分かる。20年頃前に創価学会員全員に配られた三色(黒・赤・青と三色書けた白いボールペン)のボールペンは書けなくなってからも気合いを入れるために15年は胸のポケットに掛けていた。その三色旗のボールペンを見て患者さんから訊ねてくるのである。「先生も創価学会員ですか?」と。

 熱心な信者以外は精神疾患には掛からない。不熱心な信者が精神疾患で来たことは無い。

 以前は私も熱心な創価学会員であった。「創価学会の信仰を止めたら治る。しかし、辞めない限り治らない」とはとても言えなかった。

 しかし、次第に、その患者が熱心でなくても、家族が熱心な創価学会員の場合も非常に精神疾患が多いことも分かってきた。普通の30倍の罹患率と言って良いであろう。このことは精神科医および臨床心理士の常識であるが、創価学会の告訴を怖れて誰も口にしない。創価学会は訴訟を多くするカルトであることは社会の常識であるからだ。どこの出版社も創価学会の訴訟を怖れている。精神医学学術専門雑誌は決してこのことは載せない。

 日蓮正宗には多くない。創価学会から移ってきた信者が創価学会時代に精神疾患に掛かった場合しか知らない。

 精神疾患とはうつ病性障害以外は「一度罹れば一生、治ることはない、その疾患を背負ったまま一生を乗り越えてゆく」ことがほとんどである。

 寛解することが多いうつ病性障害も、一度罹ったならば、一生、再燃を繰り返すものである。

 これは非常に大きな社会問題であるが、どの出版社も創価学会の訴訟を怖れて沈黙を貫いている。

 

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【研究と報告】

      S会に多発する精神障害の考察*

 

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【抄録】

 日本最大の宗教団体・S会には昭和30年代の折伏大行進の頃、祈祷性精神障害に分類されるが、躁状態を呈した急性精神病状態が多発し、緊急入院となる会員が非常に多かった。折伏大行進は昭和45年の言論問題で中止となったが、それ以降もS会には様々な精神障害が多発している。これもお祈り(勤行唱題)を熱烈に長時間するためであり、祈祷性精神障害に分類される。

 平成5年以前は「力を込めて、熱烈にしなければいけない。長時間すること」とお祈り(勤行唱題)の指導が平常的に為されてきた。

 

key wordsPrayer mental disorder, acute psychotic state, souka-gakkai,                                      

 

【はじめに】

 昭和60年代初頭「トップが悪いとそこから悪鬼がその団体に雪崩れ込む、という御文がある。そのためにS会員に不幸なことが起こる」と主張しS会会長であるI氏を激しく非難するグループが存在した。I氏の側近であったF氏1)の次男をS会の会長に据える運動をこのグループは起こした。このグループはほぼ全員、S会を退会しN宗直属の信徒となった。長男は創価学園(S会の造った高校)在学中に統合失調症を発症した。次男も兄と同じく創価学園卒であるが、創価学園在学中は柔道部の主将をしていた。柔道部の主将であったから統合失調症のコントロールが不良の長男が家庭にて暴れるのを抑えることが出来たと言える。この様子は父親の手記に詳細が記されてある1)

 平成5年にS会が派生した元々の宗教団体であるN宗からの独立と時を同じくして「力を込めて、熱烈にしなければいけない」とお祈り(勤行唱題)の指導が為されなくなった。祈祷性精神障害は熱心な信者に好発し、不熱心な信者にはほとんど発生しない。

 

【症例】

(症例1)

 女性。平成7年頃、三十歳のとき、会社の上司から勧められて入会した。夫の反対より御本尊を家に安置することができず上司の家に毎日通って勤行唱題を真面目に行っていたところ胸騒ぎがして落ち着かなくて困るようになる。勤行唱題を中止したらその胸騒ぎは止むことを提言するも頑として反対する。勤行唱題を開始して3ヶ月が経過していた。

 抗不安薬に依る治療が開始された。始めこそ奏功したが薬の量は次第に増加し、やがて抗不安薬のみでは抑えることができなくなり、抗精神病薬を必要とするようになる。幻聴・幻覚は否定する。精神不穏激しく、抗不安薬(ベンゾジアゼピン系抗不安薬)にてはその精神不穏を抑えることが出来ない。

 頭部CT上、特記すべき所見は認められない。

 

(症例2) 

 御本尊を持って他患を叩くこの病院一の問題患者。この御本尊は平成五年から配られた“魔”の御本尊である。婦人部地区部長をしていたが十数年前にこういう状態になった。精神障害の家族歴がない(血縁に精神障害を患ったことのある者が居ない)。

 どのような抗精神病薬も効かず、保護室への入退出を繰り返している。精神障害の薬物療法が発達してきた現在、どのような抗精神病薬も効かないという患者は珍しい。頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。

 性格は激しい。暴力行為を行っても反省することはない。表情は常に険しく精神療法の受け答えも反抗的である。(ここまでは3ヶ月ほど前の状態。現在は受け答えにほとんど反応しない完全な痴呆状態に陥っている)

 現在、53歳であるが、精神荒廃が激しく、痴呆症状が大きく前景に現れるようになり、ベットに抑制状態が続いている。

 

(症例3) 

 小学四年生の少女であるが霊の姿が見えると言う。その霊の姿は極めて恐ろしく、少女はその霊の姿が見えるたび「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶ。幻聴を訴える患者は多いが幻視を訴える患者は多くはないこと、まだ小学四年生であること、それも「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶほどであることは極めて珍しいことであるため大学病院にて入院治療を受けていた。どのような抗精神病薬も余り効果が見られない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。

 一族全員、熱烈なS会員。親は恐怖に泣きすがる娘を抱いて懸命に唱題するのみである。

 

(症例4)  

 四十七歳、女性。二十歳の頃、東京にI氏に会いに行ったら「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。東京で行われた女子部の幹部会だったらしい。診察のたびに「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。個人的に東京にI氏に会いに行ったものとも推測される。詳細は不明。

 病状は不安定である。抗精神病薬への反応が悪い。高校生の頃、題目を上げすぎて統合失調症になったと言う。

 会話に人の良さ、人があまりにも良すぎること、心が純粋すぎること、が伺われた。また、人を疑うことは全くしないように思われた。その心の美しさと純粋さに筆者は感動を覚えたほどであった。

 毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。S新聞を毎日熱心に読んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。

 

(症例5)  

 社会人になって職場の上司から折伏されS会の信仰を始める。信仰を始めてしばらく経ったとき、幻聴が聞こえるようになる。奇行、異常言動、暴力行為が出現。精神科受診。統合失調症と診断される。昭和44年発症。

 3年間、通院治療を受ける。その間、「病気が治らないじゃないか!」と御本尊に御不敬(注;破ったり汚したりすること)をしたと言い、その罪悪感に現在も苦しんでいる。

 暴力行為と仕事を続けられないため、入院となる。入院して30年以上経過している。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。「S新聞は要らない、I氏の講演集が欲しい」と言う。題目を一日何時間も上げることが多い。S新聞を毎日熱心に読んでいる。面会はない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。

 

(症例6)   

 男性。発病は漁船に乗り始めてしばらく経った頃と推測される。漁船の中で題目を上げすぎて統合失調症を発症したと言う。

 発病はその地方に始めてS会が布教されたときであった。昭和30年代のことになる。

 精神病院入院となったが、ある日、土木作業のとき、日頃から快く思っていなかった看護師を背後から鉄の棒で頭を強打する。打たれた看護師は頭蓋骨骨折、脳内出血で半身不随となった。この患者には「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい(頑張れ、という意味)」という幻聴がよく聞こえてくる。部屋に御本尊は安置しているが、勤行は同室者から「喧しいからするな!」と言われ、題目三唱しか行ってない。

 入院して40年が経過している。面会はない。S新聞を毎日熱心に読んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。

 

(症例7)   

 男性。隔離室への入退出を頻繁に繰り返している。高校時代、題目を挙げすぎて統合失調症になったと言う。この患者も「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい」という幻聴が激しい。御本尊を所持しているが、しかし、安置はしていない。安置する能力が失われている。隔離室に入っていることが多く、勤行唱題はほとんどしていない。一日中、何をすることもなくボンヤリしている。入院は35年に及ぶ。家族の面会はない。時折、暴力をふるい、隔離室へ入らせられる。暴力をふるうときは頭が真っ白になって何が何か解らなくなると言う。どのような抗精神病薬もあまり効かない。

 器質性精神障害を考えられるも頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。

 現在は、荒廃状態激しく、会話はほとんど成り立たない。家族の面会はない。S新聞を取っているも全く読んでいない。  

 

(症例8)  

 男性。小学生時代から統合失調症と診断されていた。小学生時代からS会の熱烈な信者。

 小学六年生の頃にはある日曜日、キリスト教会に宗教問答を挑みに行ったことがある。統合失調症のため幼い頃から一所懸命にS会の信仰をしてきた。高校時代は毎日三時間、題目を上げて乗り切ったと言う。題目を一日三時間上げていた高校生の頃は学級委員長にも選ばれたと言う。

 ケーキ屋のケーキ職人をしてきたが失敗が多く、ケーキ屋の肉体労働の方に回される。ここで腰を痛め、就労困難になる。それでも腰の痛さに耐えながら重い小麦粉の入った袋を運んでいた。信仰の熱心さは不変でN宗との第二次戦争(平成2年末に始まる)の時は軽トラックに乗り、メガホンで「くそ坊主、死んじまえ! くそ坊主、死んじまえ!」と叫び回っていた。入院することはほとんどなく、通院治療を行っている。幻聴の内容は不明。S会員からは「I氏に批判的だったため、あんな病気になった」と陰口を言われている。しかし、彼は幼い頃からI氏を神様とも崇めるほどI氏一筋の熱心な、そして狂信的な信者である。

 

(症例9)   

 男性。大学卒業の22歳時発症の統合失調症。しかし六年間、社会不安障害(対人恐怖症)として治療されてきた。対人緊張が非常に強く、人混みに出て行くことも極めて憚れていた。その六年間、ほとんど閉じ籠もりを続けてきた。発症6年後、「向かいの家から自分の頭に電波が飛んでくる。その家に抗議に行きたい」と病院に電話が掛かる。この時点で統合失調症と診断が付く。

 性格は非常に温厚で、人の悪口を言うことは決して無い。非常なお人好しである。

 家族親族に精神疾患の家族歴は全くない。何故、彼が統合失調症に罹患したのか判断が付きかねた。

 母親は余り熱心でない婦人部員。父親は非S会員。しかし、祖父が何十年も前(おそらく昭和三十年代であろう)から一日三時間の題目を欠かさないという非常に剛信なS会員。

 

(症例10)   

 女性。30歳発症の統合失調症。母が幼い頃に亡くなり、父親と姉と三人で暮らしてきた。小さい頃から知恵遅れと心臓の病気があり、父親が「その病気が治るなら」と一家三人全員でS会に入会した。初めは父親も熱心に信仰に励んだ。折伏も行った。数年間、非常に熱心に学会活動に打ち込んだ。しかし、娘の病気は治らなかった。父親は信仰を中止する。

 勤行唱題するのは知恵遅れと心臓の病気を持っている妹の方だけで、姉も父親も勤行唱題はしなかった。平成七年、父親はS会幹部と激しい諍いを起こし、S会を一家全員で脱会する。妹の方はそれでも勤行唱題を朝晩欠かさずに続ける。父親は信仰をする気は全くなく、H講に入講することは行わなかった。すなわち、どの宗教団体にも属さずに、家にはS会の仏壇と御本尊がある状況だった。それは娘(妹)が御本尊から離れたくないと主張するからであった。

 妹だけが朝晩、大きな声で勤行唱題を続けていた。平成五年に御本尊はS会が勝手に造った御本尊に替わっていた。

 平成八年、勤行唱題を熱心に行っていた妹が統合失調症を発症する。入院後も、大きな声で朝夕、勤行唱題を行っている。大きな声で勤行唱題をすると周囲に迷惑が掛かると注意するも、知恵遅れな処があるため、なかなか小さな声で勤行唱題をするようにならなかったが、次第に小さな声で勤行唱題を行うようになった。

 心は極めて純粋で美しく、人を悪く思うことが出来ない。

 

【考察】

 これらの精神障害に苦しんでいるS会員の数は極めて多く、それは全てI氏がS会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためと批判されている。

 以前「折伏教典」という本があり、草創期の会員はそれを片手に折伏に回っていた。その中に「身延派は精神異常者が多発する」という記載があった。しかし現在、S会にそれが起こっている。現在、「折伏教典」は手に入らない。S会はI氏の時代になり見延派と同じになったことになる。

「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「パーソナリティ障害」など他の精神障害は昔も現在も変わりなくS会に非常に多発している。そしてそれは「新入会者よりも古くからの強信なS会員の家に多く起こっている」のである。S会の幹部の家は学会活動で子供の教育に手が回らず自然と子供は非行化するという意見があるが、それは不十分な説明である。I氏が招き込んだ無数の悪鬼が暗躍していることを考慮しないことには説明が付かない。

 たしかにS会の幹部の子供は余りにも高い確率で非行化している。同時に余りにも高い確率で「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「境界例」などの精神障害に罹患している。I氏がS会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。また、それはN宗(N宗)を蔑ろにしたI氏の醜い欲望にある。

 そして東京のS会本部には毎週、精神科医が来ている。S会本部職員およびその家族にうつ病性障害などの精神障害が異常多発しているからである。13)

 S会本部の職員数は多い。おそらく周囲のS新聞社などからも患者が来ていると思われる。S会本部に精神科クリニックがあることと同じである。薬は処方せずカウンセリングだけのようである。薬を処方するならばクリニック開設の手続きをしなければならない。精神科クリニック開設の手続きはS会の体面上、行えない。薬の処方が必要ならば近くのS会専門の精神科クリニックに行けば良い。

 S会専門の精神科クリニックで賄えないほどS会の精神障害多発は深刻な状況である。筆者が真面目にS会の信仰を行っていたときは異常な多発でうつ病性障害で苦しんでいるS会員の半分どころか四分の一、それどころか十分の一も家庭指導に回れなかった。N宗H講では少なくとも筆者が知る範囲では精神障害が起こった例を知らない。やはりS会(I氏)の謗法に由来する精神障害の多発らしい。 

「統合失調症は入会させるな!」「精神疾患は入会させるな!」「S会に傷が付く!」「我々、S会は選ばれたエリートの団体です」と20年以上前ある大きな会合でI氏が偉そうに言い放っている。

 これは宮崎勤の事件で世間が騒然となっていたときのことと記憶する。宮崎勤は3人の精神鑑定医から「パーソナリティ障害」「統合失調症」「多重人格障害」と異なる結果が出ている。宮崎勤は友人から誘われS会に入会しようとしていたと言われる。

 同時放送だったか、何年前だったか、記憶が定かでない。何かの大きな会合の放送であった。会合が終わったとき創価班で「今の話、聞いたか?」とみんなで訝しがったことを覚えている。S新聞では、すべて削除されていた。筆者は創価班の仕事をしながら聞いていた。

 その言葉を聞いたとき「これが不幸な人を救う仏の団体か? そしてそのトップが言う言葉か!」と激しく煩悶した記憶がある。I氏もそれらが「新入会者よりも古くからの強信なS会員に多く起こっている」という認識が少なくとも当時は無かったと推測される。

 それ以来、統合失調症の患者は原則として入会できず会友に留まることになった。「何十回、座談会に参加しても自分から進んで会合に何十回参加しても会友止まり」ということであった。「御本尊は絶対に渡されない」ということであった。しかし、これはその担当地区の壮年部本部長の主観に依るものになっているようだ。その他の精神障害の患者は入会できるようだ。しかしこれにも地域差——壮年部本部長の主観——がかなりあるようである。

 同じ創価班の友人が統合失調症である知人を入会寸前まで世話してきていた。しかしその創価班の友人もI氏が言い放った同じことを聞き非常に悔しがったことを昨日のことのように思い出す。その統合失調症である知人は十何回も会合に自ら進んで参加していたのである。勤行唱題も行っていた。しかし会友止まりで入会は許されなかった。御本尊授与も許されなかった。いつも御本尊のない仏壇で勤行唱題を行っていた。会友止まりであった。現在は行方不明になっている。のたれ死にしたか何処かで浮浪者になっていると思われる。

 あんな滅茶苦茶な指導がなかったらと友人は今でも非常に悔しがっている。彼の属する壮年部本部長は、御本尊を与えること、および入会させることを頑なに拒んでいた。心の狭い頑なな壮年部本部長であった。

 昔からの会員に統合失調症およびその他の精神障害を発症した会員は非常に多い。しかし彼ら彼女らは誰よりも熱心に信仰をしていたのである。あまりにも熱心に信仰をし過ぎたから精神疾患に冒されたのである。それをS会ではその人の信仰がなっていなかったからだと非難している。

 統合失調症およびその他の精神疾患の患者はS会に於いて邪魔でしかないのである。「S会に傷が付く」「我々、S会は選ばれたエリートの団体です」と同時放送でI氏が偉そうな調子で言い放っている。

 また、これも後で聞いたことであるが、I氏が「統合失調症の患者は除名にせよ。学会に傷が付く」とある会合(社長会)で言い放ったそうである。このI氏の放言からは信仰者としての優しさも慈悲も何も感じれない。ただ権力者の横暴と増上慢(自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)そして妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder))のみが感じられる。

 精神疾患とくに統合失調症は一般に世間から隠すことが多い。S会では病気になるのは信心が足りないからと言われる。これはS会の邪義である。邪義であることは日蓮大聖人の御書を読めば解る。N宗では決してそういうことは言わない。病気という宿業が出てくるほど熱心に信仰をしたからである。

 S会ではそれ故に病気を隠す傾向が強い。I氏の次男が胃潰瘍の末、胃穿孔で亡くなったことも病気を隠すため懇意なS会員の産婦人科医の病院に入院させていたからである(しかも偽名を使っていた)。そのため大きな病院に搬送するのが遅れた。普通の内科系の病院に入院させていたら手遅れになり死ぬことは間違いなく無かった。胃穿孔で亡くなることは現在ではほとんど無い。

 これらはもちろん極く一部である。S会の信仰をしたために統合失調症になり一生を棒に振った人は数知れない。精神病院にはそういう人が数多く収容されている。これはもちろんS会では秘密にされていることである。一般のS会員は知らない。

 現在、東京に在るS会直属の精神科クリニックで精神障害の治療が盛んに行われているが、これは極く一部のS会員が治療を受けているのみである。当然、患者数が余りにも多過ぎることと、患者が日本中に存在するからである。ここは入院設備はなく外来診療のみである。現在はうつ病性障害が極めて多くなったため患者の大部分はうつ病性障害である。ここは何故か通院一割負担は適用されず、すべて三割負担である。管轄の保険所から圧力が掛かっているものと推定される。

 ここでの治療の指導には特徴がある。それは「勤行唱題の絶対禁止、学会活動の絶対禁止」である。インターネット上でこの指導を見る精神障害の患者たちは、信仰熱心過ぎる故に精神障害になったのであるから、この指導に従わないことが普通である。しかも将来を期待されていた若い幹部が多い。「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」を唱えるということは、その精神科医はS会員に多発している精神障害はS会の信仰に由来することに気付いていた故と思われる。うつ病性障害で苦しむ熱心なある幹部はそれ故と思われるが、その指導を激しく非難していた。その指導を激しく非難するうつ病性障害で苦しむ幹部を幾人も見てきた。無理して勤行唱題する人は何時まで経っても“寛解”しない。

 

 昭和30年代40年代、S会はN宗に属する信徒団体ではあったが、実質上は別組織であったと言って良い。S会は単一の宗教法人としての申請を昭和26年に行っており、管轄する東京都はそれを受理していた。ここに問題がある。N宗に属する信徒団体ならば、そういう申請を行う必要性は全くない。ここが間違っている。

 すでに昭和26年の時点でS会は将来はN宗からの独立することを既に考えていたと考えられる。

 また、S会はN宗とは完全に独自な布教活動を行っており、N宗の寺院に参詣するS会の信徒は極めて少なかった。大多数のS会の信者にとってN宗の寺院は入信のときに入信の儀式を行うことと御本尊を受取るだけの機関に過ぎなかったと言っても過言ではない。N宗の寺院には極力行くな、という暗黙の了承が末端のS会会員にはあった。S会とN宗は、S会がN宗の信徒団体であったとは言えども、常に対立関係にあった。それは戦前からと言っても過言ではない。神札を受け取るか否かについてS会とN宗は意見を異にした。

 戦後、二代会長のときはS会とN宗は比較的良好な関係にあったが、三代会長になってからは始めの頃から激しい対立緊張関係にあった。

 完全に別組織となったのが平成3年のN宗のI氏に対する破門宣告の時である。それ以来、S会とN宗の争いは戦争と言われるほど極めて激しい。

 これらS会員に精神障害が非常に多発している現象はS会にはI氏が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからであると言わないことには説明が付かない。

 しかし、S会員は次のような日蓮大聖人御書全集の御文を取り上げる。それは信仰に殉ずる殉教の精神に通じる。

 

(文献)

「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」【涅槃経】

「先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口・罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかと見えはんべり 」【涅槃経】

「善男子、過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに是の諸々の罪報・或いは軽易せられ」【般泥おん経】

「及び余の種々の人間の苦報、現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力に由る故なり」【般泥おん経】

「我が身は過去に謗法の者なりけること疑い給うことなかれ」【日蓮大聖人御書全集】

「この法門申すには必ず魔出来すべし、魔競わずば正法と識るべからず」【日蓮大聖人御書全集】

「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり・少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに・飲むか」

「法華経を持(たもち)たてまつるものは地獄即寂光と悟り候ぞ、たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経を離るるならば・ただいつも地獄なるべし」【日蓮大聖人御書全集・上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)】

「此の経を聞き受くる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども憶持不忘の人は希なるなり。受くるはやすく持つはかたし。さる間、成仏は持つにあり。」【日蓮大聖人御書全集・四条金吾殿御返事(此経難持御書)】

「行解すでに努めぬれば三障四魔、奮然として競い起こる。愚者は退き、賢者は喜ぶ、これなり」【日蓮大聖人御書全集】

「我並びに我が弟子、諸難有りとも疑う心無くば自然に仏界に至るべし。現世の安穏成らざることを嘆かざれ、朝夕唱えしかども皆捨てけん。拙き者の習いは誠のときは忘るるなるべし。」【日蓮大聖人御書全集】

 

(余記) 

 N宗(T寺)は私が知っている元県議会議員の統合失調症である娘さんを預かって働かせて(面倒を見て)くれている。この元議員はこのことでN宗に恩を感じH講に入った。S会を脱会しN宗のH講に入ったため公明党の支持を受けられず無党派のまま選挙に臨んだが敗北した。このときS会のこの議員への批難は凄まじかった。女性問題、金銭問題など有りもしないことを本当のようにS会員に流し、宣伝カーを使って激しく批難した。犬畜生のように批難されビラも撒かれた。そして毎日のように学会会館から幹部がこの元議員の家を訪問していた。もはやS会は完全なカルトである。昭和63年頃のことである(当時は、S会とN宗の蜜月時代である。しかし、末端はこのように激しく争っていたことが、これから証明される)。

 この地方には悪い大幹部は居ない(居ないと思う)。それらは中央からの命令で行われたものに違いない。中央からの命令で金銭問題などを巧妙に作り上げ、人身攻撃の材料とした。以前、その元議員とともに、この地方の広宣流布に懸命に戦ってきた大幹部は辛い決断であったと思われる。しかし、中央からの絶対的な命令で仕方がなかったのであろう。

 すでにこの頃、S会はN宗から離脱そして独立することを決めていた。早くN宗がS会を破門するのを待っていたと言って過言ではない。学会の幹部はすでにその頃、お寺を“魔”と言ってお寺に参詣することを会員に手控えるように(または決して行かないように)言っていた。

 統合失調症の娘を持った議員さんが登山したとき、N宗の人に娘のことを相談した。N宗の人は娘さんがS会員に冷たくあしらわれていることに憤慨し、「それではT寺で面倒を見ましょう。少し手伝いをさせたり、みんなと明るく談笑したり、みんなと一緒にいろんなことをさせていたら、娘さんの病気も軽くなってゆくでしょう」と言ってくれた。議員さんはS会の娘への冷たい態度に疑問を感じていたところだった。

 それまでは自分の殻に閉じこもり、家に閉じこもり、幻聴・幻覚に左右され、意思疎通も困難であり、家庭内暴力など暴力沙汰も多かった。自然と抗精神病薬も大量投与となり副作用が強く表れていた。この統合失調症は頑固であった。I氏が招き入れた悪鬼によるものであったから、統合失調症の中でも悪性度が高かった。

 娘さんはT寺で暮らすようになって少しずつであるが笑顔が見られるようになっていった。勤行唱題もみんなで行うようになった。頑固な統合失調症であったが、次第に軽症化の傾向が現れてきている。

 

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【研究と報告】

 

正本堂、半裸レリーフ像の謎と真意*

 

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【抄録】

 問題の半裸レリーフ像。私はこれは性同一性障害同志のサインとも考える。池田大作は自己愛性パーソナリティ障害であったために、そのレリーフを造ったと考えることが多かった。しかし、自己愛性パーソナリティ障害の最重度であった池田大作でさえ、自分のレリーフを正本堂の中央に造り置くことは考え難いことであった。自己愛性パーソナリティ障害の最重度を超え、統合失調症の範囲に入っているならば説明でき得ると私は考えた。そして、池田大作を「妄想型統合失調症」と診断した論文を数年前に書いた。

 しかし、「妄想型統合失調症」としても説明不十分な点が多々有った。弟が統合失調症あるいはそれに類する疾患で精神科病院に長年入院していたことから、遺伝性が極めて強い精神疾患は池田大作にも遺伝していたと考えた。池田大作の言動と行動には自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害の合併だけでは説明不十分な処が多々有った。

 このレリーフ像は性同一性障害としての強い自己顕示欲を示すものとも思われた。

 

key words】半裸レリーフ像、池田大作、性同一性障害、自己愛性パーソナリティ障害、 妄想型統合失調症

 

【はじめに】

 正本堂、須弥壇の手前に置かれた経机に、のちに問題となったレリーフがあった。男性が半裸で寝そべっている姿が浮き彫りになっているが、このモデルが池田氏だと言われる。



 真正面の大御本尊を拝むと同時に、池田大作似の半裸レリーフも拝むことになる位置関係となる。故に、会員からもさすがに不信の声が出ていた。

 このエピソードに象徴されるように、「正本堂は我々のもの」という本音が学会にはあった。

「我々が建て、宗門に使わせてやっている、しかし僧侶は偉そうにするばかりで大して感謝もしない」 

 池田大作はそう言って会員たちを煽っていたと言われる。
 

 このレリーフに池田大作が第三代会長に成れた謎が込められていると思われた。

 

【考察】

 篠原善太郎氏が書かれた小説「人間革命」に次のような一章がある。

>>「大ちゃん、今夜は一緒の布団に寝よう。今夜は同じ布団で寝るのだ」

 山本伸一は師の優しさに涙した。<<

 

 筆者はあまりにも純情であり、戸田城聖氏が自分の布団に山本伸一青年を誘った小説「人間革命」の一場面を書くことが出来ない。

 それを読んだのは筆者が中学生の時であった。中学生だった純情な筆者の心にその小説の場面はあまりにも醜く映った。

 

>>今、松下政経塾が性同一性障害者の溜まり場そして養成所であることを知った。<<

 

 松下政経塾を造った松下幸之助氏と池田大作は非常に親しかった。異様な親しさとも感じられた。筆者が中学時代、聖教新聞などに松下氏は何度となく出て来た。それは何十度と言って過言ではない。池田大作の第一の親友と言うほど頻繁に聖教新聞などに出て来ていた。松下幸之助氏はすでにその頃、倫理を超え宗教の範囲に取れるものをつくり、その雑誌を毎月頒布していた。謗法厳禁な日蓮正宗では許されないことであった。しかし、池田大作は一宗派の始祖とも取れる松下氏と非常に懇意であることに筆者は違和感を抱いていた。筆者と同じ違和感を抱いていた創価学会員は多かったと記憶する。

 松下幸之助氏が池田大作の折伏により創価学会に入会したとも伝聞に聞いたが、真偽のほどは定かでない。

 

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 日本巨大カルトの精神病理*

 

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【抄録】

 日本では巨大カルトが政権与党に一角を占め、政治を担っているという海外では決して見られない現象が起こっている。日本人は言語の壁か、宗教団体が政治に関与してはいけないことを知らない。そのカルトは政権与党の一角を占め、暴力団と癒着し暴虐の限りを行っているが、言論統制が厳しく、一般国民は知らない。

 東村山市の女性市議飛び降り殺人事件を起こしているが、検察官・警察などがそのカルトの信者であり、この事件は立件されないまま時効を迎えようとしている。この殺人事件はその一つに過ぎず、映画監督など数多くの殺人事件を起こしている。

 

 

key wordsCult,  Gang,   The government ruling party

 

 

【はじめに】

 日本巨大カルトとは何を差すか、言及は控えておこう。政権の一角を占め、政権与党のポスター貼りなど選挙運動はそのカルトの信者が全て行っていると言って過言ではない。

 昭和45年には「言論問題」で強く叩かれたものの政権の一角を握っていることから傲慢になり、新たな「言論問題」を引き起こしかけている。

 もはやこのカルトの批判は公には許されない。警察をも動かし、日本では「暴力団以上に怖い」と認識されている。このカルトに属する弁護士は350人以上と推定され、訴訟を多くし、このカルト(以下、Aとする)の批判を書くと直ぐに訴訟を起こされるとして、どの雑誌も批判記事を書けない現状である。

 

【考察】

 Aには精神障害が極めて多く発生する。以前、折伏大行進時代(昭和30年代から昭和45年まで)精神科病院への緊急入院はほとんどがAの信者であった時代があった。熱心なため、では済まされない異常な多さであった。

 そして平成の時代になってからは、うつ病性障害がAに異常多発するようになり、Aの東京本部では毎週一回、精神科医が来るようになった。Aの東京本部職員およびその家族にうつ病性障害が異常多発するからであった。

 東京にはA専門の精神科クリニックがあり、上級幹部の紹介状がなければ受診できない。それでも患者は非常に多く、勤務する精神科医は三名と推測されるが、昼休みも取れず、午後3時を過ぎると「自分が何を言っているのか分からなくなる」とここに勤務する精神科医は言っていた。

 

 

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【文献】

1)池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989

2)邪教集団・創価学会:隈部大蔵、室生忠著:月刊ペン社:1975

3)創価学会の野望:内藤国夫:日新報道:1977

4)真実の証明:阿部日顕:日新報道:2001

5)絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007

6)再び、盗聴教団の解明:山崎正友:日新報道:2005

7)創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004

8)創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001

9)法廷に立った池田大作——続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001

10)「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001

11)懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994

12)池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009

13)池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007

14)カルト創価の終焉:福本潤一、小多仁伯:日新報道:2010

15)創価学会・公明党「カネと品位」:福本潤一:講談社:2008

16)池田大作・創価学会の脱税を糾弾する:竜年光:日新報道:1994

17)創価学会からの脱出:羽柴増穂:三一書房:1980

18)これが創価学会だーーー元学会幹部たちの告白:植村左内:あゆみ出版:1970

 

 

  (完)

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以下の論文のコピーを是非、欲しいです。もちろん、1部で結構です。

タイトル      某新宗教S教団における信仰と病理

著者   大宮司

出版年         1979-10

注記   記事分類: 医学--精神神経科学

 

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適宜、修正、訂正などお願いします。推敲する余力がありません。かなり、重複しているところなどが有ると思います。

 

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【参考文献】

邪教集団・創価学会:隈部大蔵、室生忠著:月刊ペン社:1975

創価学会の野望:内藤国夫:日新報道:1977

真実の証明:阿部日顕:日新報道:2001

絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007

池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002

再び、盗聴教団の解明:山崎正友:日新報道:2005

創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004

創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001

信平裁判の攻防———続々「月刊ペン」事件:山崎正友:第三書館:2002

法廷に立った池田大作——続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001

「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001

懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994

懺悔滅罪のために!:原島嵩、山崎正友:慧妙編集室:2007

池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989

私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五十年:矢野絢也:講談社:2009

黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録:矢野絢也:講談社:2009

闇の流れ 矢野絢也メモ:矢野絢也:講談社:2009

創価学会 もうひとつのニッポン:島田裕己、矢野絢也:講談社:2010

池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009

池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007

カルト創価の終焉:福本潤一、小多仁伯:日新報道:2010

創価学会・公明党「カネと品位」:福本潤一:講談社:2008

池田大作・創価学会の脱税を糾弾する:竜年光:日新報道:1994

創価学会からの脱出:羽柴増穂:三一書房:1980

邪教集団・創価学会:室生忠、隈部大蔵:月刊ペン社:1976

変質した創価学会:蓮悟空:六芸書房:1972

反人間革命:段勲:リム出版:2005

誰も知らない創価学会の選挙:北川紘洋と五月会:はまの出版:1995

池田大作・幻想の野望———小説「人間革命」批判:七里和乗:新日本出版社:1994

池田創価学会の真実:戸口浩:日新報道:1992

実録 創価学会=七つの大罪:吉良陽一:新日本出版社:1986

小説 聖教新聞:グループS:サンケイ出版:1984

これが創価学会だーーー元学会幹部たちの告白:植村左内:あゆみ出版:1970

司法に断罪された創価学会:乙骨正生:かもがわ出版:2009

公明党=創価学会の真実:乙骨正生:かもがわ出版:2003

公明党=創価学会の野望:乙骨正生:かもがわ出版:1999

蒼碧集(1~11)法華講員の体験談集:理境坊所属妙観講 広報部:暁鐘編集室

創価学会のいうことはこんなに間違っている:日蓮正宗法義研鑽委員会:大日連出版:2008

創価学会は「破仏法」の新興宗教:島田正人:第三書館:2010

破折:島田正人:日新報道:2006

民族化する創価学会 ユダヤ人の来た道を辿る人々:講談社:2008

公明党・創価学会の真実:平野貞夫:講談社:2005

公明党・創価学会と日本:平野貞夫:講談社:2005

池田大作「権力者」の構造:溝口敦:講談社:2005

池田王国の崩壊:永島雪夫:リム出版:1992

人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:高瀬広居:有紀書房刊:1965

創価学会とは何か:山田直樹:新潮社:2004

創価学会:島田裕己:新潮社:2004

池田大作「権力者」の構造: 溝口敦:講談社:2005

イケダ先生の世界:ベンジャミン・フルフォード:宝島社:2006

創価学会Xデー:島田裕己、山村明義、山田直樹、溝口敦 他:宝島社:2008

となりの創価学会:別冊宝島編集部:宝島社:2008

池田大作なき後の創価学会:島田裕己、山村明義、山田直樹、溝口敦 他:宝島社:2007

お笑い創価学会 信じる者は救われない:佐高信、テリー伊藤:光文社:2002

創価学会解剖:朝日新聞アエラ編集部:朝日新聞社:2000

カルトとしての創価学会=池田大作:古川利明:第三書館:2000

シンジケートとしての創価学会=公明党:古川利明:第三書館:1999

システムとしての創価学会=公明党:古川利明:第三書館:1999

アメリカの創価学会 適応と転換をめぐる社会学的考察:栗原淑江:紀伊國屋書店:2000

タイム トウ チャント イギリス創価学会の社会学的考察:中野毅:紀伊國屋書店:1997

家庭内宗教戦争:美濃周人:山手書房新社:1992

日蓮入門 現世を撃つ思想:末木文美士:筑摩書房:2010

完全教祖マニュアル:架神恭介、辰巳一世:筑摩書房:2009

法華経入門:菅野博史(かんのひろし):岩波新書:2001

日蓮の本 末法の世を撃つ法華経の予言:学習研究社:1993

忘れられた殉教者 ——日蓮宗不受不施派の挑戦——:奈良本辰也、高野澄:小学館:1993

「法華経」を読む:紀野一義:講談社:1982

法華経の奇跡:謝世輝:KKベストセラーズ:1984

信じない人のための「法華経」講座:文藝春秋:2008

日本「霊能者」列伝:蓮見清一:宝島社:2008

「救い」の正体:別冊宝島編集部:宝島社:2008

心に狂いが生じるとき ——精神科医の症例報告——:岩波明:新潮社:2011

精神障害者をどう裁くか:岩波明:光文社:2009

狂気という隣人 ――精神科医の現場報告――:新潮社:2007

悪魔が殺せとささやいた ――渦巻く憎悪、非業の14事件――:「新潮45」編集部:新潮社:2009

精神鑑定 脳から心を読む:福島章:講談社:2006

犯罪精神医学入門:福島章:中央公論新社:2005

人格障害の時代:岡田尊司:平凡社:2004

人格障害かも知れない:磯部潮:光文社:2003

パーソナリティー障害:岡田尊司:PHP新書:1998

精神病:笠原嘉:岩波書店:1998

精神鑑定の事件史:中谷陽二:中公新書:1997

憑依の精神病理:大宮司信:星和書店:1993

天才の心理学:E.クレッチュマー:内村祐之訳:岩波書店:1982

病跡学とオカルト:伊東高麗夫:勁草書房:1980

天才の秘密:伊東高麗夫:勁草書房:1979

初期分裂病/補稿:中安信夫:星和書店:1996

初期分裂病:中安信夫:星和書店:1994

分裂病症候学——記述現象学的記載から神経心理学的理解へ:中安信夫:星和書店:1991

対談 初期分裂病を語る:中安信夫:星和書店:1991

DSMTR:精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院:2007

統合失調症の診療学:岡崎裕士:中山書店:2002

気分障害の診療学:神庭重信:中山書店:2002

老年期の幻覚・妄想:松下正明:中山書店:2002

リエゾン精神医学とその治療学:山脇成人:中山書店:2002

精神疾患における認知のメカニズムとその対策:武田雅俊:中山書店:2002

精神科治療の語りと聴取:加藤敏:中山書店:2002

病の自然経過と精神療法:新宮一成:中山書店:2002

          etc.

 

 

 

【あとがき】

 これは出版することにする。広宣流布のためだ。何処かの出版社の方、宜しくお願いします。適当に編集・推敲してください。もう一度書きます。適当に編集・推敲してください。

 なお、これはあくまで匿名で出版することにします。自分が書いたものとは分からないようにするようにします。その点、宜しくお願いします。匿名出版です。印税などは要りません。勝手に推敲、訂正などお願いします。

 匿名は創価学会内部改革派憂創同盟残党とします。

 なお、自分にはお金がありません(熱心な創価学会員である女房にお金を握られています)。自費出版も無料でないと無理です。

 正義感のある出版社の方、無料で出版を宜しくお願いします。たくさんの苦しむ無知な創価学会員を救うためです。

 この本は出版されなければならない。何故なら、池田大作の悪を知らしめるためだ。池田大作の悪を知らない素朴な創価学会員が余りにも多過ぎる。そのためだ。池田大作の悪を知らしめさないとあまりにも素朴過ぎる無数の創価学会員が可哀相である。純朴過ぎる創価学会員を幸せの道へと導くためだ。

                                       (4月2日2011年記す)

 

 

 

(最後に)

 疲れています。auto fix して下さい。のんびりとテレビでも見て暮らしたいです。僕は疲れ果てました。最後の校正が疲れ果ててできません。出版社の方、最後の校正、宜しくお願いします。

 日蓮正宗の信仰活動ができない分、その信仰活動の一環として書きましたし編集しました。のんびりとテレビでも見て暮らしたいです。疲れ果てました。

 人生とは疲れ果てたとき、あの世へと旅立つのでしょうか? 僕は疲れ果てました。

 日蓮正宗の信仰が僕をぎりぎりで支えています。御本尊の前で勤行唱題したいですが、内得信仰の毎日です。

 憎い池田大作は長生きのし過ぎです。たくさんの無数の創価学会員の血を吸い上げて未だに生きているようです。憎い池田大作に騙されて生きている人がどれだけ多いでしょう。騙されている人が可哀相です。素朴な純朴な創価学会員が余りに可哀相です。

 創価学会員とは日蓮正宗の信徒だったはずです。それが末端の素朴で純朴な信者の知らないところで池田大作によって目茶苦茶にされたのです。末端の創価学会員はたくさんたくさん疲れ果てています。あまりに可哀相です。

 寝食を惜しんで信仰してきた創価学会員が余りに憐れです。自分もその被害者の一人です。

 F1を見てのんびりとしたいです。あのスリルとスピード。でも、ビデオに撮っていません。インターネットでyoutube で昔のを見るしかありません。

 こういうことを書いたり編集していることが家庭破壊に自分の場合は繋がります。女房は信仰への批判力がありません。女房の親兄妹が狂信的な創価学会なのです。池田大作を神様と言います。呆れて自分は相手にできません。

 創価学会員は創価学会批判のインターネットや書籍を見るな読むなと指導されています。そして女性は信仰への批判力がありません。離婚も考えています。

 離婚したいけど、子供を自分の親が溺愛しているため、離婚ができません。離婚して新しい女性と楽しく暮らしたいです。看護婦に余生を一緒に送りたい人がいます。でも、親の悲しむことを考えるとできません。子供を自分の親は溺愛しているのです。自分も女房は全然愛していませんけど、子供は可愛いです。

 創価学会には夫が創価学会から離反し日蓮正宗に渡り、離婚した家庭が無数にあります。これはマスコミや赤旗が取り上げて批判しなければいけない事柄です。そういう悲劇が日本では無数に起こっているのです。

 

(5月9日2011年、朝、記す)

 週末3日間の当直が終わる朝であり、疲労は極限に達しています。家に帰ってのんびりとしたいです。創価学会員は信仰に疲れてうつ病性障害になるのではありません。創価学会製の御本尊すなわち日寛上人の御本尊が原因と推測されます。日寛上人は立派な方でした。ですが、創価学会(池田大作)が日寛上人を利用しているのです。創価学会(池田大作)は何も分からず、創価学会に寝返った日蓮正宗の末寺にあった日寛上人の御本尊を大量複写して創価学会員に配ってしまっているのです。その御本尊の数は100万200万に達するでしょう。自分もその御本尊を拝んでいてうつ病性障害に罹患しました。うつ病性障害は一生です。一時的に良くなっても必ず再燃するのがうつ病性障害です。

 もう暑くなりかけてきました。5月9日です。僕は暑い九州に住んでいます。僕は非常に暑がりやなので過ごしにくい季節が訪れようとしています。この病的な暑がりは創価学会の信仰を熱心にしたためになったものと思います。そして自分の宿業でしょう。

 今の創価学会の女房を追い出して意中の看護婦さんと暮らしたい。そうしたらどんなに幸せでしょう。でも、自分の親が子供を溺愛しているため、できないのです。結婚が失敗でした。あの頃は自分は狂信的な創価学会員でした。それ故に、誤った選択をしてしまったのです。あの頃はそして狂信的な創価学会の先輩に付いていました。うつ病性障害になり公明党の市会議員の世話で生活保護を受けていた狂信的な創価学会員です。これは狂人と言っても過言ではないと思います。狂信者とは狂人の代名詞と言っても良いと思います。

 人の人生とはこのように非業なものなのでしょうか? 幸せでありたかった、幸せでありたいですが、創価学会(池田大作)が奪い取ってしまったのです。自分はその一人に過ぎず、苦しみに呻吟している創価学会員は余りに多いです。熱心にすればするほど不幸になるのが創価学会の信仰です。池田大作がそのように創価学会を変質化させてしまったのです。創価学会は戸田先生の時代のように純粋な日蓮正宗の一宗教団体でなければいけなかったのです。しかし、池田大作が創価学会に悪鬼を怒濤の如く乱入させて創価学会員に信じられないほどの不幸なことが起こるようにしてしまったのです。

 聖教新聞の体験談はその信じられないような不幸を担わされた人の体験が美化されて載っているだけなのですが、末端の純朴な創価学会員はそれを見破ることができないのです。とくに女性は批判力が無く、その体験談を鵜呑みにしてしまうのです。

 創価学会はこれからも批判力のない女性達により維持されてゆくでしょう。しかし、創価学会の衰退、弱体化は避けることはできません。

 創価学会の衰退、弱体化とは、不幸な人が造られなくなってゆくという意味では歓迎されるべきことです。宿命と戦う、宿命を元気に乗り越えることは、日蓮正宗から離反し、今の日寛上人の御本尊になってからは非常に難しくなっています。不幸に泣き叫ぶ人がこれからの創価学会に溢れるようになることは必然であり、それ故に創価学会の弱体化は必然であるのです。

 

 (完)

 

 

【はじめに】

【本章】

精神障害多発の創価学会

池田大作の精神病理(第1稿)

文鮮明、池田大作:妄想型統合失調症(軽症)説

池田大作:妄想型統合失調症(軽症)説

池田大作の堕落

池田大作;妄想型統合失調症説

社会不安障害と誤診されてきた統合失調症の一例

「統合失調症」告知により自殺した26歳青年

祈祷性精神障害の文献学的研究

feb 25,2011

池田大作に信仰心はない

宗教を変えることによりうつ病性障害が寛解した一例

創価学会の未来

S会の研究(ある症例とともに)

日目上人の生まれ変わりという誇大妄想を持つ入院歴48年に達する一症例

大阪池田小事件と宅間守と創価学会 

統合失調症の初期より宗教を変えることにより寛解した1症例

創価学会の未来

(4月6日昼)

(4月8日夕方 病院にて)

創価学会内部改革を考える(創価学会は昭和の幻か?)

(補遺:アップルさんとのメール交換)

池田大作大悪鬼論

ブリキ集め症候群 

脳腫瘍と精神疾患

池田大作の精神病理(第3稿)

手紙

池田大作の精神病理(第4稿)

創価学会に於ける“うつ病性障害”の特異性

S会に多発する精神障害の考察

【参考文献】

【あとがき】

(最後に)

 

 

        精神科医の告発(創価学会内部の現況)   終了

 

 

【補記】

 これは転載自由です。池田大作の悪を知らしめるために積極的に転載、コピーして掲載してくださることを希望します。

 創価学会による日本制覇の危険性がすぐそこに迫っているのです。

 

 適当に編集して出版して下さい。

>>三船小仏青年は体調悪く、推敲、編集することが困難です。<< 

 

Vvv29876@yahoo.co.jp

 

 

https://ameblo.jp/momoko-006/

 

 

 匿名出版です。印税は要りません。勝手に推敲、訂正などお願いします。印税は要りません。私の素性が張れると非常に拙いからです。お願いします。